功夫の那美に対する奇妙な言動は、日に日にエスカレートしていった。しかし、その大部分は、那美に不快感を与えつつも、悪趣味な冗談とも受け取れる子供じみたものが多く、辛いことが重なって多かれ少なかれ精神を病んでいる功夫のことだから、那美も功夫の心の傷が癒えるまで我慢してあげなければならないと思った。 例えば、テレビに那美と全く違うタイプの女性が出てくると、功夫はわざと那美の目の前で、 「十代の女の子はいいな。」 「長い脚だな。俺ぐらいありそうだ。あんな女抱いたら最高やろな。」 等と言ってみせた。那美はこれらの奇妙な言葉を聞いて、少なくとも快くは思わなかったが、嫉妬の気持ちも起きず、ただ功夫の子供っぽさに呆れた。そういうとき、那美はいつも相槌を打って、 「本当だ。可愛い子ね。」 と答えた。 また、肌を露出した女性が出てくると、食い入るようにテレビを見ながら、 「あの女欲しいわ。あれを嫌いな男はおらん。」 等と言うので、那美は、 「だったらテレビ局にお願いして連れてきてもらえば?」 と言って笑った。
DVDを借りに行っても、那美が嫌がることをわかっていながらアダルトコーナーに入ってみせたり、那美が自分が見たい映画を選ぶと、 「お前の好きな映画は俺には難しすぎて退屈なだけや。男は暴力とセックスが見たくて映画ば見ると。」 などと意味不明なことを口走った。それでも流石にアダルトビデオを借りて帰ることは無かったが、那美の趣味で選んだ映画を見ているときには、「つまらない」と言って眠ってしまうことが殆どだった。 しかし、DVD上映中ずっと眠っていながらも、ラストで目が覚め、登場人物が泣くシーンが出てくると、功夫も一緒に泣くことがあった。そんな功夫に、那美はよく、「なんでストーリーも見ていないのに泣けるの?」と訊いた。対する那美は、何故かまるで異常に涙もろい功夫に涙を奪われてしまったかのように、映画を見ても全く泣けなくなっていた。
そんなある週末、功夫と那美がスーパーで買い物をしていると、功夫の携帯に仁志から電話が入った。 「あ、いさやん、いやあ、へへへ…。」 「なんだよ、仁志。何かいいことあったか?」 「実はさ、俺、ジーナにプロポーズしたんだ。」 功夫は一瞬驚きとともに言葉を失った。 「びっくりした?」 「そりゃびっくりするよ。で、ジーナちゃんは?」 「すんなりOKしてくれたよ。」 「ひ、仁志、よ、よかったな。最高のパートナーに出会えて。」 「いやあ、ありがと。具体的なことが決まったら連絡するよ。じゃあな。」 功夫は電話を切ると、大きくため息をついて那美に言った。 「仁志のやつ、ジーナちゃんにプロポーズしたって。」 那美も驚いた。仁志とジーナはまだ知り合って一ヶ月も経っていないはずだ。 「ああ…。これで、あいつにもすぐに子供が出来るんだろうな。」 実は、仁志は功夫にとって、同じ離婚経験者でしかも子供もいないということで、傷を舐め合う共に、お互いをある意味ライバル視もしていた。そのライバルが、じき結婚して、父親となることで、自分一人が置いていかれて惨めな思いをすることを功夫は恐れた。
十一月上旬、退院して四ヶ月が過ぎ、病気が完治した那美は、体もふっくらし、体重も病気になる前と同じ五一キロに戻った。一時期四一キロまで体重が落ちていたので、十キロ増えたことになり、那美も流石に気にして徐々にダイエットを始めてはいたが、病後で筋肉が落ち、しかも栄養の吸収が良くなった体は、なかなか思うように痩せなかった。一方、会社の同僚からは、今の方が健康的でいいと言われていた。 功夫は、相変わらず、那美を嫌がらせるかのように、テレビや雑誌に痩せた女性が出てくると異常なまでに興味を示して見せ、 「女はガリガリが丁度いい。」 などと理不尽なことを言った。世の中の多くの男性は、病気のように痩せた女性よりは、あくまで健康的にふくよかな女性を好むものだが、フェティッシュとも言うべきか、極端に痩せた女性を好む男性もいないことはない。しかし、かといって、功夫が実際病的に痩せた女性を好きかというと、元妻の美華を写真で見る限りは、確かにスリムではあってもあくまで健康的で、拒食症のような異常な痩せ方には見えなかった。すなわち、功夫が那美に向かって「痩せた女が好き」と言うのは、最近ふくよかになってきた那美への嫌がらせとしか思えなかった。 一度、功夫が、 「篤史も女は拒食症ぐらいが丁度いいと言ってたよ。」 と言ったことがあり、このとき那美が笑って、 「痩せなきゃいけないのは篤史さんの方じゃないの?」 と言うと、流石に功夫も自分の暴言の理不尽さに気づいたようで、苦笑していた。このように、功夫の言葉には矛盾も多く、結局は那美に指摘されて苦笑して終わることも多々あった。
しかし、ついにある土曜日の夜、功夫は那美のおなかの肉をつまみながら言った。 「やばいんじゃないか?」 那美はただでさえダイエットがなかなか上手く行かずに悩んでいたところに、功夫のこのあまりに露骨な言葉に一瞬表情を曇らせたが、 「確かに、今まで病気で痩せてたけど、元々これくらいだったのよ。」 と答えた。 「出会ったときは華奢な君が好きやったのに、俺、騙されたな。俺はデブ専じゃないぞ。太った女連れて歩くのは恥ずかしいやんか。」 「また病気になって欲しいの?」 「いや、そうじゃなくて。太ってきたならせめて運動しろよ。」 那美は最近の功夫の意味不明な言動にずっと耐え、「悪趣味な冗談」ということにして聞き流してきたが、流石にこの言葉に相当なショックを受け、その日から食事が喉を通らなくなってしまった。
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