一度茉莉子がリチャードの家を訪問しても、二人の交わすメールの内容には殆ど変化はなかった。日記のように日常の他愛もない話がメインで、メールの頻度はほぼ一日おきといったところだった。茉莉子からリチャードに宛てたメールの多くは、自分の猫の話題が中心だった。
「今日仕事から帰ってみたら、本棚の上に置いていたはずのポトスの鉢が床に落ちていました。とうとう家の猫たちは高さ180cmほどの本棚の上に上がることまで覚えてしまったようです。もう家に植物は置けません。」
これに対し、リチャードから茉莉子に宛てたメールも、犬や日常生活の話題がメインだった。リチャードは在宅勤務で時間が自由なため、毎日長い昼休みを取って犬の散歩に出かけるのが日課のようだ。
「昨夜、寝る前にピザを食べちゃった[laughing]。だから今日は少し運動しようと思って、昼休みにバウワウと一緒にショッピングセンターまで歩いて行ってきました。ショッピングセンターの中にペットショップがあって、バウワウは中で鳥や熱帯魚を興味深そうに見ていました。バウワウは鳥が食べたかったのかな?[laughing]」
自分で料理もして、エクササイズもしているはずなのに、なぜあの出腹…と思いきや、やはり間食や夜食が止められないのが原因のようだ。それにしても、茉莉子はリチャードがメールの中で(笑)を意味する[laughing]を多用して一人笑いする様子が相変わらず好きになれなかった。
二回目に茉莉子がリチャードの家を訪問したのは、翌週の土曜日の午後だった。リチャードは、茉莉子を近所で毎週末に開催されるフリーマーケットに連れて行った。リチャードは医療機器関係のエンジニアをしているので、フリーマーケットに行くと、たまに機械いじり用の工具の掘り出し物が見つかることがあるのだそうだ。広い敷地内には、いくつものテントが並び、日常品からアクセサリーや骨董品まで、様々な品物が売られていた。茉莉子は特に何も買う気はなかったが、リチャードが茉莉子が興味のない店に入ったときは、茉莉子も一人で他の店に入り、陳列された品物を見て楽しんだ。 リチャードが、女性用アクセサリー屋の前で止まり、茉莉子を呼んだ。 「この指輪可愛くない?あ、これもいいね。これは、ちょっと愛国主義者みたいであまり好きじゃないね。」 ルビーとサファイアのついた指輪を見て愛国主義者とは…。確かにアメリカの国旗の色かもしれないが、日本人の茉莉子には共感できない感覚だ。それにしてもリチャードは何故そんなに女性用アクセサリーに興味を示すのだろう?尤も、茉莉子はフリーマーケットに売られているような安いアクセサリーには興味がなかった。三十歳という年齢を考えても、いい加減安っぽいイミテーションのアクセサリーは卒業すべきだ。指輪なら、18金若しくはプラチナなどの高価なものでないと付ける気がしない。それでも茉莉子がリチャードに相槌を打って、 「うん、可愛いね。」 と言うと、リチャードは、 「付けてみる?」 と訊いてきた。もしかして、茉莉子に指輪を買ってあげようとでもいうのだろうか?彼氏と彼女の関係でもないのに…。 「いや、いいよ。」 「君の誕生石は?」 「アクアマリンだけど。」 すると、リチャードが店員に向かって、 「すみません。アクアマリンの指輪ありますか?」 と訊いたので、茉莉子は、「いや、いいです。」と言って店を離れた。その後、売り子に聞こえないよう店を離れてから、リチャードに、 「あそこの指輪、石はかわいかったけど、金属の部分が好きじゃなかった。」 と言ったが、実は彼氏でもないリチャードに指輪を買ってもらう気はないというのが本音だった。
その後、リチャードが他の店を見ている間、茉莉子はガラス細工屋を見ていた。長さ十センチほどの可愛らしい熱帯魚の置物が二ドルほどで売られていた。ただ、置物など、買っても役に立つわけでもないし、特に引越しのときなどには結局邪魔になることも多いので、よほど何かの記念でもない限り自分で買うことはなかった。すると、リチャードが後ろから声をかけてきた。 「魚の置物が欲しいの?」 「いや、ただ可愛いなと思って。」 「どれが好き?」 「これ…。」 茉莉子が熱帯魚の置物を指差すと、頼んでもいないのに、リチャードはいつの間にか店員にお金を払っていた。まあ、二ドルくらいなら安い買い物だろう。
更に歩いていくと、花屋があり、ミニバラの花束がバケツに入れられて売られていた。リチャードが茉莉子に、 「好きなの選びなよ。」 と言ってきた。しかし、茉莉子は躊躇った。花や観葉植物自体は好きだが、つい最近も猫にポトスの鉢植えを破壊されたばかりで、家の中に植物は置かないことに決めたばかりだった。破壊されるだけならまだしも、もし猫が植物を齧ってしまい、その植物が猫の体に毒だったときには取り返しのつかないことになる。 「うちにはやんちゃな猫がいるから…。」 茉莉子は遠まわしに断ろうとしたが、リチャードがどうしてもバラの花束を買ってあげたいというので、それ以上断れなかった。 「じゃあ、このピンクの…。」 赤いバラのギフトはあまりにロマンチック過ぎて、彼氏でもない男性からもらうのには相応しくないと思ったので、茉莉子は控えめな色合いのピンクの花束を選んだ。それでも、家にその花束を持って帰ることに不安を感じていた茉莉子は、 「私、花瓶持ってないんだけど…。」 と言って、その花束をリチャードの家に置いていこうとしたのだが、結局リチャードから花瓶まで貸し付けられ、その花束を家に持って帰ることになってしまった。茉莉子は、リチャードの気持ちを素直に喜べなかった。生花とは、実は難しいギフトなのだ。大切な人から貰った生花なら、毎日水も換えて最後まで大事にしようと思うものだが、そうでもない人から貰った場合は、その水換え自体が面倒で仕方がない。しかも、リチャードにはつい最近猫に鉢植えのポトスを破壊されため、家に植物を置きたくないことをメールで伝えたばかりだ。
その夜、茉莉子は家に帰ると、リチャードに買ってもらったピンクのバラの花束を花瓶に生け、テレビの横に置いた。そのままシャワーを浴び、リビングに戻ってくると、既に子猫のミケがテレビ台の上に上がり、バラの茎を齧っていた。 「あーっ、こら、やめなさい!」 しかし、ミケは茉莉子に何度怒られてもしつこくテレビ台の上に飛び乗り、バラを数本ぼろぼろにしてしまった。幸いバラはミケの体に毒ではなかったようで、ミケの方は元気だったが、バラは悲惨な状態になってしまった。茉莉子はデジタルカメラでミケがバラの茎を齧っているところを写真に撮り、リチャードにメールで送った。証拠写真を送ることで、「だから家に植物は置きたくないと言ったでしょう。だからもう私に植物は買わないで。」と、リチャードに伝えたかったのだ。
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