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三十路女の消し去りたい過去 作者:Gatita

第7回   子供が欲しい?
「グレートアメリカのパスが手に入ったよ。僕はカラオケ大会を見るのが好きなんだ。週末一緒に行こう。-Rich」

 グレートアメリカは、サンフランシスコから車で一時間ほど南にあるサンタクララ市にある、絶叫マシーンで有名なテーマパークだ。茉莉子も二十代の頃はよく日本で絶叫マシーンを楽しんだものだが、ただ茉莉子が渡米した年には立て続けにアメリカ全土で絶叫マシーンの事故が起き、安全性への懸念からアメリカでは絶叫マシーンへの搭乗を避けていた。その事故の中には、確かこのグレートアメリカで起きたものもあったはずだ。しかし、それにしても、リチャードが興味があるのは何故カラオケ大会なんだろう?

 不思議に思いつつ、茉莉子は土曜日、約束の時間にリチャードの家のドアをノックした。バウワウが激しく吠え、中からリチャードが出てきた。
「Welcome!今車出すから外で待っててね。」
 茉莉子はリチャードの車の助手席に乗った。
「グレートアメリカには行ったことある?」
リチャードが訊くので、茉莉子は、
「ううん、ない。ていうか、丁度私がアメリカに来た年に、ジェットコースターの事故が立て続けに起きたから、アメリカでジェットコースターに乗るのはちょっと怖いんだけど。」
「僕もジェットコースターは苦手だから乗らないんだ。でも、他にも沢山面白いアトラクションがあるから、ジェットコースターに乗らなくても楽しめるよ。」
ジェットコースターに乗らないと聞いて、茉莉子はひとまず安心した。

 グレートアメリカの広い駐車場に車を止めると、二人はゲートに向かって歩いていった。フリーフォールやジェットコースター等の絶叫マシーンが高く聳え立ち、乗客の叫び声が響き渡っていた。しかし、リチャードが向かったのは絶叫マシーンとは反対の方向。子供連れの家族が多く、小さな子供たちの騒ぐ声がうるさい。ふと、火がついたように泣き叫ぶ小さな男の子の声が茉莉子の耳を直撃した。
「うわっ、私、この子供の奇声ってだめなのよね…。」
茉莉子が両手で頭を抱えると、リチャードが茉莉子の方を振り返り、
「そう?でも、子供は欲しいんじゃないの?僕、この間君の本棚見ちゃったんだけど…。」
と言った。実は、茉莉子は元彼との交際中には、彼と一緒に過ごす将来を夢見、子供ができることも想定していた。しかし、彼との関係が上手くいかなくなったとき、三十歳という年齢柄、今後子供を産める時間は限られているかもしれないが、焦ってパートナーを見つけるよりは、シングルマザーになるという選択も考えたのだ。そこで、「シングルマザーという選択」という本を買って、リビングの本棚に置いていたのだが、それを茉莉子の出張中にノワールとミケの世話をしに来たリチャードが見てしまったのだ。
「ああ、あれはね、そういう生き方もオプションとして一時期考えただけのことよ。」

 歩いていくと、ステージが設定されている区画があり、カラオケ大会が始まるところだった。カラオケ大会は二時間ごとに開催され、各開催時間ごとに五人のエントリーがあり、その中で順位を競うという設定らしい。まず、最初は、四十台と思われる男性。一昔前のアメリカンポップスのようだが、茉莉子には馴染みのない曲だ。歌の方は、プロ並みとはいえないもののなかなか上手い。しかし、茉莉子はカラオケボックスなら日本にいた頃何度か行ったことはあったが、それはほろ酔い状態で自分で歌うのが楽しかったのであり、素人のステージなど見ても大して面白いとは思わなかった。それでも、その男性が歌い終わった後には一応拍手だけはしておいた。
 次は、十代の女の子が、流行のポップスを振りつきで歌った。家にカラオケセットがあるのか、よほど練習しているようで確かに上手いが、でもあくまで素人だ。全く興味がないのだが、それでも興味のなさそうなそぶりを見せるのは、出演者にも楽しんでいる観客たちにも失礼だと思い、茉莉子はただリチャードに背中を向け、黙ってステージの方を見ていた。
 そしてその次、小さな女の子の三人組がステージに立つなり、リチャードが言った。
「ああ、これは絶対面白いよ。」
女の子たちは、「Man! I Feel Like a Woman!」を歌った。確かに小さな女の子が、女性の色気をテーマにしたおマセな歌を歌うのは、子供好きな人が聞けば面白いのかもしれない。しかし、所詮子供があまり好きではない茉莉子にとってはつまらないだけだ。茉莉子は、どう反応していいのかわからず、その場にいるだけで疲れてしまった。一方、リチャードは子供が好きなのか、嬉しそうだ。

