炎の鳥を意味する国号を戴く彼(か)の地は、ルウガという。 十数年前、この地で炎の精霊は嘆きのなかにいた。 炎の精霊の腕の中には、愛してやまないひとつの魂があった。 その魂は炎の精霊が守護する地に、今まさに降り立とうとしていた。 けれど、己があまりにつよく愛してしまったがために、その魂が燃え上がってしまうことがあっては哀れと、炎の精霊は嘆いた。 その姿を見かね、他の精霊たちが手を差し伸べた。 風の精霊は穏やかな吐息を、水の精霊は一滴の涙を、加護として彼女に与えた。 樹木や大地に戯れる精霊は、魂が易々と燃え尽きることなきよう、広き器を工面した。 そうしてさまざまな精霊に護られながら、彼女は炎の国号を頂く地に生を受けた。 彼女は炎の精霊より祝福を受けたことを周囲に知らしめるかのように、みごとな茜色の髪をしていた。 精霊の祝福は、甘い蜜。 それは運命の交わる場所となる────。
「…ティラウ……」 「はい、なんでしょう?」 ぐぅーきゅるると、乙女にあるまじきリアルな腹の音が、風とともに森のなかの道なき道を横切った。 土の上にべったりと座りこみ、茜色の髪をした少女は天を仰いだ。 「お腹すいたー。もう動けないよぉ」 「えぇっ? こんなところで我儘言わないでくださいよ。町までもう少しですから」 「そのセリフはもう聞き飽きた! 昨日の朝からずっとそれじゃない! 本当のことはっきり言ってよ。町まであとどのくらいなの!?」 少女に向かって伸びかけていた青年の手がとまった。少女に睨まれて、おもむろにその手が頭にむかう。 青年はグレーの瞳を、頭上で自由気ままに生い茂る枝葉にむけた。 あらわになる頤(おとがい)はすっきりとしていて、少しの無駄もなかった。細い眉に、切れ長の目やとおった鼻筋も、絶妙のバランスで配置されていて、じつに見目のよい容貌……に、ふつうならなるのだろうが…。彼の場合は、何も考えていないのが丸わかりのぼんやりと開かれた瞳は、なさけない印象しか相手に与えなかったし、形自体はよくても、今ひとつキリリとしない口もとも、ただ頼りなさだけを強調していた。 けっきょく、最終的にはとぼけた顔という結論しか出てこないのである。 おまけに、彼は声の調子にまで締まりがなかった。どこからか空気が漏れていそうな話し方をするのだ。 「あのぅ……、言っていいんですか? 本当のことなんて」 「いいからはっきり言って!」 それでも少し迷う様子を見せてから、青年は開き直ったような笑みを浮かべた。 「まぁ…だから、あとたった二日ですよ」 あからさまな沈黙がおちた。 しっかりと指を二本たて、にこにこと笑う青年の表情が、少女の怒りの火に油を注ぐ。 「それの……、それのいったいどこが、あと少しなのよぉぉっ!」 勢い込んで立ち上がろうとしたが、お腹に力が入らずに、少女はそのまま頭から地面に突っ込んでしまった。 「リ、リミア!? 大丈夫ですか!?」 「うぅぅ…気持ちわるい……。気持ち悪いじゃないのよっ。どうしてくれんのよ!! どう責任とってくれるの!? この空腹感と疲労感と不快感をっ」 「あぁ、落ち着いて。ね? 落ち着きましょ?」 うつ伏せの身を強引に半回転させて、顔についた土やら葉っぱやらを払ってくるティラウの手を、リミアは力いっぱい振り払った。 「この状況で落ち着けるかっ。私はあんたとは違うんだから! お腹がすくの! お腹がすいたら動けなくなるし、機嫌も悪くなるの!」 「そんな…お腹くらい私だってすきますよ。だから、もう少し頑張りましょ?」 「あんたが言ったって全然説得力なぁい! しかも全然もう少しなんかじゃないしっ。私、もうここで死ぬ……」 リミアはティラウに背を向けるようにして倒れたまま、だらりと手足の力を完全に抜いた。 「なに言ってるんですか、もう。