「今度の土曜日、ギルロイのアウトレットモールに一緒に行きましょう。-Rich」
茉莉子は特に買いたい服があったわけでもなかったし、そもそも自分の服を買うときに人を同伴させること自体好きではなかった。服選びにはゆっくり時間をかけて、いくつものお店を回りたいので、同伴者を待たせたり歩き回らせたりすることを申し訳なく思ってしまうのだ。せっかく自分が好きで選んだ服に対して他者にコメントされるのも好きではなかった。だが、週末のスケジュールが空いていたので、リチャードのお誘いに付き合うことにした。
土曜日の午後、リチャードが茉莉子を迎えに来た。彼の車の助手席に乗ると、茉莉子は運転席と助手席の間のカップホルダーの中にリチャードのスポーツクラブの会員証を見つけた。驚いたことに、写真の中のリチャードにはふさふさの髪の毛が生えている! 「これ、いつの写真?」 「三年位前かな。」 「え?三年前?」 たった三年でここまで脱毛が進行してしまうなんて、もしかして病気? 「髪があったんだよ。実はカツラ被ってたんだ。前のタイ人のフィアンセがその方が若く見えていいって言ってくれたから。」 茉莉子は思わず堪え切れずくすっと笑った。 「え?ヒゲの無い僕ってそんなに変?それとも、ヒゲが無い方がいい?もしヒゲの無いほうが好きなら、今度一緒に剃ろうか?」 いや、そうじゃなくて髪…。逆に、ヒゲの方は毛色とくすんだ肌色が馴染んでいてあまり目立たないから、どうでもいいんだけど…。それにしても、一緒に剃ろうか?って、ヒゲぐらい一人で剃ればいいのに。 「このカツラ、今でも持ってるの?」 「うん、持ってるよ。でもカツラのメンテナンスって結構お金がかかってね、勿体無いからフィアンセと別れたと同時にカツラも止めたんだ。」 「風が吹いたら飛ばされたりしないの?」 「飛ばされることはないよ。しっかり糊付けするから、自分では外せないんだ。」 茉莉子はリチャードをからかうようにカツラについて矢継ぎ早に質問した。 「暑い日なんか蒸れたりしないの?」 「ネットになってるから、蒸れることはないよ。」 「いきなり髪の毛が生えたり逆になくなったりしたらみんなびっくりするんじゃないの?」 「そういえば、カツラをつけた後で友達数人と食事をしたとき、僕だって気づいてもらえなかったことがあった。目の前にいた女性に『今日はリチャードは来てないの?』なんて言われちゃってさ。逆にカツラをやめた時には、みんなに会う前に事前にメールで知らせたよ。」
リチャードの車がギルロイ市のアウトレットモールに着いた。 「僕、女の人の服で、ジョーンズ・ニューヨークっていうブランドが好きなんだ。行こうか?」 いや、今日は何も買うつもり無いんだけど、でもなんでリチャードはそんなに女性用の服のお店に行きたがるんだろう…?と疑問に思いつつ、茉莉子はリチャードについてジョーンズ・ニューヨークのアウトレットショップに入った。 「君のサイズはペティートだよね。」 茉莉子は日本人の女性として中肉中背なので、アメリカではペティート(小柄)の部類に入る。茉莉子は何も買う気はなかったが、とりあえずディスプレイされている服を見ていた。すると、リチャードがいきなり黒いフェイクファーの付いたフード付きダウンジャケットを持ってきて言った。 「これ、君に似合いそうだよ。」 茉莉子は顔をしかめた。いや、ダウンジャケットのデザインは特に好きでも嫌いでもなかったが、大してセンスがいいわけでもないのに、スタイリスト気取りで自分の趣味で茉莉子の服を選ぶリチャードの態度が鬱陶しかったのだ。 「え?好きじゃない?」 「ていうか、自分の服は自分で選ぶから…。」 茉莉子はリチャードに背を向け、引き続き服を見て回った。 「あ、これいいかも。」 茉莉子はツイードのストレートパンツを手にとって言った。上品な茶系のチェック柄で、普段の通勤に丁度よさそうだ。 「やっぱり君は趣味がいいから、自分で選んだ方がいいね。」 リチャードも茉莉子には自分で服を選ばせた方がいいことを認めたようだ。茉莉子は傍にいた店員に訊いた。 「これ、股下何インチですか?」 「30インチ(76センチ)になります。」 