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微睡みの傷痕 作者:流菜

第2回   炎の愛娘A
 彼女の長い銀髪はやはり明るい光をまといつかせていて、異様なまでに目を引いた。
 恐怖に怯えきり、見開かれた目。その虹彩の色は銀。瞳孔は針のように細く、明らかに人間の目とは異なっている。
「あなた…、竜族の方ですね?」
 びくっと、女の肩がはねた。
「精霊師の方はどうされたのです?」
 くちびるを震わせながら、女はティラウを、そしてリミアを見おろした。
 何かに気づいたらしい女の目が、すがるようにリミアを凝視する。
「ころ……殺され、たの。急に、後ろから矢が……あぁっ。たすけて、おねがい助けて」
 リミアをつかもうとする女の手を、ティラウがとめる。
「待ってください! リミアは────」
「あなたも精霊師でしょう!? だったら私を助けて! おねがいよ!」
「いや、急にそんなこと言われても……」
「おねがい、早く! このままじゃ、あなたも見つかって殺されるわよ!?」
 寝転がったまま気だるげに女を見上げていたリミアは、しばし沈黙し、すっと目を細めた。
 一瞬で変わったその表情は、とても冷めたものだった。
「あんたをここに置き去りにしていけば、私らは見つからないから助かるけど?」
「な……っ」
 リミアはふんと鼻を鳴らした。
「あんたを助ける義理は私にはないからね」
「あ、あなた、それでも精霊師なの!?」
「ムチャ言わないでよ。精霊師だからって、そんなにすぐホイホイと竜族と契約が結べるわけないでしょ。そもそも、精霊師は竜族を助けることが義務なわけでもないし。勘違いしないでよね。ティラウ」
 手を貸せと、目で合図する。
 女は驚愕と怒りで大きく目を見開き、顔を真っ赤にしていた。
「あんまり怒ると変身して、それこそ一発で居場所を知られるわよ。あんた、いちおう逃げてるんでしょ? がんばってね」
 女に背を向け、リミアはティラウの手をつかんだままさっさと歩きだした。
「リ、リミアちょっと、見捨てる気ですか?」
「だってあの女、私の好みじゃないもん」
 あっさりと言い切る。
「そ…そんな理由で? なんて冷たい。好き嫌いで契約を決めるなんて……」
「好き嫌い以外に何で決めるっていうのよ」
 何度も後ろをふり返るティラウをよそに、リミアはずかずかと歩を進めていった。
 そのとき、パチパチと、どこからか手を叩く音がした。
 リミアは慌ててふり返った。
「やあ、お嬢さんおもしろいね。見てて気持ちいいよ。…ま、昼寝の邪魔されたのはちょっと気分害したけどさ」
 いつの間にか、茂みの向こうに見える木の上から、若い男がひょっこりと顔をのぞかせていた。
「ティラウ、あいつ……」
「いえ、あの人は違います」
 小声で返された答えに、リミアはほんの少しだけ警戒心を解いた。
 よっと、かけ声とともに男は木から飛びおりた。
 若い…まだ二十代前半といった様子のその青年は、風で乱れた癖のない栗色の髪を無造作に掻きあげた。青い瞳を抱く切れ長の目があらわになる。
「そりゃねぇ、助けてもらうのが当然と思ってるヤツは助ける気もなくなるってもんだよね。お嬢さん、おれと気が合いそうだね」
「だれ、あんた。覗き見とはずいぶんと趣味がわるいじゃない」
 彼もティラウと同じようなタイプなのだろう。造作自体はまぁ、悪くはないのだが、そのぽわんとした表情から、どこかすっとぼけた印象を受けた。
 それでも、迷惑そうに顔をしかめたその表情は、それなりに様にはなっていた。
「あのね…。あとから来て、ひとの昼寝の邪魔したのはそっちのほうだろ? 人聞きのわるいこと言わないでほしいな。それより君、あの娘いらないなら、おれが貰っていいかな?」
「あんたも精霊師?」
 青年はにっこりと笑った。
 リミアは胡散臭そうに彼を見やる。
「助ける気なくなるんじゃなかったかしら」
「いや、それがおれ、しがない孤独な旅人でね。そろそろ連れがほしいなーとか思ってたとこなんだ。この娘はおれの理想ぴったりだし。ね」
 いきなり可愛らしく片目を瞑ってみせたりするものだから、リミアの背筋には寒いものが走り抜けた。
「……そういうことは本人に訊いてちょうだい。私の知ったこっちゃないわ。行くわよ、ティラウ」
「あ、はい」
 ホッとした顔で足取りもかるく、ティラウはリミアのあとについた。
 ほんとにこのお人好しはどうにかならんものかと、リミアは内心で溜息をつくしかなかった。
 ちらりと肩越しに背後を見やれば、竜族の女は旅人青年の前にひざまずいていた。
 その髪にさきほどまでの光が見られない。
 どうやら本当に青年と契約を結んだらしい。
「…あの、リミア。こっちに進むのはまずいんじゃないですか? ねぇ。引き返しません?」
 とつぜん子どもみたいに、ティラウがぐいぐいとリミアの袖を引っぱっりだした。
 鬱陶しそうにリミアがその手を振り払う。
「バカ言わないでよ。目的地はこっちなんだから進むに決まってるでしょ。引き返してどうするのよ。町にたどり着けないじゃない。私の空腹が満たされないわ」
「で、でも、さっきの女性はこっちから走ってきたんですよ? このまま進んだら……」
