1
「それが……両親二人とも死んでしまって。歳の離れた兄が一人いたんですけどね、その子も自分のやりたいことをやる、とか言って出て行ったんですよ。まったく、自分の弟置いていくなんて、信じられませんよねぇ。こっちの身にもなってもらいたいわ」 一年中夏空のこの村は、無駄に緑が多く殺風景なところだった。さらに、BGMのように鳴き続けるセミの声と、熱すぎる太陽の日差しが、村人のやる気を吸い取った。 「迷惑な話ですよ。近所だったっていうだけで家に転がり込んできて……え? あはは、もちろんです。餌あげてるんだからやることはやってもらわないと。7歳って言っても、雑巾がけと草刈りくらいはできますからね。…ふふ、そうなんですよ。怪我したときは怪我したとき……治療? しませんよそんなの。勿体ない。……え、今? いますよ。ちょうど雑草とってもらってるんです。庭じゃないですけどね。…ふふ、いいんですいいんです。無口で愛想なくて、何言っても言い返してこないんですから―……て…あれ?」 辺りはしんと静まり返っていた。電話の受話器の向こうから、微かに「どうしました?」という女の声が聞こえた。 「…さっきまで、そこにいた…わよね………?」
2
みすぼらしい格好の少年は、山の中を走っていた。歳は1桁の後半頃だろうか。小さな体に、幼い顔立ちをしている。指先は泥で汚れていた。 少年は走りながらひとつの決意をする。 「……もう、誰の助けも借りない。独りで生きてやる…!」
3
少年は故郷を故郷とは思わず、平気で盗みを働き、必要があれば人に危害を加え、生き物を殺した。次第に力と技を身に付け、そして、いつの間にか17になっていた。 村人には煙たがられ追われる毎日。しかし、村を出ようとはしなかった。
4
「いたぞ! あこだ!」数人の村人が眉間に皺をつくり、少年を追って来る。「待て、くそがき!!」 少年は慣れた足で山の中を走っていた。目の前の大木を駆け上がるようにして登り、別の木に飛び移った。振り返る余裕まで見せた。 追ってきていた村人のうちの一人の男が、息を切らしながら立ち止まり、木の上から自分を見下ろす少年に向って言った。 「はぁはぁ…そんなに、この村が憎いなら…はぁ、さっさと、出て行け!」 少年は口元に笑みを浮かべた。しかし、その男の言葉に答えようとはせず、無言のまま山の中へ姿を消した。
5
そこは少年にとって、見覚えのある場所だった。 今となってはただの雑草が生い茂った広場だが、その昔は、自分が育ち、そして両親を失い、兄を失った、重要な場所、思い出のある場所だった。それも、良い思い出なんてものは微かにしかなく、殆どは辛く悲しい、幼いうちから現実を突きつけられた、そんな悲痛な思い出ばかりがある。 隣近所に預けられたその日に家は焼き払われ、雑草が生えれば、素手で手入れをさせられた。その場所を庭にしようという試みがあるわけでもなく、ただ、見苦しいからという理由で。 少年が第二の家を飛び出し、そして第三の人生を歩みだしてから、10年が経った。あれからずっと、この場所は放置されていたのだろう、雑草は生い茂り、荒地となっていた。
少年はその場に立ち尽くし、何を思うのか、口を噤み、拳を硬く握っていた。 そのときだった。少年の近くで、カラン、という何かが落ちる音と、同時に、水が撒き散る音が聞こえた。少年はゆっくりと顔を向けた。 少年の目に、見覚えのある、しかし、記憶よりも老けた女の顔がそこにあった。 「あ……あんたは………」 少年は目を細めた。女の顔がみるみるうちに強張っていくのがわかる。 「な…何しにきたんだい! この悪魔! 貧乏神!」 女はどこからか竹箒を持ってくると、それを少年に向って振り回した。その風貌は鬼のようである。 「あんたがいなくなってからねぇ、私は村の人たちに散々言われたんだよ! 幼い子供を追い出すなんて鬼のすることだってね! なんであんたのために私がそんなこと言われなくちゃいけないんだい!」 少年はそれでも無言だった。女の振りかざした竹箒が当たっても、何も言わなかった。 「それでも、あんたがいなくなって清清してたんだよ! あんたのその顔を見なくてねぇ、毎日平和だったんだよ! それなのに…なんで戻ってきたんだい! もうお前の居場所なんてこの村にはないんだよ! さっさと出て行け!! 馬鹿親のところにでも行けばいいんだ!!」 最後に勢いよく振りかざした竹箒を、少年は片手で掴んだ。幾分目線が下の女を見下ろして、少年は竹箒を取り上げた。 「ひっ」 女は悲鳴を上げて体を縮めた。
―コレガ カタナ ナラ
―コレガ オノ ナラ
―コレガ カマ ナラ…!
