十月半ばの水曜日、リチャードが茉莉子の手料理を食べたいと言うので、仕事が終わった後、茉莉子は彼を家に招待し手料理でもてなすことになった。茉莉子は料理があまり得意な方ではなかったが、少なくともその辺のアメリカナイズされたスシレストランよりはまともな和食を作ってやろう…ということで、シンプルで失敗の少ない和食の献立を考えた。メインは味噌とおろし生姜で下味を付けた鱈とブナシメジのホイル焼き、副菜はわかめときゅうりの酢の物など、トータルで献立を組んだ。
約束の七時、リチャードが茉莉子の家に来た。ワインの入った紙袋を持っている。茉莉子はまず二匹の愛猫をリチャードに紹介した。 「こっちの黒猫がノワール、三毛猫がミケ。」 ノワールは五歳の虚勢済みのオス猫。名前がフランス語なのは、茉莉子がフランス語圏出身の元彼と付き合っていた頃に飼い始めたからだ。ミケはまだ生後七ヶ月のメスの子猫。こちらは彼と別れてから里子として迎えた。ローマ字で「Mike」と書くと、「マイク」とまるで男性の名前のように読まれるので、スペイン語風に「Mique」とスペルしている。ノワールもミケも、見慣れない禿げ頭に驚いたのか、リチャードを見るなり怖気づき、ミケはベッドルームに隠れてしまった。 茉莉子が料理をしにキッチンに戻ると、リチャードもキッチンに入ってきた。手には三個ジャガイモを持っている。 「お鍋をひとつ貸してもらえないかな?」 「え?一体何をするの?」と思いつつ、茉莉子はリチャードに鍋を渡した。すると、リチャードは鍋に水を入れ、茉莉子が料理している横でジャガイモを煮始めた。 「マッシュポテトを作るんだ。」 にんにくたっぷりのマッシュポテトの臭いが、キッチン中に広がった。「えーっ、私はトータルで味のバランスを考えて献立を組んだのに、勝手なことしないでよ…。」茉莉子はあまりに予想外なことで、何も言えず黙り込んでしまった。そもそも今まで付き合った男性には料理をする人が少なかったせいもあるかもしれないが、自分が手料理でもてなしてあげているときに、勝手に横で別の料理を作った男など見たことがなかった。
料理が完成し、茉莉子が出来上がった料理をダイニングテーブルに運ぼうとすると、リチャードは持ってきたキャンティのボトルを開けた。 「お箸使える?」 茉莉子が訊くと、リチャードは自身ありげに、 「大丈夫。実は最近フォークより箸の方が得意なんだ。」 と答えた。 リチャードは、魚ときのこをホイルで焼くというアイディアがとても気に入ったようだ。しかし、リチャードは相変わらずとろとろとして、食べ物を箸でつまみながらもなかなか口に運ぼうとしない。リチャードがホイル焼きに使ったシメジを箸でつまみ上げ、 「シイタキ?」 と訊いてきたので、茉莉子は、いいから早く食べろ!と思いつつ、 「違う。シメジ。」 とぶっきらぼうに答えた。 「ねえ、君の作った料理についていろいろ説明してよ。」 そう言われても、リチャードのペースに合わせて食べていたら、料理が冷めて不味くなってしまう。しかも、リチャードが話しながら箸を振り回す癖も茉莉子は不快だった。アメリカ人だから日本の箸使いのマナーを完璧に知らないのは仕方ないにしろ、本人は箸使いが得意と自信ありげだっただけに、余計にそのマナーの悪さが気になった。 「日本料理と、イタリアのワインと、アメリカのマッシュポテト。」 リチャードは嬉しそうだったが、茉莉子は日本食の繊細さをぶち壊すアンバランスな組み合わせ、及びリチャードの勝手な行動に終始不機嫌だった。当然リチャードの作ったマッシュポテトには手をつけなかった。 「マッシュポテト食べないの?」 「うーん、日本食と一緒に食べるのはどうも…。」 こんなにんにく臭いマッシュポテトを食べたら、日本食のあっさり且つ繊細な味が台無しになってしまう。
例のごとく、リチャードは茉莉子が食べ終わってもずっとマイペースで急ぐこともなく食べ続け、茉莉子は黙ってその様子を見ていた。リチャードがやっと茉莉子の作った料理を食べ終わっても、大量のマッシュポテトが残っていた。リチャードが、 「このマッシュポテトどうする?」 というので、茉莉子は、 「家に持って帰れば?」 と答え、台所かタッパーウエアを取ってきた。 「じゃあ、君の分一食分だけ残して、後は持って帰るね。」 茉莉子も流石に「こんな臭いマッシュポテト要らないから全部持って帰って。」とは言えなかった。
食器を台所に下げて、ダイニングテーブルに戻ってきた茉莉子はポツリと言った。 「今日って、確かあなたの誕生日だったわよね。」 リチャードは目を丸くして言った。 「どうして知ってるの?」 「前にビデオ屋で会員登録フォームを書いていたときに見たから。」 リチャードは茉莉子の腰に腕を回した。 「ありがとう。嬉しいよ。」 そして、続けた。 「君が僕の誕生日を覚えていてくれたから、全て話すよ。僕は、以前結婚していたことがあったんだ。でも、結局十年前に離婚した。そして、三年前、タイ人の女性と婚約したんだけど、結局は婚約破棄になった。その後しばらく中国人の女性と付き合ったけど、結局うまくいかなかった。で、今は独身なんだ。子供はいない。」 茉莉子は、「え?別に誕生日を覚えていたのは別にこの人のこと好きだからじゃないんだけど、何か勘違いしてない?」と思ったが、何も言わなかった。それにしても、タイ人、中国人、そして日本人の茉莉子…。どうやらリチャードはアジア人フェチらしい。
二人はリビングルームに移動し、ソファに座って残りのキャンティを飲みながらテレビを見た。黒猫のノワールは茉莉子の膝に飛び乗り、ベッドルームに隠れていた三毛猫のミケも恐る恐る出てきた。リチャードは茉莉子の肩に手を回して言った。 「結構肩凝ってるね。実は僕、マッサージを習ったことがあるんだ。こんど家においでよ。オイルマッサージしてあげるから。」 「オイル?ってことは服脱ぐの?」 茉莉子は怪訝な表情で訊き返した。 「裸になるのが嫌なら、ビキニ着ててもいいよ。」 しかし、茉莉子はそもそもワンピースの水着しか着たことがなかったし、ましてや三十歳という年齢からもいい加減ビキニなど恥ずかしくて着る気がしなかった。いや、それ以前に、マッサージをしてあげたいなどと偽善的なことを言いつつ、実はリチャードは茉莉子の裸が見たいのではないか?
リチャードが帰った後、茉莉子はキッチンの流し台で、水を出しっぱなしにしながらリチャードが残していった一食分のマッシュポテトをディスポーザブルに流し、器を洗った。
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