何年も待ち望んだこの瞬間 時が止まって欲しいと願う
急いで空港に電話し、次のキャンセル席のチケットを予約する。 君がアメリカを発ってもう何時間も経った。 1便遅れで君を追いかける。 待っててくれるなんて保証は何処にもないだろうけど、逃げた俺を追いかけてくれたように、今度は逃げた君を俺が追いかける。 何か、頭で考えると可笑しいな、一人で笑って見せた。 どんなに笑っても…でない笑い声の所為で無性に哀しくなる。 『自分を哀れだと思う時点で哀れなのだ』 アラン・ハスキーの聞いた事のない声が耳の奧に聞こえた。 そうだ。喋れない自分が可哀相だと思った時、本当に自分は可哀相な人になってしまうのだ。 足早に、良く通った彼女の家へと向かう。 うす暗くなってきて、明かりが灯されていないこの辺り、女の子が一人で歩くには危ないとおりだ。 俺よりも何時間も前に日本に到着しているのだから、彼女は勿論家に帰っているだろう。 そう信じてチャイムを押した…のだが、彼女の家の者を含む、この家の主は一人も玄関先へと姿を見せなかった。 みんな留守なのだろうか、はたまた居留守なのだろうか。 …この場合、彼女たちが前者である事を望んだ。 流石に好きな女に居留守を使われた年ったら、幾ら何でもショックを隠す事は出来ないから。 ポケットから携帯を取り出すと、メール作成の画面へと誘導する。 宛先の欄に、完の名前を入力しメールアドレスにカーソルを合わせ。決定作業を施す。 『雪薇、知らない?』 短文メールを急いで創り、送信ボタンを押す…と画面に白い封筒を持った意味の分からないキャラクターが何度か左右に揺れた末、俺に背中を見せ『送信完了しました』という看板を持ち、手を振ったかと思うと、今度はその看板が『受信しました』と変った。 『ここにいるよ、何時間もお前の話してる。』 しばらく連絡を途絶えていた友人からの唐突なメールにも、律儀になにも聞かずに聞かれた事だけを忠実に答える完は相変わらず友達甲斐のある奴だ。 『今、雪薇の家の前にいるんだけど、俺も完の所へ行っても迷惑じゃねぇ?』 雪薇が変えてくるのをジッと待ってる気分じゃない。 居ても立ってもいられない。一分でも早く、1秒でも早くあってそして嫌になるくらい抱きしめたい。 『いや、これからおーみちゃんが帰るってよ。後、俺にも会いに来い。』 素早い完からのメールに愛を感じながら、もうすぐ雪薇に会えるという緊張からか、目の前が廻る程グラグラとした。 『緊張は一種の麻薬だよ、緊張するなと思えば思う程、体は動かなくなる。 さぁ、まずは呼吸を整えるんだ。』 〜すぅ。 あの小説の中の、作り物の人物に俺は、何度助けられた事か。 深呼吸をすると、体がふわり、と先程よりも軽くなる。 …よし。 心の中で、小さく自分にエールを送った矢先に、遠くの方からこちらに向かって歩いてくる、白い影。 …雪薇。 口は開くが、彼女の名前は声として現れない。 「ら…い?」 俺の代わりに、彼女が俺の名前を口にした。 信じられない、というように大きな瞳を更に大きく開いた。 俺は携帯を取り出すと、一通のメールが届いているのに気が付いた。 『がんばれ。』 それは完からの応援メールで、俺を応援しているのは、俺自身じゃないんだと知った時、どれだけ“人のつながり”と言う事が大事なのかと思い知らされた。 俺は、雪薇の驚いた表情と、完からのメールが嬉しくて、笑って見せ『そうだよ。』そう一言打って、雪薇に見せた。 「なんでいる…」 雪薇の問い掛けに答える間もなく、俺は頭よりも先に体が動く…ということを初めて体験した。 『待たない』 いつの間にか抱きしめていた雪薇にそう打ったメールを見せると、観念したように彼女の力が抜けた。 「なんで…いるの?」 上目遣いで俺の顔を下から映し込む。 彼女のその心を見透かしてるような瞳も健在らしく、黙っていても全てがばれている気がしてならない。 『会いたくて来た。雪薇、俺は君が…』 どうしても、その後の言葉は自分の声で、言葉で伝えたかった。 でも、伝えなきゃと思えば思う程、声が出る気配はない。 あぁ…成る程。今、彼が云った言葉がようやく理解できた。 『緊張は一種の麻薬だ』といった彼、そして『呼吸を整えるのだ』 一つ、小さな溜め息を零し、次に大きく空気を体内に吸い込む。 楽になったように、変な所に溜まった緊張の水や糸などが全て流れ、切れた気がした。 「好き…だ。」 次の瞬間、自分の声とも思えない程の嗄れた声が、彼女の耳にも届いたようだ。 俺の頬を両手で挟み、見られたくなかった顔を無理に雪薇の方に向けさせられる。 「頼…頼っ。」 何度も、彼女は俺の名前を呼んだ。 「…泣かないでよ。」 意地悪く、雪薇はそう言って自らも流してる涙をぬぐい取った。 「嫌いって言って…って言ったのに。」 こんがらがるような言葉を並べて君は俺にそう言った。 〜無理だよ。 声は出なくとも、口だけパクパクと動かしてみせる。 服の袖で、止まらない涙を必死で拭いつつも笑った。 「あたしも好き…なんだよね。」 照れたように俯いて、雪薇は俺に言った。 その言葉、本当に信じていいんだね? 真っ赤に染めた頬を、今度は俺が両手で挟み、そっぽ向こうとする雪薇を俺の方へと、向ける。 耳の傍で、出ない声を限界まで出して“好きだよ”と囁いてみせた。 彼女には届いていないはずなのに…一層赤く頬を染めた。 あまりにそれが可愛く、飽きるまで俺は彼女と自分の唇を重ねた。 『人生に置いてあまりにも大きな壁は不覚にもわたし達を傷つける。 けれどそれを乗り越えたものは、何者にも揺るぎないものを掴む事が出来るだろう。』 腕の中で微笑む彼女をだきしめながら、彼の残した最後の言葉を心の中で何度も呟いた。 ようやく手に入れた幸せの数だけ俺は、不幸せを掴んできた。 もし、君を手に入れたという幸せの代償が、声を失くすという不幸せだとしても、俺はきっと君という幸せをバカみたいに望むだろう。 それが、どんなに不幸せになろうとも望んだ…たった一つの幸せだから。
君は、何を望みますか? そして、それがどんな不幸せを呼ぼうとも乗り越える事が出来ますか?
|
|