機捜に遅れること数分、所轄署の鑑識課員が到着した。多くの機捜捜査員が<地取り>と呼ばれる、現場近辺の虱潰しの聞き込み調査に出払っている。そんな中、望月壮太郎は事件現場となった豪邸の一室で鑑識作業を見守っていた。 被害者は讃良亮介。本屋に行けば必ず1冊は彼の著作を見かける、そこそこ売れ筋の推理作家だ。ドラマ化には向かない、トリックを重視した本格推理小説を書いていると望月壮太郎は記憶している。 被害者は部屋の真ん中で、頭から血を流しながら俯せになって絶命していた。部屋は内側から鍵が掛けてあったが、扉の内側と外側に跨って、兇器と見られる陶磁器の花瓶が粉々に砕けて散乱していた。 鑑識課員の邪魔にならないよう注意しながら、望月壮太郎は現場となった部屋に入った。 綺麗に整頓されている、というには余りにも何もない部屋だった。窓に向かって置かれた机の上には、沢山の本がだらしなく積み重なっていた。机の上から崩れ落ちたのか、10冊ほどの本が側に置いてあったゴミ箱の中にあった。 壁に眼を移した。文字盤のない時計が音もなく時を刻み、小さな食器棚には整然とコーヒーカップが並んでいた。その脇に置かれたコーヒーメーカーでは、琥珀色の液体が煮詰まっている。机の上の雑然とした散らかりようとは正反対だ。それから、今となっては余り見かけない、堂々とした極太の数字が中央に据えられた日めくりカレンダーが掛けてあった。めくられることは、9月4日から忘れられている。 遺体の撮影が終わったらしい。鑑識課員に断りを入れて、望月壮太郎は遺体の脇にしゃがみ込んだ。撲殺にしては、頭の傷が小さいことに気が付いた。襲われたと思われるのが扉の前であるから、少なくとも頭の傷は致命傷ではないというのか。 遺体の右手近くに、万年筆が転がっていた。ペン先から滴り落ちたインクは、遺体の右手辺りにつながっている。頭の辺りに1冊の本を下敷きにして、1枚の原稿用紙が載っていた。そこには、見慣れぬ数式が書き残されていた。
――アルファベットから、7桁の数字を引く
望月壮太郎はその原稿用紙を見て、そう直感した。一見すると、中学生や高校生が解く連立方程式に似ていたからだ。 アルファベットは上からo、a、d、e、f、yの順で並んでおり、そのそれぞれから7桁の数字をごく短い線で結び、縦に6つ並べられている。しかしそれは数式ではなく、アルファベットと数字が並立して対応する、という意味かもしれないし、マイナスに見える記号はハイフンかもしれない。いずれにせよ、その数式自体の意義が分からない。 被害者は即死していない。それは、扉の前からここまで移動しているのだから間違いない。そして、扉の前で襲われたのだとしたら讃良亮介は犯人と正対するほどに間近でその顔を見たということだ。 つまり、扉の鍵が犯人による何らかの工作でないとしたら、導き出る答えは、一つしか考えられなかった。
「ダイイング・メッセージということか……」
鑑識課員が忙しなく動き回る部屋の中、望月壮太郎は誰にも聞こえないような声で呟いた。興奮で胸が高鳴っているのを感じた。望月壮太郎は不謹慎と弁えつつ、その感情を必死で抑え込んでいた。
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