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三十路女の消し去りたい過去 作者:Gatita

第10回   プラトニックな(?)お泊りデート
茉莉子とリチャードは、それからもしばらくお互いの家を行き来した。茉莉子はリチャードに対して何の恋愛感情も持っていないことは自覚していて、自分の行動に多少なりとも罪悪感を感じていたが、断る理由もタイミングも見つからなかったのだ。尤も、その間、茉莉子はリチャードに一切体を許さないことで、「ただの友達」というスタンスを保とうとしていた。
お互いの家で過ごすときは、手料理を食べた後、ビデオ若しくはDVDを見るのがいつものパターンになっていた。茉莉子は、できるだけリチャードをその気にさせないため、DVDやビデオを選ぶときには恋愛や性を扱った映画を避けるようにしていたが、それでもリチャードは映画のジャンルに関係なく、マッサージを口実に茉莉子の体に触ってくるようになり、一方茉莉子は映画の内容を全く理解できないことも多かった。

リチャードは、「これから平日に一日と、週末に一日、計週二回ずつ会うことにしよう」と勝手な取り決めを作ってきた。茉莉子はこうしたリチャードの提案に対し、「Yes」とはっきり答えることはなかったが、それでもなかなか「No」とも言えず、いつも曖昧にしていた。

ある日、リチャードが茉莉子に訊いたことがあった。
「君は、元々友達を探していたんだよね。僕たち、こうやって友達以上の関係になってしまってるけど、これでいいのかな?」
茉莉子は答えた。
「よくわからない。少なくとも私はまだ友達以上の関係だとは思っていないけど。」

 また、こんな会話をしたこともあった。リチャードが、
「僕の過去の恋愛について知りたい?」
と訊くので、本当に全く興味のなかった茉莉子は、ただ、
「別に」
と答えた。すると、リチャードは、
「僕の過去について聞いたら、嫉妬する?僕は恋人の過去は聞きたくないな。どうしても嫉妬しちゃうから。」
などと訊いてきたのだ。そこで、茉莉子は正直に、
「別に貴方が誰と付き合っても嫉妬しないよ。そもそも私にとってはどうでもいいことだし。」
と答えた。
 これで、リチャードも茉莉子に特別な存在だとは思われていないことをわかってくれたと思っていた。しかし、日本人独特の婉曲的に相手に言葉の裏を推測させるという表現法がアメリカ人には通用しないのか、勘違い男リチャードの暴走にブレーキをかけるのは、茉莉子が想像していたほど安易なことではなかった。


十一月下旬、感謝祭前の週末、リチャードが茉莉子の家に来たときに言った。
「ねえ、今夜こそ泊めてよ。エッチしないから。ただ君と一緒に横になるだけだから。」
「本当にただ横になるだけね?」
あまりにリチャードが執拗に懇願するので、茉莉子は、ベッドに入る前には念入りにシャワーを浴びて体をきれいにし、尚且つ体の関係を持たないという条件付でついにリチャードのお泊りを承諾してしまった。

 茉莉子は先にシャワーを浴び、パジャマを着てベッドに入った。茉莉子がベッドに入るなり、ノワールとミケもベッドに飛び乗ってきた。茉莉子は消灯し、そのまま寝た。
 すると、シャワーを浴び終わったリチャードがベッドルームに入ってきた。暗がりでよく見えなかった、いや、見たくもなかったが、一糸纏わぬ素っ裸だ。リチャードは、掛け布団の上で寝ていたノワールとミケを押しのけ、茉莉子の横に割り込んできた。茉莉子はリチャードに背中を向け、海老のように体を丸めたが、それでもパジャマ越しにリチャードの体毛の感覚が伝わってきた。
「この掛け布団は、暑がりな僕には厚すぎる。今度一緒に薄手の掛け布団を買いに行こうか。」
ちょっと、ここは私の家よ。勝手なこと言わないで!茉莉子はムッとした。
 リチャードが茉莉子の背後から手を回し、
「I love you. You are so beautiful.」
と甘い言葉を掛けてきた。茉莉子は無視してただひたすら寝たふりをしていたが、リチャードが、「You are the most beautiful(君は最も美しい)」と言うと、思わず噴出し、大笑いしてしまった。ミス・ユニバースやスーパーモデルじゃあるまいし、お世辞にもほどがある。しかも茉莉子はごく平凡な日本人だ。尤もこの日本人として平凡な外見が白人にはエキゾチックで魅力的に見えることもあるようで、元彼もよくそれを褒めてくれたが、それにしても「Most beautiful」とは、お世辞を通り越して最早ギャグだ。

