功夫は、毎日携帯の画面を確認した。しかし、那美からのメールが来る気配は無かった。 「退院して、仕事に戻ったばかりで忙しいのかな?」 「もしかしたらメルアドのスペル間違って教えてしまったのかな?」 「もう夜中の十二時だし、もう今日は来ないな。」 那美がメールをくれない理由を色々考えながらも、功夫は日を追うごとに、携帯のメール画面を見るのもじれったく思えるようになって来た。 一方、功夫の母の病状は日に日に悪化の一途を辿っていた。功夫の顔を見て、目を開けることはあっても、殆ど会話もせずまた眠ってしまうことが多くなった。
那美が退院して二週間目の金曜日、病院から功夫の職場に電話があった。 「お母さんが危篤状態です。今から来られますか?」 「わかりました。今すぐ参ります。」 功夫は上司に事情を話し、会社を早退して急ぎ足で病院に向かった。
功夫が病室に駆け込むと、ベッドに横たわる母の横に、主治医と看護師が立っていた。 「お母さん。俺や。わかる?」 功夫は母の手を握った。母はうっすらと目を開けた。 「功夫…。来てくれたん…。本当の人と幸せになりいよ…。」 母は、そのまま体を痙攣させたかと思いきや、あっさりと息を引き取った。主治医は懐中電灯で瞳孔を確認し、看護師がカルテに死亡時刻を記録した。功夫はその場に泣き崩れた。
母の葬儀は地元の長崎で行われた。喪主となった姉の祐子は、旦那と中学一年及び小学五年の二人の娘と一緒に急遽大阪から長崎へ飛んだ。実は、功夫はここ数年後ろめたいことがあり、地元に帰ることを避けていた。しかし、今回ばかりは帰らないわけには行かなかった。 お通夜には、親戚一同や昔の友人など懐かしい面々が集まり、母の思い出話はさておき、案の定、功夫に向けては最も避けたかった話題が集中した。 「功夫ちゃん、その後よかお嫁さんは見つからんと?」 「美華さんはよか奥さんやったし、あんなに仲良かったとに、別れてしまって勿体無か。」 「もう四十やろ。若か奥さんばもらわにゃ、子供産めんよ。」 功夫が沈黙を守る一方で、祐子は功夫に対する野暮な質問を上手く交わし、何とか話題の中心を自分の娘たちの話に切り替えてくれた。
お通夜が済み、宿泊先の叔父の家に向かう途中、功夫が携帯電話のスイッチを入れると、メールが入っていた。那美からだった。
「今日外来で検査を受けるために病院に行ったのですが、そのとき看護師さんから権藤さんのお母様の訃報を知らされました。 ご冥福をお祈りいたします。 砂原那美」
母の死ですっかり悲しみに暮れていた功夫の心に、いささか明るさが戻った。功夫は返信のメールを打った。
「今母の葬儀のため長崎に来ています。東京に戻ったら連絡します。 権藤」
母の葬儀が終了し、功夫が東京郊外の自宅マンションへ戻ったのは、金曜日の夜だった。喪服を着るのは久しぶりで、出発前にクロゼットの奥に眠っていた喪服を取り出すのに苦労したため、部屋がごった返したままの状態になっていた。疲れていたため、功夫はただ服を脱ぎ捨て、Tシャツとトランクスのみになってベッドに倒れこんだ。 「あ、そうだ…。」 功夫はカバンの中から携帯電話を取り出し、那美にメールを打った。
「今東京に戻りました。よかったら、今週末お茶でもしませんか? 権藤」
送信ボタンを押すと、そのまま功夫は、シャワーも浴びず眠りに落ちた。
翌日土曜日の朝、那美から返信のメールがあった。
「お誘いありがとうございます。日曜日でしたら空いております。 砂原」
功夫は返信した。
「でしたら、午後三時、大学病院の近くのスターバックスでお会いしましょう。場所がわからなくなったらお電話ください。 権藤」
