走って、抱きしめて、笑い合える、そんな日々。 …とても懐かしく思う。
チケットを握りしめて、何も考えずに小さなカバン一つで飛行機に飛び乗っていた。 当たり前のようにまた、頼と笑い合う日々が続くのだと、信じ切っていたあの瞬間が一番幸せだったのかもしれない。 同封されていた地図にそい歩き、次第に近づいてくるのは、大きな家でも小さなアパートでもない、ただただバカでかい、真っ白な建物。 「…頼?」 少し、頼を疑った。 こんな所にいるわけがない、と。 彼は道を間違えただけなのだ、と。 疑ったわけじゃない、信じられないわけじゃない…。信じたくなかったんだ。 あの頼がこんな所に用事があるわけが無い…こんな、わざわざアメリカの病院に行かなきゃいけない理由なんて、あるわけが…無い。 地図に走り書きされた【607】の数字、もしこの地図があっているとしたら、これは頼が入院している号室だろう。 意を決して、病室を尋ねる。…“頼がいるわけない”というほんの僅かな気持ちを捨てずに。 「〜頼?」 静かにドアを開き、顔だけ中に覗き込んだ。 中は意外と広く、白いベットの横には一人、少年の姿。 長針で、耳には何個も開けられた穴。そして…夏蜜柑の頭。 「頼、眉間に皺よってるよ?」 あたしが、微かに笑って指さした。 「〜ごめん。」 一言、頼の零した謝罪の言葉に、一気に抑えていた気持ちが弾けた。 「会いたかった、会いたかったよ。」 頼に、思いっきり抱きつく。 “愛してるよ” 微かに、頼がそう告げたのかと思い顔を上げた。 急に唇が温かくなり、頼の唇が降ってきた。何度も、何度も。 そして、離れたと思うと、真っ白い封筒があたしの視界を覆った。 「…ん?」 首を傾げ、頼の瞳を見る。 夏蜜柑の髪を軽く揺らして“読んで”とでも言うかのように封筒を更に突きだした。 あたしはそれを不思議ながらに受け取ると、封筒から一枚の手紙を引き出すと、ゆっくりと広げてみる。 『弱すぎた俺から君に送る本当に最後の手紙です。 最初に君を目の前にして言える言葉は“ゴメン”しかないよね。 俺が日本を発った理由、此処にいるって事は大体分かってるかな?』 その手紙を読んでくうちに、自分の眉間にも皺が寄っていくのが分かった。 今の顔、さっきの頼と同じだろう…と一人で思った。 『君に言わなきゃいけなかったことなんだろうけど、ごめん。言えなくて。 俺の声は、もうでないんだ。 なんだか難しくって分からない病気にかかった結果、俺の声は多分出てこなくなる…らしい。 何回もの手術を超えて、ようやく少しは出せるかも知れないのだけど、分からない。 もう二度と君と会話が出来ないと思うと辛くて、逃げた。 “アメリカで手術を受ける”という名目で…日本を、君から逃げたんだ。 今、君の目の前にいる俺は、既に喋ろうにも、中々声が出てこないだろう。 そんな、そんなガラクタのような人間へと成り下がってしまったんだ。 それでも君は愛してくれる? それでも君は愛してくれると言ってくれる?』 ちょっと低いけど、男の子にしては高い声のした頼。 怠そうに喋るのが特徴で、普通にしててもやる気のないオーラが出てる…そんな彼ともう喋ることは出来ない? 信じられない…うんうん、信じたくない。 そう思えば思う程、致死量に達するんじゃないかという程の涙が溢れ出た。 「これ…嘘だよね。」 疑問じゃなく、嘘と決めつけて笑って頼を見た。 辛苦に顔を歪め、美しい夏蜜柑を無造作にかき上げた。その表情が真実を告げているのだと言う…何よりもの証拠で、哀しくなった。 「嘘だって…言ってよ。」 頼の両肩を掴んで、何度も揺さぶる。 信じたくなくて、何度も何度も呟いた。 「なんで、なんで…」 答えの返ってこない疑問を頼に投げつけ、もらった手紙を床にたたきつけた。 「こんな事なら、手紙なんて欲しくなかった。」 そう告げ、カバンの中から今までの、沢山の手紙を取り出すと、びりびりに破いてその場へと落とした。 白い紙がヒラヒラと舞い落ち、床へと身を納めた。 パサパサ…音が止まると同時に、自分が今どれだけのことをしたのかようやく自覚した。 あたしは彼の…頼が前からあたしの為にしていてくれた事全てをムダにしたのだ。 「ごめん…また来るね。」 頼は大きめの瞳を更に大きく見開くと、切り裂かれた手紙をジッと見つめた。 今にも泣きそうな顔で、でも彼は決して涙を落とさなかった。 そんな、自分でやった惨状を見ても泣かない彼を見るのが辛くて…彼に背を向け、その場を離れた。 胸が、引き裂かれる気持ちでいっぱいになる。ズタズタにナイフで切り刻まれる感覚。 こんな気持ちになるくらいなら、もう…頼に会わない方がいいのかも知れない。 もう…頼に会いたくない。否、会う…権利がない。 頼に会えば、あたしの物語は終わると思ってた。 全てが終わり、また再びあの頃の二人に戻れると思ってた。ずっとそう信じてた。 何時までも変らないと思ってた、あたしは頼と何時までも愛し合っていけると…。 けど、結局自分から頼を捨てたのだ。 大好きで大好きで仕方なかった彼から、今度はあたしが逃げたのだ。 …ごめんね、頼。
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