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哀しき中年男 作者:Gatita

第4回   周囲の人々
 二人が「那美の病気からの回復祝い」名目での食事をした一週間後の土曜日、功夫は初めて那美を自宅マンションに招待した。二人は功夫のマンションの最寄り駅の改札口で待ち合わせをした。那美は、今までとは少し違い、ゆったりしたブラウスにカジュアルなジーンズ姿で現れた。
 マンションは、元妻と一緒に一生懸命お金を貯めて買った2LDKで、既に元妻の持ち物の大部分は持ち去られていながらも、内装にはまだ彼女の趣味が色濃く残っていた。リビングは白壁で、その中央には真っ赤な革張りのソファ。寝室には赤と黒の幾何学模様のカーテンなど、赤を取り入れた個性的で派手な内装が特徴だった。サイドテーブルには、功夫が子供の頃、父、母及び姉と一緒に写った写真が飾られていた。那美とは顔見知りの功夫の母親もまだ若く、功夫はまだ小学生のやんちゃそうな子供だった。
「ああ、房江さんの若かりし頃ですね。これがお姉さんですか?」
那美が写真を見て功夫に訊くと、功夫は、
「うわっ、めっちゃ恥ずかしい。そう。それが姉貴。俺変やったやろ。ちっちゃな体に、耳ばかりでかくて。子供ん頃から耳の大きさが変わっとらんとよ。」
と答えた。そして、功夫は、
「そういえば、DVD借りてきたんだけど見る?」
と言いながら、功夫はレンタルショップで借りてきた映画のDVDを那美に差し出した。しかし、那美は、DVDを見て、
「ああ、申し訳ないんですけど、この手の映画はあまり好きじゃないんですよね…。」
と答えた。功夫が借りてきたのは恋愛映画で、那美と一緒にロマンチックな気分に浸ろうという意図が見え透いていたのが、那美としては受け入れがたかったのだ。
「そうなんだ。那美さんはどういう映画が好きなん?」
「単館上映物みたいなマイナーなのが結構好きなんですよ。変わってますかね?あ、あと、ホラーも時々見ますよ。」
「ホラー?俺駄目なんよ!でも、マイナーな映画は結構好きやけど。」
 功夫は台所のコーヒーメーカーでコーヒーを二杯入れてリビングに持ってきた。那美は一口コーヒーを啜って言った。
「このコーヒー、美味しいですね。」
「あ、ただじゃないよ。」
「え?おいくらなんですか?」
那美は驚いて答えた。
「さっきの那美さんが見たくないと言ったDVD代も含めて、五千円ってとこやね。まあ、俺にキスしてくれたらただにするけど。」
「五千円ですか?持ってたかしら?」
那美は、バッグを開けた。功夫が、
「うわっ、信じられん。君は俺にキスするくらいなら五千円払うんやね。」
と言うと、那美は、
「ええ。払いますよ。」
とあっさり答え、その時の功夫の反応を見て笑った。
 
 このような状態で、那美は週末功夫のマンションに通うようになり、いつの間にか、功夫と那美はお互いをパートナーとして意識するようになっていた。しかし、那美はあくまで受け身で、自分から功夫に連絡をすることはなかった。そんな那美に、功夫はよく、「たまには君からも連絡してよ。」と言った。
 一方、那美が住んでいるのは会社の独身寮であったため、那美は他の社員に功夫との関係を知られることを嫌って、功夫を自分の住まいに招待することはなかった。恋愛関係で同僚や上司にからかわれることを、那美は極端に嫌っていたので、具体的に結婚等の話が出ない限りは、会社関連の人には恋人の存在は一切秘密にしておく主義だった。功夫としては、同棲とまでは行かなくても、もっと生活を共にすることを望んだが、那美は頑なに平日は独身寮での一人暮らしを貫き、週末のみ功夫のマンションで過ごした。いつも、金曜日か土曜日の夜から功夫のマンションに泊まり、日曜日の夕方には独身寮に戻るというパターンだった。
 那美の会社では、フレックスタイム制が導入されており、朝は必ずしも始業時間の九時に出社しなくても、その分残業で埋め合わせをすればよかったが、那美としてはプライベートな理由で仕事に遅れていくようなことは自分で許せなかった。そんな那美に、功夫はよく、「フレックスがあるなら少しぐらい遅くなってもいいやん。たまには日曜まで泊まっていけよ。」「君が新しいトレンドを作ればいいんだよ。そしたらみんな余裕を持って遅く会社に来るようになるから。」等と言ったが、那美は必ず日曜の夕方には独身寮に戻り、翌日の出勤に備えた。
 二人で過ごす日には、よく一緒に食料品を買いに出かけた。朝食はパンとコーヒーにフルーツを少々といったシンプルなものだったが、功夫のマンションの近くに「パナデリア」という自然派のベーカリーがあり、よくこの店のパンとジャムを朝食用に買って帰った。特にパナデリアのブルーベリージャムは、甘さ控えめで、大粒のブルーベリーの粒の入った手作りならではの味が那美のお気に入りだった。一方、夕食は、功夫も那美も、上手とはいえないまでも、それなりに料理ができたので、よく共同作業で料理をした。
 功夫は、自分が料理を覚えた過程について、那美にこのように話した。
「学生時代は、俺も料理にはまって、色々作ったよ。でも、前の妻が料理がめっちゃ上手かったから、俺は何もしなくなってしまった。で、離婚してからまた久しぶりに自炊始めたけど、前のようには上手くならん。」
因みに、元妻は今は海外の日本食レストランでシェフをやっているとのことだった。

