八月末のある日、茉莉子はサンフランシスコ郊外のアパートの一室でパソコンに向かっていた。今モニターに映っているのはローカル掲示板。 「まともな人、いないなあ…。」 実は茉莉子はつい最近二年間付き合った彼と別れてしまい、心に穴が開いた状態からなかなか立ち直れずにいた。日本で英会話学校に通って鍛えた英語力を認められて会社のサンフランシスコ支部に派遣されたはいいが、従業員十名程度で平均年齢の高い小規模な職場で、なかなか出会いの機会もなく、そんな生活の中でやっと出会えた彼。一時は結婚まで夢見て、そして、年齢的に手遅れになる前に出産育児も経験したいと考えていた。その点、ヨーロッパからアメリカの有名大学に留学して修士号を取得し、事業にも成功した彼は、パートナーとしても、遺伝子を残すにも、条件的に申し分なかった。しかし、楽しかった日々も長くは続かず、二人の気持ちにすれ違いが生じるようになり、結局彼は母国に帰ることを決めてしまった。そこで茉莉子は、彼への未練を断ち切れるまで、せめて男の友達でもと思い、ローカル掲示板のパーソナルズで「女友達」を募集している男性を探していた。まだ次の恋に進むには心の準備ができていないし、それにいかにも恋人募集というのは露骨過ぎて気が引ける。しかし、大部分の男性が募集しているのは、恋人若しくはセックスフレンドで、茉莉子の理想に合う人はなかなか見つからなかった。いや、もしかしたら、将来的には自分の彼氏候補として相応しい男性を求めていたのかもしれない。それでも、茉莉子としては少なくとも最初は友達関係を築いた上で、じっくり時間をかけてお互いのことを知ることが優先だった。
そこで、茉莉子は自分から「友達募集」のカテゴリーに広告を投稿することにした。
「在米歴数年の30代前半のアジア人女性。新しい友達を募集しています。趣味は旅行、映画鑑賞(特に外国物や単館上映物)、ワインテイスティング、ドライブなど。動物が大好きで、猫を二匹飼っています。30代後半から40代程度で、異文化に興味のある知的で紳士的な方とお会いしたいです。人間性重視ですので、最初は写真の交換なしでお願いします。」
このローカル掲示板は、誰が見ているかわからないので、万一知り合いがこの広告を読んでも茉莉子本人だと同定できないよう、自己紹介部分は少し遠まわしな表現を用いた。やはりどうしても元彼への未練を断ち切れない茉莉子。八歳年上で、高学歴で経済力もあり、自分自身もヨーロッパ出身で異文化に興味があり、よく海外旅行にも連れて行ってくれた彼と似たような人を求めているのが、この広告にも見え見えだった。本当は、スリムな白人男性で修士以上の学歴…というところまで指定したかったのだが、それではあまりに露骨なので、実際にこの広告に返信した人の中からメールの内容を吟味して自分の理想に合う人を選ぶことにした。
一日で、かなりの量のレスポンスがあった。まずよくあるパターンが、広告の内容をよく読まずに、コピー・アンド・ペーストしたメッセージを手当たり次第送っているような男性。 「20代のインド人男性です。(後略)」 「だから、30代後半から40代って書いたじゃん。ちゃんと広告読んでからレスしてよね。それに、インド人には興味ない。」茉莉子は黙ってレスポンスを削除した。
謙遜するのが当たり前な日本人の茉莉子にとって、自分を過大評価している男性も苦手だ。「どう?僕ってかっこいいでしょ?」といわんばかりにいきなり写真を送ってきた男性はその段階で即却下。そして、こんな自信過剰なメッセージも対象外だ。 「ハンサムな40代男性です。実年齢より若く見られます。身長5フィート9インチ(175cm)、体重230ポンド(100Kg超)(後略)」 「よくこの巨体で自分のことハンサムなんて言えるもんだ。太った人は苦手。」