少年は箒を振り上げた。それを女目掛けて振り下ろす。 ざくっ 「ひ、ひゃあああ!!!!!!」 少年は目を見開いた。視界が真っ赤に染まる。目の前の女の顔が歪み、そして、女は悶えながら倒れた。 少年は自分の手に持っている物を見た。それは紛れも無く、箒ではなかった。
血で真っ赤に染まった、大鎌だった。
6
少年の近くには誰もいなかった。いないはずだった。 「…あぁ、恐ろしい。なんて奴だ……」 少年はぱっと振り返った。そこには貴族衣装を身に纏い、高貴そうな男が一人立っていた。 「だ…だれ……」 咄嗟に、少年はそう口走っていた。 動揺し、困惑したその頭では、目の前の人物が誰か理解するのに時間がかった。 「誰…と? …私は、このDARIA国第一国王オーガ。今日は用がありここまで出向いた次第だ。いつもはこんなところになどこないがな」 国王は皺が深く、還暦のある顔立ちをした老人だった。少年は困惑し、次第に理解し始めた状況に焦った。 「ち、違うんだ…! 違う! 俺は殺してなんかいない! 殺すつもりなんてなかった! これは、鎌なんかじゃなかったんだ、箒、ただの竹箒だったんだ!!」 「…あぁ。そのようだな」 国王の言葉にはっとして、再び自分の手にしている箒に目をやった。箒は血で真っ赤に染まっていた。 「箒で人は殺せない……まあ、使い方にはよるが」 国王は「貸しなさい」と言って少年の持つ竹箒を手に取った。手についた血を見て一層眉間の皺を増やしながら、箒をまじまじと見つめた。 「しかし……君はこれで、婦人を、殺した…」 「…!!」 国王は箒を少年に返し、ポケットから手拭いを取り出すと手を丁寧に拭いた。少年は返されたくもなかった箒を見て目を細めた。 国王はその少年を見てうっすら笑みを浮かべた。 「…どうだ、私と契約しないか。そしたら、見逃してやってもいい」
7
国王が提示した契約とは、こういうものだった。
1。少年は王宮で、国に認められた“殺し屋”として働く。 2。少年は王宮に住み、決められた物を着て、決められた物を食べる。 3。あくまでこれは仕事であるから、報酬は国が出す。 4。その代わり、もし殺すことを拒めば、罪人として少年の命を絶つ。
8
契約も何も、少年に断る権利は与えられなかった。半強制的に、少年は王宮へ連れてこられた。 王宮につくとまず、名前を聞かれた。しかし、兄がいなくなってから呼ばれることも、使うこともなかった名前を覚えているはずがなく、少年は「そんなものはない」と答えた。 すると王は少年へ名前を与えた。
少年が王から与えられた名前は、“ジン”
9
ジンは、王宮の外はもちろん、中も勝手に動き回ることは許されなかった。日当たりのよくない部屋に鍵をかけて、半ば監禁状態で一日の大半を過した。 部屋を出るのはトイレと風呂、そして仕事の時だけだった。 さらに、部屋は相部屋だった。 ジンと同じく殺し屋として国に雇われた男、名前は“ヒューム”。ジンがくる半年以上前からここにいるという。歳はジンより少し上。それでも、若さと活気さは、ジンを上回るほどあった。ジンがこの部屋に初めて入室した時、ヒュームは笑顔で歓迎してくれた。 「よろしくな」 「……」 「…なんだ、無視かよ」 「……」 「…喋れないのかお前?」 「……」 「…む、むかつく野郎だな」 「………よろしく」 ヒュームは「お」と顔を綻ばせ、もう一度「よろしくな」と笑った。