ほら、立ってくださいよ。日が沈んでしまいますよ」 「知るもんか。どうせ私はここで野垂れ死ぬ運命なんだから」 リミアは頑として動かなかった。たしかに空腹で動く気力も萎えていたのだが、どちらかというと、空腹からくる不機嫌のほうが最高潮に達していた。 食料の入ったカバンを途中にあった沼に落としてしまったせいで、昨日からほとんど何も食べていない状態なのだ。 水を工面することは、精霊師であるリミアにとって理屈上は可能だった。しかし、いかんせん空腹では出る力も出ないし、気力もない。 そんなわけで、今では喉までが渇いていた。 いくら森で多少は涼しいといっても、いまは夏。体じゅうの水分が空気中に霧散していくのを止めるすべはなかった。 渇ききった喉は痛みを訴え、声すらも水と間違えて咽頭に吸い寄せられるかのようだった。 「樹木の精霊がついててもダメなものなんですか?」 なにバカなことを抜かしてやがると、リミアは内心で悪態をついたが、声までは出なかった。 「精霊さんが助けてくださるとありがたいんですけどねぇ。食べられる果実をぽーんと運んできてくれたり。…ムリですかね、やっぱり。そんなの」 腕組みをして真剣に考えこむティラウ。 プチンと、リミアのなかで何かが切れた。 「くぉのクソボケがぁ! 夢みたいなこと言ってないで、さっさと自分の足でなにか探してこんかーいっ!」 「アタ…っ。もう、冗談ですよぅ。そんなこと本気で言うわけないでしょう。わかりましたよ。なにか食べられそうなものを見つけてきますから、ここで待っててください」 「あんたが言うと冗談に聞こえないのよっ。とりあえず、食べるものはモルフ鳥の香草焼きをおねがいよ」 「あのねぇ…。そんなものがここにあるわけないでしょう。お店じゃないんですよ」 「じゃあ、手っ取り早いとこで竜のスープ」 「それのどこが手っ取り早いんですか! 怖いこと言わないでください。まったくもう…」 溜息とともにティラウが立ち上がりかけたときだった。 ───きゃあああ!! 「な、なんですっ!?」 鳥たちがいっせいに木々から飛び立つ。 リミアも両腕をつっぱり、思わず上体を起こしていた。 「リミア、あそこ!」 「あら…、スープの材料が走ってくるわ」 「ちがうでしょう!」 正気とは思えない奇声をあげ、女がこちらに向かってくるのが見えた。 その銀髪がとても太陽光の反射だけとは考えられないほどの明るい光を放っている。 …いや、そもそもここは森のなか。ティラウの金髪でさえ暗い色に翳っているのに、その輝きようはまったく異常としか言いようがない。 「ひぃぃ、あのコースだとまともに踏まれちゃうっ。あの様子じゃ、絶対私たちのこと見えてないって!」 頭を抱え、リミアは顔面を地面にねじこむ勢いで突っ伏した。 小枝や葉が擦れあう音、枯れ葉が撒き散らされる派手な音がまっすぐに近づいてくる。 すぐそばまで迫った人の気配に、リミアはいよいよきつく目を閉じた。
「……あのねぇ、リミア。少しは横に転がってよけるとか何とかしたらどうなんですか」 おそるおそる顔をあげれば、リミアの少し手前で、ティラウが問題の銀髪女性をしっかりと片手で抱きとめていた。…と、言っても、その腕は走者に切断されかけたゴールテープさながらだったが。 「だから、動けないってさっきから言ってるでしょ」 「それにしたってねぇ……」 ふいっと、リミアはそっぽを向いて頬杖をついた。 「はなして放してっ! はやく……早くしないと殺される。おねがいだから放してぇ!」 女はティラウの腕に止められながらも、それでも前に進もうと、必死の形相で空(くう)をかきつづけていた。
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