それでも、比較的まともなメッセージには一応返事をしたが、数回のメールのやり取りで終わってしまうパターンが多かった。相手の人となりがわかるまで、写真も一切送らず、本名も公開せず「M」としか名乗らない茉莉子に愛想を尽かすケースが大部分だった。その中で、最後に残ったのが、リチャードという白人男性。四十代後半のアメリカ人。職業は医療機器のエンジニア。博士の学位を持っているらしい。犬を飼っているので散歩が日課になっている上、ジムにも通って健康及び体型維持には気をつけているらしい。これだけ見ると、知的で太っていなくて動物好きで…という茉莉子の理想に見事に当てはまる。
茉莉子とリチャードは、しばらくメールの交換を続けた。まず茉莉子が数年前にアメリカに来ることになった経歴から始まり、今の仕事のこと、猫を二匹飼っていること、今まで行った旅行のこと…。そして、メールの内容が個人的な話題にまで及ぶようになると、元彼のことについても少し触れた。但し、彼と別れた理由や、今彼がどこでどうしているかなど、具体的なことには触れなかった。これに対し、リチャードは以下のような半ば的外れな返事をくれた。
「僕も今日スーパーで買い物をしていたら元彼女に会って、なんか気まずい雰囲気になったんだ。だから君の気持ち、よくわかるよ。」
趣味の映画鑑賞についての話題をメールで交わしたこともあった。茉莉子がハリウッド以外のマイナーな外国映画が好きだと書いたことに対し、リチャードは以下の返事をくれた。
「子供の頃に、Escapade in Japan(邦題:二人の可愛い逃亡者、直訳:日本での逃避行)という映画を見たんだ。タイトルだけ見るとポルノビデオみたいな感じだけど、内容はアメリカ人の男の子が日本人の男の子と友達になって旅をする可愛いものだった。いい映画だったよ。」
「え?このタイトルからポルノを想像するの?この人、実は結構変態だったりして。」 茉莉子には一抹の不安がよぎった。しかし、せっかくここまでメールの交換を続けてきたわけだし、男性だから多少はエッチなことを考えるのも仕方ないかと思った。尤も少なくとも元彼ならこんな変態じみた発想はしないはずだが…。それでも、何より元彼への未練を一日でも早く断ち切りたかった茉莉子にとっては、今すぐにでも彼のことを忘れさせてくれるような男友達を作ることが先決だったので、細かいことは気にせずリチャードとのメール交換を続行した。
メール交換を続けるうち、リチャードは自分の名前を「Rich」という親しみやすい愛称に切り替えたが、茉莉子は彼のことを「Richard」と呼び続けた。メールの段階でやたら親しくなりすぎてしまうのには抵抗があったのだ。一方茉莉子は得体の知れない相手に本名を明かすのは怖かったので、相変わらずただ「M」とだけ名乗っていた。日本人でメールに「(笑)」を多様する人がいるように、リチャードは[laughing]を多用した。「laughing out loud(大声で笑う)」の略として「LOL」、若しくは顔文字などの表現を用いるアメリカ人は多く、たまには愛嬌だが、リチャードの露骨な [laughing]という表現は上品とは思えなかった。メールの内容は、その日仕事であったことやお互いのペットの話題など、無難なものがメインだったが、回数を重ねるにつれ、リチャードのメールには、自分の女性観などたまに品格を疑う表現が見られるようになった。それでもリチャード自身は自分は紳士だと信じ続けていたようで、よく「僕は女性が嫌がるようなことはしないよ」という意味のことを書いてきた。茉莉子も、相手が男性である以上、少しは寛容にならなければならないと自分に言い聞かせた。それほどに元彼と別れたショックは大きく、今はとにかく傍にいてくれる男性が欲しかったのだ。
こうして、二人はメールの交換を一ヶ月ほど続け、九月末のある週末、ついに実際に対面することになった。選んだ場所は、リチャードの自宅近くのスターバックスコーヒー。前日のメールで、リチャードは自分自身について以下の描写をした。