 時々、功夫は那美に「俺のこと本当に好き?」と確認した。長年元妻を信じ続けてきた功夫は、実は自分が彼女の恋愛対象ではなかったことを知ってしまって以来、自分一人が一方的に恋愛にのめりこむのが怖くなっていたのだ。しかし、那美は、なかなか「好き」という言葉をストレートに口に出すタイプではなかった上、実は功夫のことをどこまで好きなのか自分でもよくわかっていなかった。功夫は、那美に「俺のこと好き?」などと訊いておきながら、那美が答えずにいると、
「そっか、俺のところに来るとパナデリアのパンとジャムが食えるもんな。」
と功が一人で答えてしまうことがよくあった。

 一方、那美もよく功夫の自分に対する気持ちを疑うことがあった。ある日、功夫は那美に対してこう言った。
「最近の若い子って、もっと性に対して開放的なのかと思ったよ。」
那美は驚いて、「どういうこと?」と聞き返した。
「君は最初手も握らせなかった。お互いをパートナーとしてみなすまでに、ずいぶん時間がかかったよな。」
那美は功夫の意図するところがよくわからなかった。功夫が那美にもっと開放的になることを望んでいるのか、それとも逆に保守的に自分を守る那美を褒めているのか…。少なくとも、那美が過去に付き合った男性は、那美のそういうしっかりした面を気に入ってくれていたはずなのだが、功夫は違うのだろうか?それとも、功夫は年下である那美のことを人として尊重してくれていないのだろうか?

 ところで、実は、那美が日曜日の夕食前に功夫の家を離れたがるのには、もう一つ理由があった。というのも、日曜日の夕食の時間になると、時々篤史という名の男性が功夫のマンションにやってくることがあり、那美はこの男性があまり好きではなかったのだ。篤史は、年齢は三十代前半だというが、無精ひげを生やし、縦横大きな体で、堂々たる太鼓腹は既に四十代にしか見えなかった。ある日、那美が功夫のマンションにいるときに、突然予期せずして篤史が現れたことがあったのだが、篤史は那美にまともに挨拶もせず、那美を無視して、一方的に二人にしか通用しない話を早口で功夫に向かってまくし立て始めた。
 篤史は功夫の元会社の後輩だったが、仕事が長続きせず、今は職を転々としており、たまにこうして功夫に夕食をご馳走してもらいに来るのだった。功夫は時々那美に「三人で一緒に食事しようよ」と言うこともあったが、那美はどうしても篤史の存在が不快で、できるだけ敦との鉢合わせを避けるようにしていた。一方功夫も篤史の那美に対する態度の悪さには気づいていたが、
「あいつは礼儀知らずなところがあるけど、付き合うといいやつだよ。だから多少態度が悪く見えても気にするなよ。」
等と那美に言って聞かせていた。しかし、三十過ぎても自己管理も出来ず、礼儀も知らないこの篤史という男に、那美は呆れるばかりで、しかも篤史が那美を無視して功夫を独占しようとするとき、何ともいえない疎外感を感じた。とはいっても、那美は、功夫と付き合う以上、彼の周りの人たちも受け入れる必要があると感じ、できるだけ不平は言わないようにしていたが、これがまたストレスになった。
 
 ある九月中旬の木曜日の夜、功夫と那美は二人で電話で話していた。
「なあ、那美、今度の土曜日、俺のダチに会ってくれん?大学時代からの親友なんだけど。」
那美としては、今ひとつ気が進まなかった。週末は功夫の家でのんびりしたかったのに、いきなりここで全く初対面の人に会わされるのには抵抗があったし、自分と話が合わなかったりしたら最悪だ。実際、もう一人の功夫の友人である篤史には相当嫌な思いをさせられたし、またその男性が功夫と一方的に第三者にはわからない会話をし始めたら、自分はただの功夫のアクセサリ若しくは見世物になってしまう。しかし、功夫と昔からの親友との仲を引き裂くようなことはしたくなかったので、気が進まないながらも「いいよ」と答えた。

