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王宮への帰り道、ジンはヒュームを連れてミリアンとシェルスのいる家へと向かった。ミリアンはジンに“友人”がいたことを驚き、嬉しそうに笑った。ヒュームはヒュームで、ミリアンのことを「可愛い」と褒めちぎった後、ジンを羨ましそうに見つめた。 ミリアンが“洗濯物”のために家を出て行った後、3人きりになった部屋で、シェルスが口を開いた。 「そろそろ聞こうか、ジン。お前、いつも何をしているんだ? 今日は珍しく、返り血を浴びていないが」 「…やっぱり、あんたは分かってたんだ。あれが返り血だって」 ジンの真剣な顔に、シェルスは苦笑した。 「当たり前じゃないか。誰だってわかる。ミリアンが別格なだけだ」 シェルスはヒュームにも視線をやった。 「あんたも同じか?」 「同じ…といえば? 俺も返り血浴びまくってるか、てことっすか?」 「ああ」 ヒュームはジンに視線を向けて、ジンの特に示さない反応を見て再びシェルスに視線を戻した。 「浴びまくってますね。仕事ですから」 「ほう。仕事。どういう仕事だ? まさか、ここまで引っ張って魚屋ってオチじゃないだろう」 シェルスが答えようとして、ジンがそれを手で遮った。 「殺し屋です」 ジンがはっきりと言った。開きかけた口を閉じて、ヒュームはその場で腕を組んだ。シェルスをじっと見つめる。 シェルスは目を閉じ、 「…わかりやすい答えだ」 一度、深く頷いた。
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あれから数ヶ月経った。それ以後も、ジンは今まで通りシェルスの家へ通った。シェルスは特に態度を変えることもせず、また、ミリアンの変わらないジンへの接し方から、シェルスがミリアンへ何か言った、ということはないと考えられる。 一つ変わったのは、シェルスの病態が悪化した、ということだけだった。 ジンが来ればベッドから起き上がって笑顔で迎えてくれたシェルスだが、最近では寝たきりが多かった。ミリアンの話によると、食事の量も以前より大分減ったという。 「寿命だよ…」 シェルスは力なく言った。
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ある日のこと。王宮でトイレから部屋へ帰っていたジンは、聞き覚えのある声を耳にした。まさか、と思いジンは立ち止まって、その近づいてくる声を待った。 「お願い。私のお小遣い減らしてもいいから、ね、おじい様」 「城下の人間と付き合っていたのは知っていた。特に問題も起こしていないようだから放っておいた。しかし、その人間が誰か分かった今、放っておくわけにはいかない」 「そんな…」 ジンは確信した。目の前に国王オーガと話をする人物が、いつにも増して煌びやかで美しい姿のミリアンだということに。 オーガがジンに気付き立ち止まった。それと同時にミリアンも立ち止まり、ジンと視線を交えた。次第に目を見開き、大きく開けた口を押さえた。 「ジン!? え、どうして、あなたがここに……」 「ミリアン。知り合いか」 オーガがミリアンに問いかけ、当然、というように胸を張ってミリアンは答えた。 「知り合いも何も、お友達よ」 ジンは硬直した。 「そうか…」 オーガは視線を尖らせ、ジンを見た。
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「何!? あの子オーガの孫…てことは、王女さまじゃねえか!」 ヒュームは「まじかよ…」と額を押さえて俯いた。ジンは自分のベッドの上で正座し、未だ硬直していた。 「やばいぞ。えらいことになったな」 既にジンには、ヒュームの言葉など届いていなかった。本人も十分理解しているようだった。
「あの人達が……“鬼人”?」 ミリアンは派手な椅子に腰掛けるオーガの目の前で立ち尽くし、呆然とした。 「信じられんかもしれん……だが、本当だ。あの二人は人間を殺すことになんの躊躇いもない。そうやって今まで幾人もの人間を殺し、幸せを奪ってきた。…今後、あの二人と関わるな。いいな」 「殺し屋…ジンが……殺し―…」
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シェルスはベッドに横たわっていた。いつもならもう来ているはずのミリアンが、まだ来ない。何かあったのだろうかと心配になった。しかし、王宮の人間が毎日来ている方がよっぽどおかしい。当たり前のように毎日きていたミリアンに、正しい考え方もできないほど麻痺させられていた。
コンコン 玄関のドアがノックされた。シェルスはミリアンを想像したが、すぐに思い直した。ミリアンはノックなどしない。 「……誰だ?」 「久しぶりだな、シェルス」 キィ、と軋んで開いたドアから覗いた顔を見て、シェルスはため息をついた。 「入るぞ」 オーガはそう言って、数人の兵隊を連れて侵入した。
