9
ヒュームとリュウは、ある店の前に来ていた。看板を見上げて、ヒュームが「行くぞ」と声をかけた。リュウは無言でヒュームの後をついていく。
カラン 「いらっしゃいませー」 中は混んでいた。飲んで、酔って、騒いで、寝て。そういう客がうじゃうじゃといた。 「……」 リュウは眉間に皺を寄せた。ヒュームは、コホンと一度咳き込んで片手を掲げた。 「こんにちはー。盗賊でーす」 しかしその声は届かず、誰一人として聞いていないようだった。 「盗賊ですよーみなさーん。逃げてくださーい」 すると、一人の客がそれに気づいた。その客も相当酔っているらしく、赤らめた顔でヒュームの方を向くと、周りの客に指差しながら笑った。 「おい、あれ見ろよ、馬鹿がいるぜ」 「ああ?」 「くっくっく…」 「兄ちゃーん! いいぞー! その調子で裸にでもなってみろー!」 「ひゃっはっはっは!!」 リュウはヒュームの後ろでため息をついた。ヒュームは手を降ろして、もう片方の手を肩まで持ち上げた後、人差し指を立てた。 パアン 店の中が、しーんと静まり返った。 ヒュームの後ろに立ち、天井に向かって発砲したリュウに、そこにいた人間全員の視線が向いた。 「おいマスター」 「は、はいっ!?」 店主はびくつき、ヒュームの方を向いた。 「さっきから盗賊だっつってんだろ。気がきかなねえ奴だな」 ヒュームの目は鋭く、誰の目にも、キレているように見えた。 「大人しくしてくださいね。僕達は危害を加える気なんてありませんから」 リュウがそう言って、偶然そこを通りかかったネズミを撃ち殺した。 辺りは静まり、誰一人として口を開こうとはしなかった。店主は、急いで袋に食料と金品を詰め込んだ。それを恐る恐るヒュームに持ってくると、ゆっくり後ろ向きのまま下がった。 「よし。それじゃ。失礼したね」 ヒュームが袋を受け取り店に背を向けた瞬間、カタン、と音がした。当然ヒュームはそれを聞き逃さなかった。 「待て盗賊!!!!」 ヒュームの背に向かって、剣を持った男が切りかかった。リュウはその様子を見ていたが、無表情のまま動こうとしなかった。 「死ね!!!!」 パキン! 「………………………………え?」 切りかかった男は目を丸くした。自分の持つ剣が真っ二つに割れ、その場に落ちた。 「……ひっ…!」 その代わり、ヒュームのボロボロの刀の刃が向けられた。その刀を真っ直ぐ辿っていくと、鋭いヒュームの目が、男を睨んでいた。 「あ……あ………ご、ごめんなさ………」 「いや、いいさ。お前は悪くない。盗賊というものは、常に命を狙われているものだ」 ヒュームはそう言うと笑んで、刀を鞘に戻した。 ヒュームの後ろで待機していたリュウはその様子をじっと見ていた。
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辺りは陽が落ち、暗くなっていた。家々の明かりと、空の星だけが目立っていた。 しかし、それとも離れ、家々の明かりはもちろん、星さえも疎らにしか見えない、木々生い茂った山の中で、ヒュームとリュウは、木の枝や枯葉に火を点け、それを囲んでいた。 「…………鬼人?」 「そう。冷血で非道、人を殺すことに戸惑いなく、死神に愛された鬼。若い男の姿をした化け物らしい」 「……」 ヒュームは黙り込んだ。リュウは焚き火に小石を放り込みながら、話を続ける。 「僕は、こいつがきっと世界最強なんだろうなって、ずっと思ってた」 「…世界最強?」 リュウは頷いた。小石を放る手を止めて、ヒュームを見た。 「……でも、もしかしたら、違うかもしれない」 「まさか、自分がそいつより強いっ…て?」 ヒュームが冗談めかして言うと、リュウはゆっくり首を振った。リュウの真面目な顔に、ヒュームは面白くなさそうに口を歪めた。 「もしかしたら―……」