 当日、二人は約束のレストランの最寄り駅で待ち合わせをした。待ち合わせの時間は夕方六時だったが、例のごとく、那美は功夫が待ち合わせの時間に遅れることを予測し、十分遅れて着くと、案の定功夫は十五分遅れて駅に着いた。功夫は半袖シャツに穴の開いたジーンズ、那美は半袖のチュニックブラウスに細身のパンツの組み合わせだった。一時期四一キロまで落ちていた体重も、何とか四五キロまで回復したが、身長約一六十センチの那美は、まだまだほっそりしていた。
「なんだ、今日はスカートじゃないのか?」
「え?スカートの方がよかった?」
「男は何の勘の言いつつスカートの方が好きなんだよ。」
「今日は貴方の友達に会うんでしょう?何も、友達の前でまで色気出さなくてもいいじゃない。」
今まで那美が過去に付き合った男性は、那美には人前では露出の少ない清楚な服装をすることを望んだのに、功夫は逆に那美にセクシーな服装をさせて、人目を引くことで優越感を感じようとしているようで、そんな功夫を那美は奇異に感じた。しかし、那美は、今まで辛いことが重なって、精神的に滅入っている功夫のことだから、多少奇異な言動があっても多めに見てあげるべきだと思った。

 すると、色の浅黒い筋肉質な男性が二人の方へ向かって歩いてきた。
「よう、いさやん。」
「ああ、仁志。彼女が那美。」
「こんばんは。」
那美は仁志に向かって頭を下げた。
「なんだよ、彼女めちゃめちゃ若いじゃん。いいのかよ?」
那美はこの仁志の言葉を何となく不快に思ったが、愛想笑いをした。

 三人は内装の洒落たエスニックレストランに入り、案内されたテーブルに就いた。
「那美ちゃんは、お酒飲めるの?」
仁志が訊くと、那美が答える前に、功夫が、
「多分相当強いと思うよ。でも、病気して以来自分で加減してるけど。」
と答えた。
「へえ、若いのにしっかりしてるんだ。那美ちゃん、いさやんは、この歳になっても、時々羽目を外してとんでもない失敗するから、ちゃんと見ておいてあげないと駄目だよ。」
 少なくとも、この仁志という男性は、篤史とは違い、ちゃんと那美にも配慮して、疎外感を与えないようにしてくれているようだ。これでとりあえずは安心した。

 ウエイトレスが注文を取りに来たので、三人は料理を数品とビールをそれぞれジョッキ一杯ずつ注文した。ウエイトレスは、シャープな顔立ちの美女だったが、チャイナドレスのような制服が、ほっそりとした顔立ちの割りにふくよかな胸を引き立てていた。彼女が注文を受けて立ち去ると、しばらく仁志はその後姿を眼で追っていた。
 功夫が那美に、
「あのウエイトレス、前から仁志のお気に入りなんだよ。」
と言うと、那美は「へえ」とだけ答えた。

 ウエイトレスがジョッキ三倍のビールを持って戻ってきた。彼女が立ち去ると、仁志は那美に訊いた。
「ねえ、どうやったら彼女をゲットできると思う?」
那美は、仁志が冗談で言っているのかと思い、ただ笑っていたが、今度は功夫が、
「教えてやれよ。女の立場として、どうアプローチしてもらえば心が動く?」
と訊いてきた。那美は二人のあまりにばかげた質問を快く思わなかったが、ここで腹を立てるのは大人気ないと思い、
「私だったら、諦めますよ。」
と落ち着いて答えた。
「ええっ、諦めちゃうの?せっかく素敵な男性がいても?」
「私だったら、お客様と個人的な関係を持つようなことはしないと思いますよ。」
「おい、那美、もっと親身になって答えてやれよ。」
「いさやん、よくこんな難しい女ゲットできたな。」
那美は四十にもなる男二人のあまりにくだらない会話に益々苛々した。
「それなら、俺が彼女に名刺を渡したら、連絡くれると思う?」
仁志がポケットから名刺を取り出すと、功夫がそれを手にとって那美に見せた。名刺には、「師岡電工株式会社 専務取締役 師岡仁志」と書かれていた。仁志は言った。
「僕の祖父が設立した会社なんだ。」
「ほら。仁志はこの若さで会社重役だよ。お金持ちだし、マッチョでかっこいいし、もてないはずないやろ。」
と功夫が言うと、那美は、正直なところ、「なあんだ、結局実力で重役になったわけじゃないんじゃん」と思ったが、
「そうですね。それなら、名刺を渡してみてはどうですか?」
と答えた。

