暗雲の「一柳」
「結局、今治栄吉郎の事は何もわからんのか。まったく得体の知れぬ三つ葉葵のケチな奴」 上総は悪態をつく。 三つ葉葵なら徳川親藩なのに、普通大名なら陣屋、下級武士なら旅籠が相場。 なのに旅は木賃宿やあげくには宿坊する。 そうかと言って出島に出入り出来る今治(いまる)という侍に困惑するのは当然である。 日没後の一柳の外で顔を隠した上総が配下を叱責する。 「確証ございませんが、おそらく長崎探題、久松隠岐守定行かと」
「久松は我ら島津初代藩主である家久の娘を嫡男の花嫁にしている。上手く働きかければ我らの推す忠朗公の味方をするやもしれん」 上総は腕を組む。
「殿これ以上、千代一人に時を浪費するのも危険でございまする。明日では命取りかと」 上総は大きく頷く。
「牛の刻まで待てぬ。一刻後に仕留めよ」 上総がそう言い終わらぬうちに、駕籠かき人夫の掛け声が遠くから聞こえる。 上総は闇の中、顎で指図し輩は四散する。
「遠山九左衛門だ。女将開けてくれ」 遠山が引き戸を開けて定行を呼ぶ焦った声が玄関に響いた。 「わしも急用が出来たようだ」
「はい」 定行は刀を取り腰にさすと、 「どうした遠山」
「殿、夜陰に対馬船が到着しました」 「何、対馬船が長崎に寄港か?」 長崎には対馬屋敷があり長崎町奉行と交易の件で協議する必要があるから珍しくはないが、定行の脳裏に嫌な事がかすめた。
定行は駕籠に乗りこむと、遠山の乗った駕籠が先導する形で立山の方面に動き出した。
丸山の夜風に元気のよい男の掛け声がこだまする。 半刻もしないうちに立山奉行所に到着し長崎町奉行から隣国との女性との問題を聞かされた。 その前後策を話し合う間に、朝鮮船が沖に現れたという狼煙が見えた。
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