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ジンは夜になっても眠れないでいた。24時間、同じことばかり考えていた。 「……」 「…眠れないのか。愛しいあの人を想って」 冗談めかして、ヒュームが言った。ジンは横になったままヒュームを睨みつけた。 「お前、エスケープはどうなったんだよ。今更怖気付いたのか?」 「ああ、あれ」 ヒュームは天井を見上げた。 「あれね。なんでか、バレてる」 「…は? バレてるって…計画してたのが?」 「おう」 ジンはがばっと上体を起こした。 「おう、じゃねえだろ! いいのかそれで! どうすんだよ!」 「俺死刑らしいよ」 「死刑…!?」 ヒュームはまた「おう」と頷いた。 「おい、冗談だろ…? 分かってて、なんで普通でいられるんだよ、お前…。それに、実行してもいないのに死刑なんて…重すぎるんじゃねえか?」 「呼び出されて言われたんだ。本気なんだろ」 ジンはベッドからヒュームのベッドへ飛び移った。ヒュームの胸倉を掴み、顔を強引に引き寄せた。 「いいか、お前今すぐここを出るんだ! じゃないと、いつ殺されるかわかんねえぞ! のんびり人の心配なんかしてんじゃねえ!!」 「うるせえな…夜だからって興奮しすぎんなよ。寝れねえじゃねえか」 「ヒューム!!」 ジンの怒鳴り声にヒュームは一瞬目を丸くしたが、しかし突然、優しく笑んだ。 「やっと、名前で呼んだな」 ジンは胸倉を掴んでいた手をゆっくり離した。
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「おい。起きろ。仕事だ」 朝になっても、この部屋に陽は少ししか差し込まない。朝になったことに気付かなかったジンとヒュームは、部屋の外からの声に起こされた。 「せっかちだな…まだ寝かせろよ、くそ」 ヒュームは不機嫌そうに枕に抱きついた。ジンは静かに体を起こし、部屋の鍵を開けた。 「さっさと支度しろ」 ドアを開けて早々、起こしにきた貴族の格好の男はぶっきらぼうに言った。 「仕事…俺?」 「お前以外に誰がいる」 ジンは部屋の中のヒュームに視線をやった。男は「ああ」と笑った。 「あの男は解約が切れてるんだ。今日限りで用なし」 ジンとヒュームの眠気は一気に吹き飛んだ。 「今日一日、めいいっぱい空気吸い込んどけよ。ははは―」 男は言い終わった瞬間その場に倒れこんだ。白目を向いたまま、部屋の中に二人の男の手によって引きずり込まれた。
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ジンは服を着替え、何事もなかったかのように王室へ向かった。仕事内容は全て王室で国王自らに言い渡される。 「今日の依頼は簡単すぎるかもしれんが」 「…どういうことですか」 「標的は、もう王宮へ連れてきている。後は殺すだけだ」 ジンは眉を顰めた。 「名前は、シェルス。大昔、国を騒がしてくれた大悪党だ。私もよく顔を合わせたな。その度に、悪態をつかれた記憶がある」
「…少し時間をください。殺すだけなら、こんな朝早くから急ぐ必要もないでしょう。まだ、朝食もいただいていないんですよ?」
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「俺には時間がない。今日ここを出る」 部屋に戻ったジンは、早速出て行く支度をしているヒュームの姿を見た。 「そうだな。それがいい。気をつけろよ」 ヒュームは手を止めて顔を上げた。 「どうしたんだ。何かあったのか?」 ジンはドアの鍵を閉めた後、不安定な足取りで自分のベッドへ歩いていった。落ちるようにして寝転がり、天井を仰いだ。 「お前には、いなかったのか……どうしても殺せないって人間が」 「……ジン?」 「………だめだ。俺には、殺れない。殺せるわけない…!」
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ヒュームは追い詰めたジンの顔を見て、考えながら問いかけた。 「俺と一緒に逃げるか?」 「……」 「俺は王宮を出たら、盗賊団を築く。一緒に王宮を出て、俺と組んで、盗賊やらないか。二人で組めば最強だと思うが」 ジンは無言だった。ヒュームはため息をついて立ち上がった。 「有難う。また会えたら、考えとく……」 ジンの呟きを背に、口元に笑みを浮かべて、この部屋に来たときからずっと憎かった窓を割った。 「陽射しくらい入れろってんだ」 ヒュームは最後にそうぼやいて、窓から飛び降りた。 ジンの胸の痛みは、心臓を破裂させるくらいに大きくなっていた。