 ウエイトレスが料理を運んできた。実は、仁志はこのレストランの常連なので、彼女も仁志が彼女に気があることはわかっているようだ。彼女の仁志に対する態度はどことなくよそよそしく、仁志を避けているようにも見えた。那美は、仁志がこのウエイトレスに手を出そうとしても無理だと確信した。
「那美ちゃん、どんどん食べてね。もう少し太った方がいいよ。」
「そうですか。でしたらいただきます。実は私も病気になる前は結構ぽっちゃりしてたんですよ。だから、スリムになれてちょっと嬉しいんですけど。」
「いさやんも、二年前まではもっとがっしりしてたんだよ。」
仁志が意味深な笑いを浮かべると、功夫は仁志を小突いて言った。
「おい、余計なこと言うな。お前だってバツイチやんか。」

 例の仁志のお気に入りのウエイトレスが戻ってくると、仁志はシャツポケットの中からカメラ付きの携帯電話を取り出し、ウエイトレスに差し出して言った。
「これで、僕たち三人の写真を撮っていただけますか?」
ウエイトレスは、仁志の指示通り、三人に向かってカメラを構え、「撮りますよ。」と言いながらシャッターを押した。
「ついでに、僕と一緒に写ってくれますか?」
と仁志が言うと、ウエイトレスは、
「あ、そういうことは、お店の規定で禁じられておりますので、失礼いたします。」
と言って立ち去った。

 食事が済んだのは、夜の八時だった。三人は駅まで歩いた。
「じゃ、またな。」
仁志は、功夫と那美に別れを告げ、電車のホームに向かって歩いていった。仁志を見送った後、那美は功夫と一緒に彼のマンションへ向かうため、電車に乗り込み、隣同士並んで座った。
「仁志とあのウエイトレス、どう思う?」
電車の中で、功夫は那美に訊いて来た。
「どう思うっていわれても…。」
「実は、仁志、最近他にも気になる女がいて、あのウエイトレスとどっちにしようか悩んでるんだ。」
「そうなの?何だか仁志さんと関わる女性って気の毒ね。だって、それって、結局はどっちでもいいってことでしょう?」
「そっか、じゃ、君の意見では、仁志はどっちの女性とも付き合うべきじゃないと思うんやね。」
「そういうことね。だって、それって、相手を尊重していないってことになるもん。」
「仁志さ、五年ほど前に、お見合いで超エリートのお嬢様育ちの女の人と結婚したとやけど、結局合わなくて一年で離婚したとよ。それ以来、なかなかよか相手に出会えんで、焦っとるとよ。」
「相手って、そうやって見つけるもんじゃないと思うけどな。」


 週明け、那美は功夫からメールを受け取った。メールには、仁志のブログへのリンクが張られており、ブログには土曜日の夜エスニックレストランに行ったときのことが綴られ、三人で写った写真もアップされていた。
 那美は、仁志のブログの過去記事にも目を通した。仁志は五年ほど前からずっとブログを続けており、記事の中には、度々功夫も写真入りで登場していた。
 そして、三年前の記事まで遡り、功夫が女性と肩を組んで写っている写真がいくつか掲載されているのを見つけた。女性の名前は美華。那美は一目見て彼女が功夫の元妻であることがわかった。赤いバッグと靴、赤いスカートなど、赤を取り入れたファッションが多く、功夫の部屋のインテリアにも赤が多く取り入れられているのにも納得した。美華は、那美が想像していたより遥かに美しく、このまま雑誌のファッションモデルとして使えそうな美貌とスタイルの持ち主だった。しかし、功夫が那美にセクシーなファッションを求める点からして、もっとお色気ムンムンな女性を想像していたのだが、美華は意外にも清楚な女性だった。
 こんなに女性としての魅力にあふれる人が実はレズビアンだったとは、なんて皮肉なんだ…と那美は思った。しかし、それだけ美しい美華を見ても、那美が美華に嫉妬することはなかった。というのも、自分がレズビアンであることを知ってしまった以上、美華が功夫の元に戻ってくることはあり得ないことがわかっていたからだ。
 一方、三年前の功夫は、仁志が言ったとおり、今の痩せた体からは想像もつかないほど筋肉質でふくよかで、幸せそうに微笑んでいた。美華との離婚のショックは想像以上に大きかったようだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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