 茉莉子が元彼と付き合っていた頃は、彼との間に子供が欲しいと思ったのは事実だ。しかし、それは茉莉子が子供好きだからではなかった。女性として生まれた以上、女性にしかできない妊娠及び出産を経験したかったし、また一人の人間の成長をゼロから見つめ続けていくことで自分も人間として成長することができると思ったからだ。しかし、一人の人間をゼロの状態から一人前にまで育て上げるということと、子供が好きということは別問題だ。

「君と僕の間に子供ができたらどうする?」
リチャードが訊いてきた。そもそも、茉莉子は一度もリチャードのことを恋人としてすら意識したことがなかったのに、リチャードの方は既に子供を作ることまで考えてしまっているだなんて…。茉莉子は答えた。
「間違いで子供を作るような無責任なことはしたくない。子供を作るなら、ちゃんと子育てができる環境ができてからじゃないと困る。」
ここで茉莉子は、リチャードとの間に子供ができることはあくまで「間違い」であることを強調した。リチャードはしつこく訊いた。
「でも、できちゃったら?」
「ステディな関係じゃない人と体の関係を持つのはいや。それに、もしボーイフレンドができて、それでも子供を産む準備ができていなければ、ピルを飲んで避妊するわよ。」
「でも、それって体にとって自然なことじゃないよね?」
「確かに自然じゃないかもしれないけど、間違いで子供ができてしまってからは遅し、間違いで産まされた子供だって気の毒でしょう?そうなる前に防げるものはちゃんと防いだ方がいいと思う。」
「でも、子供欲しいと思わない?」
茉莉子はリチャードのしつこさに苛々しながら答えた。
「どうしても子供が欲しくなったら、ちゃんと育てられる環境を整えた上で、試験管ベイビーを考えるわよ。」
「僕は君に僕の子供生んで欲しいな。」
確かにリチャードは男だから、予期せぬ妊娠をしてしまった女性の身になって考えることはできないかもしれない。だからといって、女性に安易に女性に子供を産ませようなんて、なんて無責任なんだ。いや、でももしかしたら興味があるのはただ単に肉体関係だけ?いずれにせよ茉莉子はリチャードに対し不快感が爆発しそうになったが、その感情を押し殺した挙句、
「そう?だったら、私が精子バンクに行くときに、こっそりあなたが自分のとすり替えておけば?そしたらあなたの子供が生まれるかも。」
と答えた。リチャードは苦笑した。

 その数日後、リチャードから茉莉子にメールが届いた。

「僕は君のクールなユーモアが好きだ。時々意地悪っぽく聞こえることもあるけど…。例えば、あの精子バンクの話みたいに。」

 どうやら、リチャードは茉莉子の半ば暴言とも取れる発言に多かれ少なかれ傷ついたようだ。茉莉子も、リチャードに対する自分の態度が日に日に意地悪くなっていくのを自覚していた。しかし、リチャードにはマゾヒストの気もあったようで、茉莉子のこのような冷たい反応を楽しんでいるようにも見えた。そもそもリチャードのしつこさ及び無責任発言が茉莉子からこのような暴言を引き出したのだから、リチャードが少しでも傷ついてくれれば茉莉子にとっては本望だった。リチャードには愛されていないことを自覚してもらい、あくまでただの「友達」としての距離を保ってくれることを望んでいたのだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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