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突然、ヒュームは立ち上がった。リュウもヒュームが見つめる先に視線を送って、そして、ヒュームより少し遅れて立ち上がった。 「………火消せ」 「言われなくても」 リュウは焚き火に足で砂をかけた。小規模だった焚き火はすぐに消えて、辺りは真っ暗になった。 「……」 二人は無言で闇の中を見つめた。音はしない、生き物の姿も見えない。しかし、何かの気配がした。 「……俺が行く」 ヒュームはゆっくり足を進めた。音がしないように、辺りに気を配りながら。 ひんやりとした汗が、ヒュームの頬から一滴落ちた。 ガサッ 「!!」 ヒュームは後ろに下がった。自分に向って何か飛んでくる。はっきりと見えないが、音がした。 咄嗟に刀を抜き、飛んでくる物に全神経を集中させた。どこから来る? 右から? 左から? それとも―…… 「上か!!」 どがん ヒュームの頭上で、それは爆発した。刀はそれを見事に討ち切っていた。爆破した破片が顔に落ちてきた。 「ヒューム!!」 リュウの声にはっとして、刀を振りかざした。“それ”はまたしてもヒュームの目の前で爆発し、粉々になった。 「くそ……誰だ!! 姿見せやがれ!!」 ヒュームの叫び声と同時に、リュウの目の前に影が現れた。その影はリュウの口を塞ぎ、リュウの動きを封じた。 「ヒュ―……」 「!?」 ヒュームが振り返ると、全身黒で覆った格好の男がリュウの口を塞いでいた。リュウは苦しそうにもがいていた。 「リュウ!」 「動くな。こいつの命がどうなってもいいのか?」 黒服の男はそう言って、懐から拳銃を取り出した。銃鉄を起こし、リュウのこめかみに突きつけた。 「なっ………」 「動くなよ……こいつは、“俺達”が連れて行く」 周りの闇から、同じ黒い服を着た男たちが数人姿を現した。 「お前ら……何が目的だ。リュウをさらってどうするつもりだ」 「くく……この男は、偉大な、世界最強の男の血を引いた、世界最強になる男だ。こんな所で油売ってる場合じゃないんだよ」 「世界…最強……?」 ヒュームはリュウに視線を送った。リュウは男が何を言っているのか理解できていないようだった。目を丸くし、抵抗することも忘れて呆気に取られている。 そんな二人を見て、黒服の男はふっと笑った。 「シェルス。この名前を聞いたことはないか?」 理解できずにいるリュウの目に、目を見開き硬直したヒュームの姿が映った。
「…………………シェルス?」
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「そうか。お前、知っているんだな」 黒服の男が笑みを浮かべている時、ヒュームは何がなんだか分からないといった顔でリュウの方を向いた。 「シェルスが………こいつ、リュウと、関係あるのか……?」 「関係あるも何も、シェルスはこのガキの祖父にあたる。つまり、このガキはシェルスの、半端ない強さと、悪党の血が流れている。鍛えれば、このガキもいつかそうなるさ。そういう運命なんだよ」 リュウの脳裏に、幼い記憶が蘇った。
『そのガキ、一応“あの人”の血引いてんだから、ひょっとすると将来デカくなるかもれねえぞ』
リュウは自分の手を塞ぐ男の掌に噛み付いた。男は咄嗟に顔を歪めて手を離す。 「っ……。お前ら、あの時の………」 リュウは黒服の男達を睨みつけた。ヒュームはリュウの方へ駆け寄ろうとするが、ヒュームの近くにいた別の黒服の男がそれを妨げた。 「シェルスは俺等がまだこの世界に入る前の人間で、入った頃はもうシェルスの姿はなかった。だが、上の人等に聞く話で、シェルスがどれだけ凄い男だったかっていうことは知っている。尊敬してんだよ。このチームを捨てたっていう事実以外はな」 「……捨てた?」 「ああ、そうさ。シェルスは突然この世界から足を洗うとかなんとかで、姿を暗ました。チームを裏切ったんだよ。残されたチームの人間は、シェルスにガキがいたことを突き止めた。それが、お前の母親だよ」 ヒュームは無言だった。視線はずっと、混乱したリュウの顔へ向いていた。 「裏切り者は、たとえシェルスであっても、殺す。それが暗黙のルールだった。お前の母親にシェルスの場所を聞いても、知らないの一点張りで……いや、今思えばそれは本当だったかもしれないが。そして、チームの奴等は、その場でお前の母親を殺した」 ヒュームは眉間に皺をつくって、近くにいた黒服の男の方を見た。 リュウの目の前の黒服の男は、話を続けた。 「…が。誰か別の奴に、今度は自分たちが殺された―……」 リュウは自分の足元に視線を落とした。 「誰に殺されたのかは知らねえ。知りたいわけでもねえ。…ただ。シェルスの孫にあたるお前が、どこに行ったのか、ずっと気にかけていた。そして、やっと見つけた」 男は拳銃を持ち上げ、リュウに向けた。 「大人しくしろよ。お前には、シェルスがいなくなってから空きっぱなしの、ボスの席を埋めてもらう」