店員の答えに対し、リチャードは驚いて言った。 「30インチだったら君には長すぎるだろう?」 「いや、ヒールの靴を履けば丁度いいくらいだと思うけど?」 茉莉子はパンツを持って試着室に入った。茉莉子が試着室から出てくると、確かにパンツの股下丈はヒールを履いた脚に丁度よくフィットしていたが、ウエストとヒップが少し緩過ぎるようだ。 「長さはいいんだけど、ちょっと大きすぎるみたい。」 「そうか、股下30インチで丁度いいんだ…。」 リチャードは身長が自分より10センチほど低い茉莉子の脚が自分の脚より長いことを知ってショックを受けたようだ。そんなリチャードを横に、茉莉子は試着室に戻り、店員にパンツを返した。結局ここでは茉莉子は何も買わなかった。
「そうそう。僕、女性服ブランドではアン・テイラーも好きなんだ。」 アン・テイラーなら、無難な通勤着を買うのに丁度よく、ペティートサイズも品揃えが充実しているので、茉莉子もよく利用する。二人はアン・テイラーのアウトレットショップに入った。 「あのシャツとパンツの組み合わせ、君に似合いそう。」 また始まった!茉莉子は恋人でもないリチャードの趣味で選んだ服を着る気など毛頭なかった。 「今別に欲しい服ないし、今日はいいわ。」 リチャードが鬱陶しかったので、茉莉子は今日は何も買わないことにし、今度いつか一人でゆっくり自分の服を選びに来ようと思った。
その後、二人はスポーツ用品店に入った。今度こそリチャードは自分の買い物をするつもりだったようだ。リチャードが、ライトブルーのポロシャツを持ってきて、自分の体に当てがい、茉莉子に訊いた。 「これ、どう?ジムに着ていくんだけど。」 「いいんじゃない?」 茉莉子はよく見もせずに適当に答えた。ジムでエクササイズをするなら洒落た服を着る必要はないし、何よりリチャードのような出腹短足体型の中年男に洒落た服なんて、着せるだけ無駄だ。 「いいよね?」 リチャードが念を押してきたので、茉莉子は素っ気無く、 「自分で気に入ったなら買えば?」 と答えた。どうやら恋人気取りでお互いの服を選びあうのが今日のリチャードの目的だったようだ。
帰りの車の中で、リチャードはエクササイズ用の服を買ったついでに、ジムのインストラクターの女性の話をし始めた。 「僕のジムのインストラクター、ジェニファーっていうんだけど、彼女さ、彼氏のこと振ったら、彼が怒って、会い鍵使って彼女の留守宅に侵入したんだって。でさ、彼に家の中荒らされて、でもその直後にジムの仕事があって、家に戻って着替えてる暇なかったから、車の中に置いてたTシャツ着たら、生憎穴が開いててさ、で、動きによっては下着が丸見えになっちゃうから、必死で手で押さえてるの。可笑しかったなあ。」 そんなこと喜ぶなんて、品がないなあ…と思いつつ、 「そんな状況でもしっかり仕事したんだから立派じゃない。」 と茉莉子は答えた。 リチャードは続けた。 「あとさ、同じジムに来てる女の子で、ジョアンっていう子なんだけど、シャワーを浴びた後にすぐに下着を着ると股間が蒸れるから、しばらく下着を着ないことに決めたんだって。でさ、裸で部屋にいたら、猫がいたずらし始めちゃって、注意しようとしたら猫が逃げたんだって。でさ、ジョアン、裸のまま猫追いかけたんだって。」 第三者の恥ずかしい話を本名をそのまま用いて暴露しては喜ぶリチャードのあまりの下品さに、茉莉子は黙りこくった。尤も、アメリカでは第三者の話をするときにファーストネームだけ本名を出すことにあまり抵抗がないようだが、それにしても話の内容が内容だけに、茉莉子の不快感も倍増だった。
ふと、リチャードが言った。 「僕たちの関係って、友達以上恋人未満だよね。」 「そうかなあ…。」 茉莉子は「いや、そんなんじゃないよ。友達以前にただの知り合いじゃないの?」と思ったが、それ以上何も言わなかった。少なくとも、リチャードが茉莉子をのことをガールフレンドとしては認識していないだけでも救いだった。
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