いつも遅刻気味の功夫が当日待ち合わせの場所に十分遅れて着くと、那美が店の前に立っていた。久しぶりに会った那美を見て功夫は驚いた。入院中はノーメイクで髪もボサボサだった那美が、今は緩やかにカールさせた髪に、ナチュラルなメイクで、見違えるほど美しくなっていた。膝丈の小花柄のワンピースから覗くほっそりとした脚に、素足にヒールのサンダル姿には、清楚ながらも色気があり、病み上がりの華奢な体には、儚げな可愛らしさがあった。何も考えずにポロシャツにジーンズ姿で来てしまった功夫は、少々後悔した。 「ごめん、待った?」 功夫が訊くと、那美は答えた。 「いえ、わたしもついさっき着いたばかりなんです。」 「なんだか、病院でお会いしたときと雰囲気が違いますね。僕なんか、こんな汚い格好でいいのかな?」 「あ、お気になさらないでください。全然大丈夫ですよ。」 那美は笑った。笑顔の愛想のよさは初対面のときから変わっていなかった。 二人は店内に入り、メニューを見た。 「僕はコーヒーにしますけど、那美さんは?」 「そうですね…まだコーヒーは刺激が強すぎるので、ハーブティーにします。じゃあ、ハイビスカスブレンドを。」 那美がハンドバッグから財布を取り出すのを、功夫は、 「いいですよ。僕が払います。」 と言って止めた。 「え?いいんですか?」 「今日は僕のおごりです。」 那美は「すみません。ありがとうございます。」と言って頭を下げた。
二人は、店の奥のテーブルに腰を下ろした。 「体の方は大丈夫?まだ病院に通ってるの?」 「もうかなりいいんですけどね、退院後も定期的に検査が必要なんですよ。まだ食欲も完全には戻っていないし、刺激の強いものも駄目なんですけど、でも生活には支障はないです。ところで、権藤さん、一昨日長崎から帰っていらしたばかりなんですよね?お疲れじゃないですか?」 那美は、功夫の旅の疲れのみでなく、母を失った悲しみについても心配していた。ただ、功夫に思い出させては申し訳ないと思い、敢えて彼の母の死については触れなかった。 「いやいや、昨日寝るだけ寝たから大丈夫。」 「長崎は久しぶりだったんですか?」 「うん、実は、訳あって、三年ほど帰ってなかったんだけどね。」 「訳…ですか?」 「ああ、そう。実は、僕、二年前に離婚しちゃってね。地元に帰ると、絶対親戚や周りの人からそのことについて色々言われるのわかってるから、あまり帰りたくないんだ。今回も、案の定、言われたけど。」 「ああ、ごめんなさい。私、いけないこと訊いてしまいましたか?」 「いや、いいんだよ。」 「でも、ということは、今はお一人なんですね。実は、もし結婚されてたら、このような形で二人きりでお会いしていいのかな…なんて思っていたんですよ。」 「まあ、でも、僕みたいなおじさんが、那美さんみたいな若い女性と一緒にお茶しているの見たら、周りの人は変に思うかもね。」 「そんな、おじさんだなんて。でも、私、同年代より年上の男性の方が話が合うんですよ。」 「因みに、いくつなの?訊いちゃっていいかな?」 「はい。二十八です。」 「うわっ、僕より一回り下だ。」 「え?そうなんですか?もっとお若いと思っていましたよ。」 実際のところ、功夫は至近距離で見ると歳相応に見えたが、那美は功夫に対して、年上ながらも子供っぽい親しみやすさを感じていた。 「家、この近くなの?わかりやすいと思ってこのスターバックス選んだんだけど、遠かったかな?」 「いいえ、電車で十分くらいですよ。」 「ということは、都心にアパート借りてるの?」 「実は、会社の独身寮なんです。寮とはいっても、会社が買い取っているワンルームマンションなので、事実上は一人暮らしなんですけどね。」
二人は一時間ほど他愛もない会話をして過ごし、帰りの電車に乗るために駅まで一緒に歩いた。 「今日は来てくれてありがとう。また連絡するね。」 「こちらこそ、ありがとうございました。それではまた。」 那美は功夫に会釈をし、駅のホームへ向かった。 「デートなんて、すごい久しぶりだったな。」 功夫は、元妻と別れて以来の久しぶりのデートの後、若かりし頃に味わったような心地よい余韻を心の中に感じていた。
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