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ずっと、強さが欲しかった。 テレビの中のヒーローは、いつも自信と幸福そうな笑みに満ちていて、誰からにも愛されていた。 挫折しそうな時もあった。でも、ヒーローはそんなことに負けたりはしなかった。 ヒーローはお約束のように、悪者をやっつけて、みんなを幸せにした。 悪者をやっつける時にも、卑怯なことだけはしなかった。 パンチとキックだけで、その天性の強さで、悪者をやっつけてしまう。 『あなたに地球の未来はかかっています。どうか、助けてください。』 ヒーローは戸惑いながらも、内心そのセリフに喜びを隠せなかったはずだ。 自分は選ばれしもの。最強になるための力を、神様が与えてくださったんだ。
僕は、そうなりたかったんだ。
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数人いたはずの黒服の男は、いつの間にか一人だけになっていた。その一人も困惑し、おどおどとしていた。 「き、貴様、よくも……」 「それはこっちのセリフだっつの。散々ビビらしやがって。タイマンじゃ全然弱ぇじゃねえか。しょうもねえ」 男はヒュームに拳銃を向けた。しかし、ヒュームは面倒くさそうに欠伸をした後、にっと笑んで刀を前に出した。その表情は自信に満ちていた。恐怖、という言葉を知らないようだった。 男は舌打ちをして、近くに座り込んでいたリュウにさっと拳銃を向けた。リュウはそれに気付いて、ゆっくり視線を持ち上げた。 「こ、こいつの命がどうなってもいいのか…!!」 「おいおい…お前、そいつ殺したら本も子もないじゃない―…」 「黙れ!!」 ヒュームは溜息をついた。そして、自分の方を睨んでる男の足元を指差した。 「下」 「!?」 男が自分の足元に視線を落した瞬間、電撃のように男の体を痛みが走った。 「ぐわあ!!」 男の皿がぱっくり割れ、滝の如く血が溢れ出していた。 「なっなっなっ……!!」 「あまりなめないでくれる? “世界最強の男”を」 リュウの手には銃が握られていた。その銃は古く、色も汚かった。微かに赤く、返り血で変色しているようだった。 その銃を見て、ヒュームが笑った。 「お前、人のこと言えねー」 ケラケラと笑うヒュームを背に、リュウは引き金を引いた。 「残念でした。僕はもう別の人間と契約してるんで」 森の中、銃声が響き渡り、静けさが蘇った。 「お疲れ」
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「あんた、じいちゃんのこと知ってるの?」 銃についた返り血を指で拭いながら、リュウが言った。一度消えた焚き火は、また火を点していた。 「……まあ、昔、ちょっとね」 「……ふぅん。まあ、いいけど」 リュウは銃を懐に仕舞って、「さてと」と立ち上がった。 「…どこ行くんだ? まさか、今更さっきの奴等が言ってた、ボスの穴狙ってるんじゃ…」 「…バアカ。僕は世界最強に興味はあっても、ボスに興味はない」 「……矛盾してんなあ。最強になるには、ボスじゃねえといけねえだろ」 ヒュームは喉を鳴らしながら笑った。 「違う。俺が言ってんのは、世界最強になりたいってわけじゃない」 リュウが首を横に振って、ヒュームはリュウを見上げた。 焚き火の火が大きくなり、リュウはその火をじっと見つめた。
