リミアの心配をよそに、ティラウはさきほどまでの警戒心もどこへやら。 相手が魔族ということが思考から抜け落ちているのではないかといぶかしんでしまうほど穏やかな笑顔で、シンディーとの会話に花を咲かせていた。 「シンディーさんはこのヘンに住んでるんですか?」 「あぁ。つい最近の話だがな」 「本当ですか!? じつは私もむかしこのあたりに住んでたんですよ。あ、じゃあポシュリム遺跡って知ってます? あそこの奥に真っ赤な実のなる樹があるんですけどね、その実がもうすごく美味しいんですよ。ほんとうは立ち入り禁止なんですけどー、そのとき一緒にいた私の知り合いが冒険好きな人で、もうムチャばっかりするんですよ。夜中にロロークを何羽も引き連れて────」
最初はしゃべりまくることで恐怖を紛らわしているのかとも思ったが、よく考えればティラウはそんな可愛らしい誤魔化しをするようなやつではない。 天然だな。 リミアはおもわず溜息をついた。 「はははっ。おまえ、なんだそれ。ロロークってあれだろ。やたら耳障りなでかい声でギャーギャー喚くバケモノ鳥だろ。そんなものをけしかけられた町長の家は災難だな。私もその面白いやつに会ってみたいな。まだこのあたりに住んでいるのか?」 「あー、それがアリュはもうにひゃ……っ」 「その人っ、ほら! 冒険好きだから、今度はひとりでどこかに旅に出ちゃったのよ!」 リミアはあわててティラウの口を塞いだ。 「そうか。それは残念だな」 「はは、そうね。残念ね」 笑顔が引きつる。
「このアホーっ。なに言う気だったのよっ」 ティラウの耳を引っ張り、小声で怒鳴る。 「トシが不自然になるでしょうが!」 いま生きてる人間が二百年も前に死んだ人と親しくしていたなんてことがあるはずない。 「す、すみません。つい……」 「つい、じゃないわよ。まったく、これだからあんたは……。もういいから黙ってなさい」 「はい……」 なにやらすごすごと引き下がるティラウの様子を目にして、シンディーはおかしそうに笑った。 「おまえ、相当この娘の尻に敷かれてるな。魔族の私に自ら血を分け与えるようなやつだ。面倒を見るには苦労するだろう」 「あ、わかってくれます? そうなんですよ。だいたいリミアって、徹底的に人をこき使っては自分だけ甘い汁を吸うのが常識と思ってる人ですし、ムシの居所が悪ければ、町にどんな被害が出ようと知ったこっちゃないと言わんばかりの非常識な術を使うわ、お金に困ったりストレスがたまったりすれば盗賊襲うわ、気に入らないやつがいれば問答無用でつるし上げるわ……。おかげで、同じ精霊師の間でも怖がられちゃって……テっ!!」 ものすごい形相のリミアにおもいっきり足を踏まれ、ティラウはその場にうずくまった。 「黙れって言ったのが聞こえてなかったの?」 冷たい視線がティラウの上に落ちる。 それはたった十六にして史上最悪の…と言われるにふさわしい彼女の恐ろしさを見事に映している目だった。
シンディーは改めてリミアをながめた。 「あぁ…。リミアって、もしかしておまえ、リミア・テスヴィーンか? 破壊神と名高い」 「あら。名高いだなんて……ありがとう♪」 「リミア……。全然褒められてませんから…。破壊神ですよ? どうせ有名になるなら、もっといいことで有名なってくだいさいよ」 すかさずティラウが口を挟む。 まあ、この青年も学習能力に欠けるというか、…懲りないんである。 だからこそ、悪魔だの破壊神だのと呼ばれる少女のそばにいられるわけだが。 「そうか、おまえが優秀な精霊師がそろっているというテスヴィーン一家の末娘か。たしか、史上類を見ないほどの力の受け皿を持っている者だと聞き及んでいるが。噂どおりの性格らしいな」 くすっと、そこでシンディーは酷薄な笑みを浮かべた。 「しかも、魔の力を欲しているときている。最高にタチが悪い精霊師だな」 「それはどうも」 リミアはそっけなく返した。 えらくお喋りな魔族ね。 内心でそんな感想をおぼえた。 魔族といっても、彼らはとくべつな力を持っているわけではない。 怪力であるというほかは、ふしぎな術を使えるというわけでもなく、ふだんは見た目もふつうの人間と変わらない。 人間と魔族の絶対的な違い。それは命の期限。 魔族は不死身なのだ。 そして、この一点のみが彼らを魔族たらしめ、人々を恐怖に陥れている。 不死身ゆえに彼らは常に死を欲して彷徨い、自暴自棄から人を巻き込んでの破壊行動を繰り返す。 そんな彼らだから、瞳にはいつでも暗い翳りがあった。 シンディーの瞳にも暗い翳りは見てとれ、魔族の表情を覗かせているのだが……。 