大会議室は、煙草の煙で遠くが霞んで見えた。 所轄署に設置された特別捜査本部での第一回捜査会議は、本庁捜査員の殺気立った雰囲気の中、粛々と進められていった。前方に座るベテランの捜査員たちからは、言葉なき悪態を吐きかけられ、向けられる視線には悪意が満ちていた。 マイクを通してもなお、事件の概要を読み上げる捜査一課長の声は吐き捨てるように小さく、紙に書かれた字を追うだけだった。 「――すなわち、書斎に残されていた被害者のメッセージ、所謂ダイイング・メッセージによって犯行を自供。よって同日、午後3時21分、緊急逮捕」 捜査一課長の島津一太警視正は、崩れ落ちるように背もたれに寄りかかり、捜査員全員に配布された紙パックの緑茶を飲み始めた。 島津が読み終えると同時に、若い男が立ち上がる。捜査一課管理官の安兼宏武である。童顔のためか、未だにスーツが似合っていない。就職活動中のような出で立ちの安兼も、伏し目がちにマイクを取った。 「犯人逮捕の詳しい経緯については、第一機捜隊長の佐橋宗春警視に説明を願います」 手にしたマイクを、安兼はスイッチを切らずにそのまま手元に置いた。会議室にはテーブルに置いた打撃音とハウリングの音が響き、それが捜査一課の苛立ちを如実に表していた。 廊下に近い席に座らされていた佐橋宗春は、渡されなかったマイクをわざわざ断って受け取ろうともせず、まっすぐにホワイトボードの前へ向かった。 佐橋宗春の声が、会議室中に響き渡る。 「犯人逮捕の切っ掛けになったのは、被害者が残した2つのメッセージでした。1つめのメッセージは、原稿用紙に書き残した文字です。資料8の1をご覧下さい。被害者は類い稀なる記憶力や計算力の持ち主で、素数計算や書籍の速読と記憶を日常的に行っていました。これは、彼の友人や仕事仲間からも証言を貰っています。これらの英数字は、彼の自宅にある書庫の認識コードと一致し、その該当書籍が資料8の2にある6つの作品です。参考までに言っておきますが、何人かの捜査員で出鱈目に数字を検索端末に打ち込んだところ、6回連続して何某かの書籍にヒットしたことは一度もありませんでした。現実として、不可能と考えられます」 ここで言葉を切り、佐橋はマジックペンでホワイトボードに6つの作品を平仮名で書き出した。 「本題に移る前に、被害者が何故英数字でメッセージを残したのかという点についてお話しします。1つは、文字よりも数字の方が書き易いということです。もう一つは、犯人にダイイング・メッセージだと気付かせないためです。被害者は普段から資料として書庫から蔵書を持ち出させる際、認識コードを使って指示を出していました。犯人が万が一でも現場に立ち入った際、部屋に残されていたとしても不自然ではない、つまり犯人にはそれが犯行前からあった書庫から蔵書を持ち出す指示だと思わせるための偽装工作だったのです」 佐橋は会議室を見回した。話を聞いていない本庁のベテラン捜査員もいるが、所轄署の捜査員や本庁の若手捜査員は真剣だ。この差は何だ。佐橋の顔にも、思わず失意の笑みが漏れてしまう。 「2つめのメッセージは、襲撃後にめくられた日めくりのカレンダーです。写真でもお分かりの通り、これは数字の『4』を伝えたのです。これら6つの小説と、カレンダーとの間にどういう関係性があるのか。やはりそこにも被害者の用心が含まれていたのではないかと思われます」 ホワイトボードに書かれた小説のタイトルに、佐橋宗春は言葉を切って眼をやった。一部の捜査員には、説明の必要もないほどに明瞭な答えが出ている。 「第一の暗号、つまり英数字を小説に置き換える。これは犯人へのカムフラージュでありますが、裏を返せばダイイング・メッセージだと一目瞭然なわけです。そこで、その暗号にもう一つ暗号を加えるという第二の暗号によって、メッセージを秘匿したのです」 マジックの芯が潰れるほどに、佐橋宗春はホワイトボードに力強く「4」と書いていた。話しながらもボルテージが上がり、何度も4の周りを丸で囲んだ。 「しかし問題なのは、こんな複雑な暗号を誰が解くのかということです。せっかく用心を重ねたダイイング・メッセージが本当に資料の指示だと思われたら元も子もありません。そこで18番の写真をご覧下さい」 その写真は、讃良亮介が事件直前に辻田義人の勤める出版社に郵送した短編小説の未発表原稿だった。事件前日、讃良亮介が持っていた封筒の中身である。消印の日附や、切手を販売したコンビニ店員の証言を検証したところ、ほぼ間違いないと見られる。その中身の一枚目には大きく『推理小説殺人事件』とある。 「今回の事件に使われた二重の暗号は、この小説に使われているトリックと同じ物だったのです。これを読む者は、被害者の残したダイイング・メッセージの解読を期待された人物なのです。残念なことに事件当日は区分作業にあり、誰かの目に触れることはありませんでした。核心の暗号については――」 佐橋の経過説明の途中、本庁の捜査員が何人か席を立ち始めた。進行役の捜査一課長は、居眠りを始めていた。話に付いていけないのだろうか。彼らの中にはすぐに任意同行を求め、自白を強要させるような人権を無視した刑事の屑がいることだろう。 そして今ここにいる多くの所轄署捜査員は、犯人の動機について裏付捜査をしなくてはならない。恐らく讃良邸の全ての部屋で床に這い蹲り、庭の草木一本ずつを掻き分けるような証拠探しが行われることだろう。 しかし、その地味で辛い捜査を、本庁の捜査員は誰も行わない。誰が手錠をかけるのか、誰が連行するのか、誰が取り調べを行うのか。書類に名前の残る仕事しかしたがらないのだ。 そんな刑事は、現場から立ち去れ。ポストや点数で優劣を決めるような頭しかない警察幹部も、消えてしまえ。 佐橋宗春はそんな腹心をおくびにも出さず、残る捜査員に対して説明を続けた。
夜の帷が降りた誰もいない会議室で一人、佐橋宗春はホワイトボードの前の机に腰を掛けて、推理小説のタイトルと向かい合っていた。讃良亮介が描いた渾身のトリックを、望月壮太郎はあっという間に解読してしまった。抜群の捜査力というか推理力には、感嘆するのみである。 この事件に関していえば、動機云々はどうでもいいのではないか。讃良亮介と、望月壮太郎の見事なまでのコンビネーションの前には、そんな警察官としてあるまじき心構えの自分がいた。 悔しいが、機捜に置いておくには勿体ない。 会議室の明かりが点き、会議室の中が途端に騒がしくなる。彼らは見事な連携で手にしたゴミ袋の中に机上のゴミを入れ、濡れ布巾で丁寧に汚れを拭き取り、真ん中から二つにテーブルを畳んだ。佐橋宗春はその動きに見惚れながら、自分がいては邪魔だと思い、警務課職員に挨拶してから会議室を後にした。 イレーザーを持った警務課職員が、ホワイトボードに書かれた文字を見て手が止まった。言葉遊びでもしていたかのようなボードを、不思議そうに彼はしばらく眺めていた。
こくしかんさつじんじけん ABCさつじんじけん こうていのかぎたばこいれ ぎりしあひつぎのなぞ しのてつろ いぬがみけのいちぞく
平仮名で書かれた全ての作品の、4文字目に○が付けられている。 上から読むと――
かさいあつみ(葛西篤美)
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