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テレビ画面は終了の音楽が流れ出し、母親がつくりかけていた晩御飯の鍋は泡を吹いた。 幼いリュウは動けず、ただじっとその場に座り込んでいた。自分のことをじっと見つめる母親の視線から目を逸らすことができない。 鍋から零れる泡は、床まで流れた。鍋の下の火は大きくなり、近くにあった手拭タオルに燃え移った。 「お母…さ………火が……危な…………」 タオルは黒くなり、火はどんどんと大きくなっていく。燃え移れるものに、手当たり次第燃え移っていく。 「火………火が…………危ないよ………」 リュウはゆっくり銃を抱いたまま立ち上がった。倒れた母親に近づき、震えながら手を伸ばす。 「お母さん……………………………お母…………」 障ろうとして、手を止めた。頬から零れ落ちる涙が母親の頬にポタポタと落ちた。 「……………………………………」 リュウは歯を食いしばった。そして、玄関へ向って走った。玄関のドアを開けると、勢いよく飛び出した。 外に出て、家を見上げた。窓から灰色の煙が出てくる。 「……………………………………」 リュウはその場に立ち尽くし、煙をじっと睨みつけた。次第に、電気を点けていないはずの部屋が明るくなり、なんとも言いようのない匂いが漂ってきた。 ぼんっ 暫くすると、一度大きな音がして、家は真っ赤な炎に包まれた。 辺りに、何事かと人が集まりだしてきた。リュウはその人込みに紛れて、その場を逃げた。
どれだけ走ったかわからない。どれだけ泣いたかわからない。どれだけ叫んだかわからない。 顔は涙と鼻水で汚かったかもしれない。変な子供だと思われたかもしれない。 でも、リュウにとっては、そんなことどうでもよかった。
ただ、もう一度だけ、母親に会いたかった。でも、口にはしなかった。
どれだけ走っても、家から立ち上る母親の煙は見えていた。
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ヒュームのバンダナは、風に靡いてかっこよかった。そう思うのも、自分が変わった証拠だろうとリュウは思った。 「ヒュームさん」 いつからか、呼び捨てではなくそう呼ぶようになっていた。最初は怪訝そうな顔をしていたヒュームも、次第にその呼ばれ方に慣れ、何も言わなくなった。
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「fly away」 ヒュームのことをじっと見ながら、リュウが口を開いた。 「…どういう意味?」 「ヒュームさんのバンダナ」 「…へえ」 ヒュームは特に興味なさそうに相槌を打ち、視線を逸らした。リュウはふと思い出したように考え、 「…でも、そういえば。軽々しいとか軽薄とか、そういう意味もあったっけな」 と言って口元に笑みを浮かべた。 「………挑発してんの?」 「いやいや」 ヒュームは振り返ってリュウを見た。 「……Fly…なに?」 「away」 「………fly away………………あ」 ヒュームは口を開けて固まった。徐々ににやけて、楽しそうに笑った。 「……何ですか?」 「思いついた。賊名」 リュウはヒュームに手招きされて近づくと、耳元で小さく囁かれ、そのヒュームの言葉に目を細めた。 「言い難い」 「よし。決まったな。今からこの名前を世界に知らしめてやるぞ」 リュウは溜息をつきながら呆れたように笑みを浮かべ、ヒュームの背中を見ながらついて行く。
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ヒーローに、力に、憧れた。
でもそれを手にするには、それだけの器を持った人間じゃないといけないということが分かった。
もっと早くに、この人に出逢いたかった。
世界最強になるだろうこの人に。
世界最強じゃなくても、僕はこの人についていきたい。
たとえ炎の中でも、僕はかならず、あなたを守る。
あなたに、あなたの力に、憧れるから。
男が男に惚れるって、きっとこういうことを言うんだろうな。
DARIA〜蛇蠍の炎〜・完
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