 翌朝、ノワールとミケの重みをお腹に感じて茉莉子は目を覚ました。目が覚めていきなり横には禿げ頭…。何とも言えず不快な一日の始まりだ。それでも、昨夜飲んだワインのお陰で、何とか眠ることができた。茉莉子がバスルームで顔を洗い、歯を磨いていると、素っ裸のリチャードが後ろから、
「You are the most beautiful! 歯磨き中なら笑えないでしょ。」
と言ってきた。茉莉子にはリチャードの大げさなお世辞をギャグとして受け止めていたが、リチャードは茉莉子を笑わせるつもりではなく、逆に大笑いされたことが残念だったようだ。素っ裸のリチャードに対し、目のやり場に困った茉莉子は、リチャードの方を見向きもせず、
「歯磨き中に言われたら、噴出すからやめて!」
と答えた。そして、何よりとにかくリチャードに早く服を着て欲しかった茉莉子は、口をゆすぐと、リチャードに背中を向けてたまま、
「バウワウが待ってるでしょう?早く帰ってあげた方がいいわよ。」
と言い放った。

 リチャードが帰ると、茉莉子は即座にシーツをベッドから剥がし、洗濯機の中に投げ込んだ。


 十一月末の感謝祭の週末は四連休だった。感謝祭当日の木曜日は、家で七面鳥を焼くため、リチャードが茉莉子を家に招待した。七面鳥にスタッフィングを詰めてオーブンに入れると、リチャードは今度はお得意の臭いマッシュポテトを作り始めた。
「マッシュポテトにシイタキを入れたらどうなるかな?」
アメリカ人のリチャードは、日本語の「え」の発音ができなかったので、いつも「シイタケ」を「シイタキ」と発音した。
「え?マッシュポテトにシイタケ?」
茉莉子は嫌な顔をした。いや、もしかしたらアイディアとしては悪くないのかもしれない。実際アジアの食材を上手く利用して創作料理を作っているシェフがいるフレンチレストランもサンフランシスコにはある。しかし、茉莉子はリチャードが日本の食材を使って変な創作料理を作るのにはうんざりしていた。リチャードの創作料理は最早日本食に対する冒涜としか思えなかった。

 二人で一匹の七面鳥はいくらなんでも大き過ぎたので、食事が終わっても大量の七面鳥の肉が残った。
「ノワール君とミケちゃんに持って帰ったら?」
というリチャードの提案を茉莉子は不快に思った。茉莉子は、自分の猫の健康管理には人一倍気を使っていたので、知識のない人から提案を受けることを快くは思わなかった。人間用に塩味を付けられ、しかも七面鳥の中に詰められたスタッフィングにはハーブなどの調味料も入っていて、猫の体にいいはずがない。バウワウはこんなものを食べさせられているのだろうか?

「スイートハート、この間、君のベッドで寝られて、すごく幸せだったよ。なんかエロチックな気分になっちゃった。」
リチャードが茉莉子の肩に手を回し、耳に「ハァ〜」と生ぬるい息を吹きかけてきた。茉莉子はまた体を硬直させた。リチャードが茉莉子の口にキスをしようとすると、茉莉子は固く唇を結んで抵抗した。最早リチャードは変態の本性丸出しだ。そして、いつの間にか、リチャードは茉莉子のことをスイートハートと呼ぶようになっていた。
「スイートハートって、どういう相手に対して使う言葉なの?」
ムードを壊すべく、茉莉子は冷めた話し方でリチャードに訊いた。
「大切な人に対して使う言葉だよ。でも、ハニーはちょっと甘すぎるから、僕はスイートハートという呼び方の方が好きなんだ。」
一方、茉莉子はリチャードを「You」としか呼ばなかった。
「スイートハート、君って、とてもエロチックな魅力があるよ。実は、僕はタイ人のフィアンセとは、友達としては上手くいってたけど、全くエロスを感じなかったんだ。」
それって、褒めてるつもり?それとも嫌がらせ?気持ち悪いだけで、全然嬉しくないんだけど…。
「ねえ、スイートハート、子供作ろうよ。ね、作ろう。」
リチャードが茉莉子に寄り添ってきた。
「だから言ったでしょう。失敗で子供を作るようなことは絶対したくないって。ちゃんと育てられる環境が整ってからじゃないとイヤだって。」
「じゃあさ、子供産むとしたら、どんな遺伝子が欲しい?頭のいい子が欲しければ、僕なら博士号持ってるよ。」
茉莉子はこのリチャードの質問に対し、何も言わなかった。流石に、髪がふさふさでお腹が出ていなくて、脚が長くて…とは口が裂けても言えない。
 リチャードは、今度は茉莉子の服の中に手を入れようとしてきた。茉莉子が抵抗してリチャードの手を振り払うと、またリチャードの手が茉莉子の腰の当たりに伸びてきたので、茉莉子は抵抗し続けた。すると、リチャードは諦めたようで、
「僕はジェントルマンだから、君がイヤなら無理強いはしない。」
と言った。ここまで変態の本性を露わにしつつ、まだ自分をジェントルマンだと信じているなんて…。少なくとも今まで茉莉子が付き合った男性の中に、リチャード以上の変態はいなかったが、もしリチャードがジェントルマンなら、世の中のほぼ九割九部の男性はジェントルマンということになるではないか。