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「こんな病弱な老いぼれ、放っておけばいいのに…急がなくても長くは生きんよ」 シェルスは椅子に腰掛けたオーガの前でそう呟いた。周りを武装した兵隊が囲んでいる。 「……そんなに、愛孫を取られたのが悔しいか」 オーガは口を閉じたまま、目を瞑っている。 「そんなに……若者を、ジンを苦しめたいか」 シェルスは両腕を背中で括られていた。足にも重りをつけられ、身動きが出来ない。 「あんたは、狂ってる……」
部屋の大きな扉が開いた。ジンが部屋の中へ入ってくる。 オーガが目を開けた。オーガの視線を追って、シェルスは笑顔を浮かべた。 「元気そうじゃないか、ジン。さあ、さっさと終わらせよう」 ジンはシェルスの姿を目の当たりにし、苦渋の色を浮かべた。強く首を横に振る。 「いやだっ…俺には、出来ない……!!」 「ジン」 シェルスの近くで頬杖をつき、状況を見ていたオーガが口を開いた。ジンを睨みつける。 「言ったはずだ。仕事を拒めば、お前の命はないと―」 「ああ、上等だ!! それでいい!! 俺を殺せ!!」 「ジン!?」 シェルスは前のめりになり、首を振った。 「判断を誤るな! 私はもう長くないが、お前にはまだ未来があるんだ! こんな老いぼれのために死のうと思うな!!」 「でもっ…」 オーガが突然立ち上がり、歩き出した。周りの視線がオーガに集中する。 「ジン……シェルスの言う通りだ。お前はまだ若い。それに、お前の力を手放すのは、こちらとしても惜しい。お前は生きて、国のために朽ち果てろ。そんな老いぼれのために、その素晴らしい才能を無駄にしてくれるな」 そう言い切り、ジンの目の前に立った。 「お前はミリアンを愛しているんだろう」 「…!!」 ジンの表情に、オーガは笑みを浮かべた。しかしその笑みは、決して美しくなかった。 「この大きな任務を終了させた暁には、ミリアンとの交際を認めてもよい。…任務が成功すればの話だが」
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一方ミリアンは、自分の部屋に閉じこもっていた。ジンの正体を知った時から、人が変わったように大人しくなってしまったのだ。食事もろくに摂らず、部屋から出ようとしなかった。 カツン 部屋の窓ガラスに、小石が当たった。ミリアンは浮かない表情のまま、窓へ近づいた。 「よお」 窓の外を見下ろすと、そこには大きな袋を抱えたヒュームがいた。ミリアンは一度びくつき、ヒュームを訝しげに見つめた。 「そんな顔しないでくれ。悲しくなる…」 ヒュームは苦笑しながら言った。 ミリアンの部屋は2階にあり、外には大きな木がある。ヒュームはその木を楽々と登り、ミリアンの部屋に飛び移った。 「真実を、知りたいんだろ?」 ミリアンはヒュームと少し距離を置いたところで、無言で立ち尽くしていた。 「…それと、あまり面白くない情報をもってきた。急ぎ足で説明したい。質問は最後だ。よく、聞いてくれ」
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ジンの手にはナイフが握られていた。ナイフには国の紋章が彫られている。国王から手渡された物だ。 「さあ、早く」 「…どうして、俺が、こんなこと……」 ジンは呟いた。国王にも周りの兵隊にも聞こえていない。ただ、間近にいたシェルスには聞こえていた。 「俺は、あんたを殺したくないんだ……」 シェルスは無言だった。目を閉じ、首をジンに突き出していた。 「俺には、家族がいない。新しく家族になる予定だった人たちは、全員、俺を毛嫌いした。俺にまだ親がいたときは、優しかった、のに…会うたび、大きくなったね、て、言って…」 ジンはナイフを突き出したまま俯いた。 「いつかは俺のことを、家族として認めてくれるんじゃないかって、突然優しくなるんじゃないかって、期待してたんだ。……でも、世の中そんなに甘い人間ばかりじゃないって、子供のうちから教えられたよ。俺は家を飛び出して、たった独りで、生きるために、たくさん、他人を傷つけた。他人のことなんて、知ったこっちゃなかった。自分さえよければ、それでよかったんだ」 「何を喋ってる? さっさとやらんか…」 オーガは椅子に座り、暇そうにしていた。ジンはそんなオーガに、見向きもしなかった。 「ついには、人を殺した。…それも、他人は他人でも、俺の家族になる予定だった人だ。俺のことを貧乏神、なんて言いやがって…はは、流石に、むかついたな、あの時」 シェルスは目を開いた。目に涙を浮かべたジンの顔が映った。ジンの持つナイフに首を近づけた。ジンは驚き、ナイフを引いた。シェルスは笑った。 「これ以上何も言うな。私はお前に、何も言ってあげられない。もう、何もしてあげられないんだ」 「………シェルス?」 シェルスは最後に笑った。勢いをつけ、ジンの持つナイフに首を差し出した。