「そこのおまえたち」
「ほら、やっぱりぃぃ!」
 リミアはいきなりティラウに抱きすくめられた。
 木陰から幽霊のように現れた少女は、可愛らしく微笑みながら近づいてくる。
 ゆるくウェーブしている癖毛と、どこかあどけない輪郭が印象的な少女だった。
「おまえたち、光る銀髪の女を見なかった?」
「しし、知りませんよ? そんな人は。それじゃ、あの、私たちは急ぐのでこれで」
 リミアを抱きかかえたままティラウは走りだしかけた。が。
「おや? おまえは精霊師だな……?」
 ティラウの全身が緊張に固まったのを、リミアは彼の腕のなかで感じた。
 目の前で少女の笑みが深くなる。
 可愛らしいそれから、悪魔を思わせる残虐なそれへ。
 紅い瞳が禍々しい光を宿す。
「あの女を知らないというなら、とりあえずおまえでもいいわ!」
 少女が勢いよく地面を蹴った。
「ティラウ、離して!」
「だめですよ!」
「いいからっ」
 みぞおちに肘鉄をくらわせ、リミアは強引にティラウの腕から脱出。すぐさま地面を蹴りあげた。
 少女が目をかばって立ち止まった隙に、ティラウの腰から引き抜いた短剣を少女の影めがけて投げつける。
「貴様……っ」
「あら。私のこと貴様呼ばわりなんてしていいのかしら。せっかく助けてあげようと思ったのに」
「リミア!? なに言ってるんですか!」
 ティラウの言葉など無視で、リミアは動きを封じられた少女に歩み寄った。
 反射的に少女の手がリミアをつかもうとするが、それは手が震えるだけに終わった。
「ムダよ。ティラウの剣は特殊な術がかけられてあるんだから。ねぇ、私と取引しない?」
 そう。リミアは彼女を待っていたのだ。
 竜族をあれほどの恐怖に叩き落しながら追うのは、彼らをおいてほかにない。
 リミアが探している物の、本来の所有者である彼らしか。
「取引、だと?」
 彼女は訝しげな顔をした。
「ええ。取引よ。教えてほしいことがあるの。私のほしい情報をくれるなら、あなたに私の血をすこし分けてあげるわ。どう?」
「リミアっ!」
 非難の声を上げるティラウのことなど、当然リミアは無視した。
 だが、目の前の少女も興味なさげにリミアから視線を外した。
「馬鹿な。だれがそんなことを信じるか」
「ふぅん。イヤならいいのよ? あんたはずっとここでそうしてれば」
 少女はくちびるを噛んだ。
「……なにを、知りたい」
「魔導書のことよ」
「おまえ、精霊師ではないのか?」
「無駄口はいいから答えなさい」
「……どの、魔導書だ」
「リュシネイルの魔導書の在処について知っていることを教えて」
 少女はリミアの顔を覗きこみ、笑いだした。
「あははは…! おまえ、だったら我らと契約しろ。そのほうが手っ取り早いぞ」
 リミアは足もとにある短剣を踏みつけた。
 少女がぐぅっと呻き声をこぼす。
「私はあんたたち魔族の手足になるつもりはない。さぁ、答えるの、答えないの?」
「ふん。魔導書を探しているのだから同じことだろう。堕ちた精霊師が。───まぁ、よかろう。リュシネイルの魔導書はかなり昔にバラバラにされたからな、私もすべての在処を知っているわけではない。私が知っているのは一ヶ所だけだ」
「それでもいいから教えて」
 少女はリミアを見下すように鼻で笑った。
「トゥリアという村だ。この国の西のはずれにある」
「トゥリア……ね」
 リミアは左の人差し指に歯で傷をつけると、それを少女に差しだした。
 少女が目を瞠る。
「約束よ。あげるわ」
 差し出された手とリミアの顔を交互に見比べ、少女は苦笑した。
「おまえ、面白いヤツだな。では、遠慮なくいただくぞ」
 指先に触れる生温かく湿った感触に閉口したが、リミアは黙っていた。
 次に顔をあげたとき、少女の瞳は紅から漆黒へと変色していた。
 心なしか、顔つきも少しばかり穏やかになったように思えた。
「楽になったかしら?」
「ああ。おまえ、かなり上級の精霊師だな。名はなんという?」
「そっちから先に名乗りなさいよ。失礼ね」
「私はシンディーだ。おまえは?」
「リミアよ。で、そっちにいるのはティラウ」
「もうっ、リミア! なに魔族と親しげに会話してるんですかっ。血まであげて! じ、自分が何してるかわかってるんですか!? 殺されますよ!?」
 血相を変えるティラウを、少女は冷たく一瞥した。
「心配するな。しばらくはもつ」
「し、しばらくって……!」
「勘違いするな。私は殺しが趣味なわけじゃない。精霊師を殺したところで私が死ねるわけじゃないからな。発作が治まればそれでいいんだ。殺すなら竜族……。まぁ、おまえたちが死にたいというなら協力してやるが?」
 口もとだけに深い笑みを刻むその表情は凄惨そのもので、リミアは一瞬背筋が寒くなった。
 目の前がすべて闇につつまれた錯覚に陥る。
 彼女の白い手が、いまにも心臓を突き破りにくるかと思った。
 リミアはちらりとティラウに視線をやった。
 相手はやはり魔族。油断大敵だ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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