「僕と一緒に暮らせば、君はもう家賃を払わなくてもよくなるし、永住権も取れる。いいことづくめだよ。」
リチャードは茉莉子の肩を抱いて言った。しかし、アメリカ人と結婚してまず与えられるのは、仮の永住権だ。その後、少なくとも二年間結婚生活を続けて、結婚が偽装ではなく真実だったことを証明しないと、その永住権は剥奪されてしまう。仮の永住権下での共同生活の後、いかにお互いを愛し合っているかを最終インタビューで示せば、めでたく正式なグリーンカードが与えられるのだが、偽装結婚カップルを何組も見てきた審査官には、お互いに愛情がないことは一目瞭然だ。二年間も毎朝寝覚めとともにリチャードの禿げ頭を見て、毎晩奇妙な創作料理を食べさせられることを想像するだけで気が遠くなる上、ベテラン女優並みの演技力もない茉莉子には、リチャードを愛している演技など、どう考えても無理だ。それなら会社に永住権取得をサポートしてもらった方が余程確実だ。

「ねえ、たまには君も僕の家に泊まってよ。」
と言うリチャードに、茉莉子は、
「イヤよ。何も準備してないもん。女性がお泊りするには、自分専用の化粧水やシャンプーも揃えないといけないのよ。」
と言って断り、そのままリチャードの家を後にした。


 次の週の水曜日、リチャードは茉莉子の家に靴箱を持って来た。
「この靴箱、ベッドルームに置かせてもらってもいいかな?」
茉莉子が夕食を作っていると、白いよれよれのTシャツ、綿の短パン、白い靴下に着替えたリチャードがベッドルームから出てきた。靴箱の中身はお泊り道具だったのだ。リチャードの不細工な部屋着姿を見ていると、茉莉子は自分で作った料理が不味く感じられた。
「このサラダドレッシング美味しいね。日本製?」
「あ、うん。やっぱり私にはどうしても日本製のドレッシングの方が口に合うから、いつも日系スーパーで買うの。」
「今度僕の家に来るときにも買ってきてくれないかな?お金は僕が払うから。」
いつもどおり箸を振り回しながら、なかなか食べ物を口に運ばないリチャードに、茉莉子はそろそろ嫌気が爆発しそうになってきた。
「相変わらず食べるの遅いわよね。」
「え?僕って食べるの遅すぎる?」
「そうね…。」
「そう?普通、女の人って、ゆっくり食べたがるもんだと思ってたけど。でも、仕方ないよね。」
やはり、女性を喜ばせる方法について勘違いしている。そして、自分の勘違いを正しいと信じ込んでしまっているから、永久に改善されそうにない。これだから、茉莉子の前であれだけ下品な話をしつつも、「僕は紳士だから女性の嫌がることはしないよ」などと平気で言えるわけだ。

 夜、茉莉子は先にシャワーを浴びてパジャマを着てベッドに入り、数分後にシャワーを浴びたリチャードがノワールとミケを押しのけてベッドに入ってきた。この日、茉莉子は疲れていたのですぐ眠ってしまったが、何故か翌朝目覚ましで起きてみると、パジャマの一番上のボタンが開いていた。
「僕が君に『You are beautiful』って、甘い言葉を掛けたら、君はいきなり『グー』って鼾をかいたよ。」
と、リチャードはショックを受けていた。どうやら、リチャードは何かいやらしいことをしようとして茉莉子のパジャマのボタンを開けたが、既に茉莉子が眠っていたことを知って諦めたようだ。茉莉子は自分の寝つきのよさを自画自賛した。
 今日は木曜日だ。いつも通り仕事もあるので、朝の身支度をしなければならないし、ゆっくり朝食も摂りたいのに、リチャードが出て行かない限り何もできない。なんという時間の無駄なんだ…。
「しばらく抱き合いたい?それとももう起きたい?」
などと呑気に訊いてくるリチャードに、茉莉子は、
「今日仕事なの。いい加減起きなきゃ。」
と言って、ガバッと起き上がった。リチャードには髪の毛がないので、寝癖直しの必要もなく、ただ服を着さえすればそのまま出られるはずなのに、何をもたもたしているんだろう。一刻でも早く身支度に取り掛かりたい茉莉子は、リチャードが出ていくまでずっと苛々しっぱなしだった。
 リチャードが、「またね。」と言ってお別れのハグをして、茉莉子のアパートを出ると、茉莉子は大急ぎでバスルームに入り、身支度を始めた。また不愉快な朝を迎えてしまった。いつまでこんなことを続けていけばいいんだろう…。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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