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続 銀狼犯科帳A(ぎんろうはんかちょう) 作者:早乙女 純

第7回   江戸城溜間
江戸城溜間




 薫風香る皐月の江戸城は青々とした緑と白い石がきが美しい。
 
裃の定行は西ノ丸御殿の長い廊下を歩き溜間(たるのま)詰(づめ)に入る。
 恰幅の良い島津光久が裃で平伏している。
 傍らに町人の正装姿の小六も平伏していた。

「これはこれは薩摩殿、如何なされた?」
「某(それがし)の千代が大変お世話になり御礼を申し上げたく失礼ながら参りました」
 定行も対座して坐ると茶坊主が茶と水羊羹を載せた皿を双方に差し出した。

「薩摩殿、この菓子は?」
「薩摩総力あげて開発した水羊羹でごる」
「水羊羹?。なんとも美しい。表面はみずみずしく切り口の内側には梅の花が咲いておる」

「流石はお菓子の守と異名ある久松様。寒天という冷えれば固まる物を開発し、小豆の皮を梅に似せて散りばめました。人呼んで「闇に咲く梅」と題した洋風和菓子でござる。お口に入れて堪能して下され」

「では所望致すぞ」
 光久はじっと定行の口元を見つめる。
 定行は一口含み、目を瞑って味合う。
 
茶を含み喉仏が、ゆっくり上下する。
「なるほど口の中が甘く幸せになる」
 それを聞いて光久は破顔になる。
 
定行は小六の方を見る。
「小六。この江戸城内にいるのだから薩摩の者だと判ったが、よく考えればそちの名を聞いておらぬわ」
 
小六は光久の方を一瞥し、
「それがし田中清右衛門という陶芸白薩摩焼三代目でございます。この度の一件のお礼を直接お目にかかって申し上げたく藩主に嘆願してかないました」

「ほほう。田中清右衛門の孫か。そちらの名声聞いた事があったわい。あの簪は見事な出来であった」
「恐悦に存じます」

 定行の脳裏に簪とチュオタンそして朝鮮の上使の詰問が蘇る。
 さらに遠山に調べさせた簪の出所は該当地がなく、強いて申せば日本の物ではなく朝鮮のビニョやコチあるいは琉球のジーファーに近い。
 
そして南原で工芸に携わった者が慶長の役にて連れ去られたという風説。
 未だに末裔も帰国していない。
「小六、また良かったらドジョウ汁を喰わせてくれないか」

「畏まりました」
「あのドジョウ汁はどこで習った?」
「先祖代々から受け継いだ田中家の料理でございます」

「朝鮮の南原で良く似たドジョウ汁チュオタンを長崎で朝鮮上使から馳走になった。両者共に美味しかった」
 小六は深く頭を下げる。

「もし。もしだが、悩み事あれば、この久松定行にも相談せよ。悪いようにはせん」
 光久は咳払いし、定行は懐から巻物を取り出す。
「隠岐守、これは船宿「一柳」建築図でござるな」
 
定行の前に絵図を広げて見せた。
「お千代や藤兵衛から聞いてると思うが、一柳は半焼した。焼けなかった畳や襖も水をかぶり使い物にはならん。そこでどうだろうか恩返しをしてくれぬか」
 
定行はすまなさそうに茶坊主に算盤を持って来さして、盤を三つ動かした。
「命の恩人でござるゆえ、便宜をはかるのはやぶさかではござりません。されど三千両とは法外な。これでは丸山に城を築くおつもりか」

「おぉすまん桁間違えた」
 とずらして三つ上げた。
江戸初期、一両は現代の三十万に匹敵する。

光久は島津歴代の中でも側室上がりの藩主ゆえに金銭感覚がいたって鋭敏。
 江戸城の増築工事や尾張藩の木曽川堤防などの幕府も嫌がる工事を請け負いつつ、藩の財政はやりくり算段で旨くやっている方だ。

「久松様、三年賦で宜しいか?」
「むろん異存ない」

「ならば」
と、さらに横の盤を三つ上げた。
「構わんのか?」

「利子でござる。だいぶ飲み代のツケが溜まっている、と聞いておりますから」
 光久の小六を見ての弁に定行は紅潮する。
「忝(かたじけな)い」

光久は顔を横に振る。
「話は変わるが一つ聞きたい」
「何なりと」

「最近、豆毛浦から来た女が薩摩簪とよく似た蒔絵入りの陶器製だったが、何か朝鮮との関係があるのか」

 光久は間を置き、
「陶工を慶長の役に我が薩摩に連れて参り、そのまま居着いたので手法がかなり似通っているのは致し方ないと申せます」

「なるほど」
 定行は小六を一瞥し、問う。
「して、その陶工のその後は?」

「藩主・島津義久の徳に触れ、帰国したくなくないと申すので、門構えの屋敷、脇差を与え匠の腕を磨き藩の殖産に貢献してくれております」
「光久、門構えの屋敷なれば苗字も与えたか」

「いかにも」
 定行は小六を意識する。
「幕府は国産朝鮮人参や国産奇応丸などを朝鮮から輸入せずに済むための独自生産を欲しているのは承知していると思う」

「・・・」
「聞けば金細工のめっき技術も、奇王丸など薬も丹という水銀を駆使した技と言うではないか。同じ技法ならば薩摩にいる陶工を江戸呼んで貰えぬか」

「隠岐守、初耳でござります。めっきの技法と飲む薬の技法が丹を使う同じ技法などとはと信じられませぬ」

「いや噂の類じゃ。されど幕府開いて五十余年。未だに国産できぬ故に、職人技を伝授して貰い、試作すべきと考えてな」
 光久は首ひねり深い溜息をつく。
 
定行は暫く返答を待ったが返事がないので、言葉を続ける。
「もう一つ頼みたい事があるのだが・・・」
 光久は身がまえた。

「この水羊羹は実に美味しい。悪いがそちのを少し切って分けてはくれぬか?」
 光久は高笑い。
 すぐ茶坊主に持って来させたのは言うまでもない。


 暫くして島津光久と小六が溜間から出て来る。
 廊下には対馬藩の半井清四郎が平伏して定行への面会を待っていた。
 高麗人参の国産成功には、この時期から百年も後になる。


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Novel Editor by BS CGI Rental
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