「…あんたは、あんたとミリアンは、他人の、名前も知らない、どこの奴かも知れない俺に、優しくしてくれたじゃないか…」 ジンの周りには、大量の血が飛び散っていた。 「俺は本気で、嬉しかったんだよ。初めて、自分もこの人のために何かしたいって、力になりたいって、思ったんだ……」 オーガは目を閉じ、口元に小さな笑みを浮かべた。 「あんたのためなら、死んでもよかった………いや、死ねばよかったんだ…!!」 ジンの頬を涙が流れた。それは止め処なく溢れ、ぽろぽろと顔から落ちる。 「自分の命なんか惜しくない…。…シェルス……シェルス……!!」 シェルスは床に真っ赤な池をつくって、うつ伏せていた。 「……ジン…お前は……あ、愛を…貫き…通せよ………」 それでも、シェルスは微笑んだままだった。力なく言葉を告げ、目をゆっくり閉じた。 「私は……大丈夫…だから――…………………………………………………………………………………」 「シェルス……?」 ジンは床に跪いた。シェルスの顔に、震えながら手を添える。 シェルスの顔は、ぴくりとも動かなかった。
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キイ―…バタン 部屋のドアが開き、閉まった。 オーガは目をやった。そこに、呆然と視線を送ったまま、抜け殻のようになったミリアンの姿があった。 直に、ジンもそれに気づいた。 「あ……あ……」 ジンは動揺し、首を横に振った。 「ちが……違う………」 「ジン………」 既にジンはパニックを起こし、平常でいられなくなっていた。窓に目をやり、急いで立ち上がり、走り出す。 「!!」 オーガはその様子を見て、回りの兵隊に向かって叫んだ。 「な、何をぼーっとしておる!! 止めないか!!」 ジンは窓ガラスを打ち破った。飛び降りようと窓に足をかける。 「ま、待て貴様…!」 数人の兵隊が追いついた。ジンにつかまり、引き摺り降ろそうとする。 ジンは振り返った。兵隊を睨みつけ、手を振り上げた。 ジンの手には、大きな鎌が握られていた。 ざっ 「ぎゃああ!!!!」 ざっ 「う、うわああ!!!!」 ジンは鎌を振り回した。顔は返り血と涙でぐしゃぐしゃだった。 「俺に近付くな!!」 ジンの一声に、周りの兵隊は足を止めた。人間の姿をしたその獣に、誰一人として立ち向かう気にはなれなかった。 立ち尽くしていたミリアンが、やっと口を開いた。 「待って、ジン!! 違うの、私っ……」 しかしもうそこに、ジンの姿はなかった。
オーガは愕然とし、椅子の背に体を任せた。 ミリアンはその場に座り込み、涙を流した。 兵隊達は死体と血だらけの部屋を見回し、吐き気を催した。
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ジンは行く当てもなく王宮の外を歩いていた。手に鎌は握られていなかった。 「……そうか。…“血”でも、錬金、できるのか……」 ジンの手は真っ赤に染まっていた。ふっと笑みを浮かべ、思い立ち、向かう方向を変えた。
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「なんとしてでも、あの男を捜せ…!!」 国王は汗を流しながら、落ち着きなく歩き回っていた。その隣で、ミリアンは一つの決心をし、国王の前へ出た。 「ねえ、おじい様…」 「…なんだ、ミリアン」 「…あの人と、シェルスをこ…殺したら、私との交際を認めてくれると、約束されたんですよね? …でも、私はあの人と結ばれることが出来ません。…だから、」 オーガはミリアンをじっと見つめた。 「あの人を自由にしてあげてください」
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ジンは海へ向かっていた。 「……ヒューム、ちゃんと逃げれたかな」 砂浜に足を踏み入れて、足を引っ掛けながらよろよろと歩いた。 「………ごめん。一緒に盗賊やれなくて」 海がざあざあと音をたてながら、ジンに向かって押し寄せてきた。 「…まあ、お前は一人でも十分強いんだろうな」 ジンの足が海水に浸かった。それでも歩き続ける。 「……」 胸の辺りまで海水に浸かった時、ジンは体勢を崩した。 ばしゃん しかし、慌てることはしなかった。
ジンの体は、意識と共に海の外へ吸われていった。
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最初からこうしていればよかったんだ。
そしたらきっと、自分も、こんなに苦しまなくてよかった。
俺が殺した人も……もしかしたら、救われたかもしれない。
ヒュームとミリアン、シェルスに会えたことは、後悔していない。
全然と言ったら嘘だけど………
今度こそ、この苦海とさらばだ。
DARIA〜苦海の底〜・完
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