『それじゃ行こうか』 航は一瞬、驚いた。 「行こうって・・・何処へ?」 『契約したんだから、ずっと一緒に居るわよ。当たり前でしょ?』 当たり前と言われても困る。いくら自分で悪魔と名乗ろうと、どう見ても女の子でしかないのだから。 「それは拙いよ・・・」 『大丈夫よ、他には見えないんだから』 航には、どうも今一つ信じ切れなかった。 「とりあえず、帰るけど・・・」 『んじゃ、あんたん家まで行くのね』 どうやら家までついてくるつもりらしい。それも困る。 「あ〜居た居たっ! 航ったら校門で待ってたのに来ないから・・・まさか、まだ一人で調弦していたの?」 思わず航は横で微笑むリトルに視線を向けたが、莉音には航が窓の外を見ているようにしか見えなかった。 「どうしたの? 窓の外に誰か見えるの?」 「・・・いや、何でもないよ」 ようやくリトルが他の人間に見えない事を納得した。それでも悪魔だということは納得していない。それでも深く考えてもいなかった。 「さ、帰ろうか」 「う、うん」 莉音からすれば二人きりだが航にすれば三人である。そう照れるものでもない。 『その子、彼女?』 ここでは、あえて無視をした。リトルも理由は判りきっているので、それ以上声は掛けなかった。 「おや? 高等部弦楽科の彩園寺 莉音さんだよね? 奏さんの妹さんの・・・」 このいちいち奏の妹と呼ばれることが莉音は好きではなかった。 「そちらは・・・どうやら抱えているのはリュートのようだから君も弦楽科かな?」 「は、はい。弦楽科の響です」 「響君・・・ね。莉音さんも奏さんのようになりたかったら、もう少し音楽に専念した方がいいと思うよ」 『誰だい?』 (高等部弦楽科3年生、彩小路 調。莉音の姉さんと並んで開校以来の天彩と呼ばれてるヴィオラ奏者だよ) 「え? 航、何か言った?」 「いや・・・何でもないよ」 「気にしないで行こ。あたしはあたし、姉さんとは違うんだから」 「・・・そうだよな」 「航、何か変だよ?」 リトルのことが見えない莉音からすれば妙な様子にしか見えないのも無理はない。 「そうかな? 早く帰ろう」 「う、う・・・ん」 気にはなるのだが本人が何でもないと言うのであれば、それ以上深く追求も出来なかった。
『ふぅ、話も出来ないってのも不便だよねぇ。かといって、みんなに見えるようになっても、あんたが困るだろうけど』 確かに四六時中、見慣れない女の子と一緒に居るところを見られては在らぬ噂になりかねない。それは航も勘弁して欲しかった。 『あれ? 何処か行くの?』 「バイト。見ての通り一人暮らしだからね。家賃やら学費やら稼ぐのも大変なんだ」 『それじゃホントに演奏してる時間なんてなさそうじゃん。いつ曲作りするのさ?』 「だから聞いたろ、どのくらい猶予をくれるのかって」 確かにそう聞かれたことは覚えているが実際、こう忙しそうにされると時間があるのか心配になってくる。何しろ悪魔と比べれば人間には時間が無さ過ぎる。 『あんたの生活費くらい、あたしが何とかしてあげるから、曲作ってよぉ』 「遠慮しとくよ。悪魔に借り作ると後が怖そうだしね」 それだけ言うと航は出掛けて行った。 『って、置いてかないでよ。あんたに何かあったら、あたしだって困るんだからね』 事故でも怪我でも曲作りに影響の出るような事態は避けて欲しかった。航のバイト先はコンビニだった。これなら大きな怪我はなさそうなものだが不安が無いではない。リトルにとっては不意な出来事は避けて欲しかった。 『なんで楽器店とか音楽関係のバイトじゃないの?』 (楽器店じゃ学校終わってからじゃ仕事にならないだろ?) 『あ、そっか』 (仕事の邪魔にならないようにしてくれるかな) そこでリトルも黙ってしまった。これで航が独り言が多いと思われるのも気の毒だと思った。 「あれ? 航、こんなとこでバイトしてたの?」 「莉音? コンビニなんて来ることあるのかよ」 「あら、客に向って何よ。あたしだってコンビニくらい来るわよ」 彩園寺家といえば名家だしコンビニなどとは無縁だと勝手に思っていた。 「じゃ、明日学校でね」 「ありがとうございました」 友達として挨拶をしたのに店員として返されたので少々莉音は面白くなさそうに店を出て行った。 『あらら、可哀想に』 (人間社会じゃこれが当たり前なの。仕事中なんだから) 『堅苦しいのねぇ』 「響くん、今日は上がっていいよ。今日はアレだろ?」 「あ、はい店長。ありがとうございます」 『アレって何?』 (ついてくれば判るって) 「お先、失礼します」 着替えて出て来た航が持っていたケースはリュートのものではなかった。 「あ、来た来た」 「紀人は相変わらず早いよな」 「航、今日は早いな」 「今日は店長が気ぃつかってくれてね。」 航がやってきたのは駅前の店だった。すでに営業時間は終えている。 『もう閉店してんじゃん。大体、こいつ誰?』 (進藤 紀人、僕のストリート仲間だ) 『神道祝詞? 神社の息子かなんか?』 「静かにしてくれよ」 「え? うるさかったか?」 思わず声に出してしまったので紀人を驚かせてしまった。 「ごめん、違うんだ。ちょっと耳鳴りがしてね」 「今日のライヴ止めるか?」 「うぅん、大丈夫だよ」 『こんなとこでストリートライヴ? ポップスでも弾るの?』 今度はあえて無視した。いちいち相手をしていると紀人も妙の思うだろうから。そして二人が演奏を始めたのはリトルの予想に反していた。 『これって・・・G線上のアリア?!』 J.S.バッハの『管弦楽組曲第3番』の構成曲のうちの第二曲「エール」を改作したバイオリン独奏曲のことである。今では限曲も同名で呼ばれることが多いが二人が演奏しはじめたのは19世紀後半のバイオリン奏者、アウグスト・ヴィルヘルミがニ長調から移調したハ長調のものであった。ストリートでクラシックというのも物珍しいのか、リトルが思ったよりは客が集まっていた。 『まぁ、確かにリュートでストリートは調弦だけで終わりそうだしねぇ。それにストリートってのも作曲に刺激になるかもしれないし。ま、いっか』 結局この夜、リトルは黙って二人の演奏が終わるまで聞いていた。
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