彼女はリミアが今まで見てきた魔族とは違い、投げやりな口調ではないし、口数が多い。 「まあ、魔族もいろいろねぇ」 「おまえに言われたくはないぞ」 ぽつりとこぼれたリミアの独り言に、シンディーが即座に返した。 「どうでもいいけど、あんた女の子でしょ? その男みたいな言葉づかい、どうにかならないの? せっかく可愛い顔してるのに」 「はっ。女? 顔? それがどうした。そんなものは私の目的に必要ないものだ」 「つまり、死ぬこと以外は眼中にないってわけね。それはそれは、じつに魔族らしいことで」 やはり、魔族の目的はみな同じか。 シンディーの魔族らしからぬ雰囲気に惑わされていてはマズイことになると、リミアは改めて肝に銘じる。
間違ってもティラウの正体を知られてはならない。 彼は、その命とひきかえに、魔族たちが求めてやまない死を与えられる唯一の一族。 竜族なのだから。
彼ら竜族は、精霊師の力を借りずに人型をとった場合、さきほど会った銀髪の女のように、明らかに人間ではないという特徴をもった姿になってしまう。 それゆえに彼らは精霊師と契約を交わすのだ。 魔族から身を隠し、その身を守るために。
けれど、そんな思考などはおくびにも出さず、リミアはシンディーを見やった。 「ところでさぁ、うちのバカが町まではここから歩いて二日もかかるって言うんだけど、ほんとうにそんなにかかるの?」 シンディーは訝しげな顔をした。 「ふつか? なんだそれは。それは王都までの距離じゃないのか? 私の住んでる町はここから半刻ほどで着くぞ」 「なんですって?」 ギロリと、殺気立った視線がティラウを射抜く。 リミアのとなりを歩いていた彼は、マズイ…とばかりに顔面を硬直させ、あとじさった。 「どういうことかしら? ティラウちゃん」 「いや…その……。リミア、ここがチャクレマ国ってこと忘れてないですよね? ここの盗賊たちの間では、リミアは立派にブラックリスト入りしてるんですよ。へたに町に出て襲われるより、まだ国王の威信の届くところにいるほうが……」 「まさかあんた、だから森を通ったとでも言うんじゃないでしょうね……? しかも、森から出ないようにわざわざ遠回りさせて……」 「だ、だって、そのほうが安全でしょう?」 いたって真面目な声で答えるティラウだったが、その足はいまだにじりじりと後退をつづけていた。 「あ、あんたねっ、この私をなめてんの!? 盗賊が何よ。向かってくるなら、誰であろうとボッコボコの返り討ちにしてやるわよ!」 「ちがいますよ。リミアじゃなくて、町にでる被害が心配なんですって」 バカ正直にも、彼は思っているままを口にしていた。 それは、もはやどうにも救いようのないセリフであった。 見る間にリミアの顔に血がのぼっていく。
「ぬぅあんですってー!? くぅぉのーっ。主人を猛獣扱いして森を歩かせるバカ従者がどこにいるかーっ!」 「わっ、わっ、アツ…っ!! なにするんですかぁ……!」 熱風が走ったかと思うと、ティラウの巻くスカーフに炎が宿っていた。 「さては、食料が沼に落ちたのも全部あんたの策略ね!? 許せなーいっ」 「はあっ!? なに言ってるんですか! あれはリミアが私を蹴ったからでしょう! 危うく私まで沼に沈むところだったんですよ!? どさくさに紛れて、そんなことまで私のせいにしないで下さいよっ」 言いながら、ティラウは容赦なく燃え上がる青いスカーフを自分の首から引き千切る勢いでとり、振りまわして火消しに必死だった。 ティラウが地面に放り投げて踏むスカーフを、走り寄ってきたリミアまでが一緒になって踏みつける。 それはスカーフの火消しをしているのか、ティラウの足を踏んでいるのか、おおいに判断に迷うところであったが。 「あぁっ、リミアひどいですぅ!」 「こんちきしょおぉ!!」 火が消えても、リミアはまだぐしゃぐしゃと踏みつける足を止めないので、スカーフはもう泥まみれのボロボロであった。 「もうっ。そんなに憎々しげに踏むことないじゃないですかぁ!」 今度はリミアの足元からスカーフを救い出そうと躍起になるティラウだったが、タイミングを間違えてリミアの足ごと掬(すく)いあげてしまった。 当然、リミアはバランスを崩してこけたわけで。 直後に、スカーフが燃えるどころの騒ぎではない炎がティラウに襲いかかったのは言うまでもない。
「おまえら、バカだろ……」 遠巻きに眺めるシンディーがぽつりと呟いた言葉は、彼らを前にしてどこか空しく響くのだった。
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