「僕は禿げていますが、明日はゴルフ帽を被っていきます。身長は5フィート6インチ(168センチ)。ライトブルーのシャツとジーンズ姿で、犬と一緒に外で待っています。 」
当日、約束の時間の数分前、茉莉子はドキドキしながら待ち合わせ場所のスターバックスのあるショッピングセンターの駐車場に入り、車を店から少し離れた場所に止め、それらしき人が店の前にいるかどうか車窓越しに探した。ネットを通して人と会うなど、今まで殆ど経験がなかったため、茉莉子はかなり緊張していた。 「あまり変な人だったらここで帰っちゃおうかな。でもそれは相手に申し訳ないし…。どうしよう、もう後には引けない。」 約束の時間ギリギリに、白いゴルフ帽を被った青いシャツとジーンズ姿の男性が白い大きなプードル犬を連れてやってきて、店の前に置いてあった椅子に腰を下ろした。茉莉子の車からは、遠すぎてその男性の顔ははっきり見えなかった。一方プードル犬は、よくショーに出てくるような毛糸のボンボンをいくつも纏ったような芸術的な美しい姿とは程遠く、バリカンでかなり短く毛を刈られているのがわかった。
茉莉子は車を降り、男性の前まで歩いていった。座っている姿を見ると、その男性は予想していたより大柄に見えた。180センチくらいはありそうな上半身だ。 「リチャードさんですね?」 男性は顔を上げ、ゴルフ帽のつばを通して茉莉子の顔を見た。濁った青い目と赤茶けたライトブラウンの顎鬚は、四十代後半にしては老けて見えた。ゴリラのように盛り上がった口元から除く歪んだ歯並びは上品とはいえない。ゴルフ帽の下が禿げ頭であることは昨日のメールで白状済みだ。申し訳ないが、第一印象の段階で茉莉子は少しがっかりした。 「私がMです。本名はMarikoです。」 「Yes, I’m Rich. Nice to meet you.(はい、私がリッチです。お会いできて嬉しいです。)」 お決まりの初対面の握手をしたかと思うと、いきなりリチャードは、 「僕は犬を見ているから、僕の分もコーヒーを買ってきてくれる?レギュラーでいいよ。」 と茉莉子に十ドル札を差し出してきた。 「え?いきなり初対面の人にそれは図々しいんじゃないの?」と思ったが、犬を見ていなければならないなら仕方ないか…と、茉莉子は十ドル札を持ってスターバックスの店内に入った。
二人は初対面らしく差し障りのない会話をしながら、一時間ほど店の前に設置されたテーブルでコーヒーを飲みながら過ごした。プードル犬の名前はバウワウ。毛のカットはリチャードが自分でしているらしい。なるほど、それでカットがお粗末なのも納得だ。茉莉子はリチャードの容姿に魅力を感じなかったが、それでも今求めているのは恋人ではなくあくまで友達なので、相手に外見的魅力を要求すべきではないと思った。特に髪については、誰も好きで禿げるわけではない。遺伝だから仕方がないので、差別してはいけない。第一、茉莉子自身が日本人として中肉中背で平凡な容姿をしているので、「私、かっこいい人じゃなきゃイヤ」などとはあまりにおこがましくて言えなかった。 「今日はお話できて嬉しかったよ。それじゃ、またメールするよ。」 リチャードが立ち上がった姿を見て、茉莉子は少し引いた。立派な上半身に比べて、脚がまるで切断されたかのように不自然に短いのだ。しかも、メールでは毎日エクササイズをして体を鍛えているようなことを書いていたはずなのに、かなりの小太り体型でお腹がぽっこり出ている。青いシャツとジーンズの立ち姿は、まるでドラえもんだ。茉莉子は、彼が穿いていたジーンズを見て、裾を一体何センチ切ればこの体型にフィットするんだろう…などと余計なことを考えてしまった。
帰りの車の中で、茉莉子は「本当にこの人に会ってよかったのかな?」と何度も自問した。 「いや、私が求めているのはあくまで男友達なんだ。それにこうやって人脈を広げれば、どこかにまた新しい出会いがあるかもしれない。とにかくしばらく友達関係を続けてみよう…。」
|
|