10
ジンはまともに人と話をしたことがなかった。それ故にぶっきらぼうで、発言がいちいちヒュームの気に障った。しかし、ヒュームは本気で怒ることをしなかった。理由は、「せっかく出来た友達だしさ」。 ジンはその言葉がむずがゆく、上手く表現できない感情が、心の底で渦巻いた。
11
それから数週間後、ジンに初仕事が入った。ジンは一人で王宮の外に出て、久しぶりに外の空気を吸った。 そして、これから自分が行うことに、憂鬱になった。
ジンは、あの時のことを思い出していた。人を初めて殺し、自分の運命を変えたあの日のこと。 確かに自分があの時持っていたのは箒だった。しかし、国王が言う通り箒で人は殺せない。目の前が真っ赤に染まった瞬間、自分は箒ではなく鎌を持っていた。それも普通の鎌ではなく、大きな、死神が持つような大鎌。 このことをヒュームに話したら、ヒュームは可笑しそうにケラケラ笑った。それはジンが言っていることが滑稽に聞こえたのではなく、ヒュームがジンに興味を持ったからだそうだ。ヒュームは何を考えているのか分からない、不思議な男だ。 ヒュームはこうも言った。「今度は木の枝でも持って、銃になれ、って思ってみろ。いや、思うだけじゃだめだ。銃を想像するんだ。自分がその枝を銃に変えて、人を殺す瞬間を、心の底から願い、想像してみろ」
標的はまさに目の前にいた。いかにもガラの悪そうな、黒いスーツとサングラスの中年の男。 ジンはヒュームに言われた通り、木の枝を折って取ってきた。一度枝に視線をやって、そして、標的を睨みつける。 「俺が、奴を、殺す。この、銃で」 無意識のうちに手を持ち上げ、標的の頭を狙っていた。 「……死ね!」 パァン 標的の頭が破裂し、真っ赤な粒が飛散った。 「……」 ジンの手には、黒い銃が握られていた。
12
「錬金術っていうんだよ」 ヒュームは軋むベッドに横たわり、口から白い煙を吐き出した。 「ひと昔前は、黄金とか、はたまた不老不死になる薬とか、そういう人間の欲するものを生み出す科学技術だったんだけど、最近そうやって装飾品とか武器とか、何かを欲しい物にすぐ変えちゃう力を持つ奴が出始めて。俺はそういう力を手に入れることはできなかったんだけど…いいねぇ。あんたが羨ましいよ。“最強”を求める奴全てが欲する力だ」 ジンは自分のベッドに座ったまま、ヒュームの吐き出す煙をじっと見つめていた。 「……ジン。極めろよ、その力」
13
それからジンは、仕事に進んで向うようになった。あらゆる力を身に付けようと、必死に訓練をした。 時には小石を刃物に、時には砂を蹉跌に変えたりした。水を武器に変えようともしたが、それは失敗に終わった。
14
ある日のことだった。いつものようにジンは仕事に向い、標的を仕留め、王宮へ帰ろうとしていた。 「お兄さん、お兄さん!」 後ろで若い女の声が聞こえた。透き通った美しい声。自分が呼ばれていると思ってもいないジンは、無視して歩き続けていた。 「ちょっとー! 無視しないでよっ」 ジンは肩を何者かに掴まれた。振り返り、咄嗟に手に力をこめる、が、振り返った瞬間、目の前に女の顔があり、驚いて目を丸くした。 「もう、さっきから呼んでたのに」 女は頬を膨らませた。ジンと然程歳が変らない、若い少女だった。もしかしたら同じ歳かもしれない。金色のブロンド髪に、ブルーアイズ。可愛らしさが雰囲気から滲み出ていた。 少女はジンの服の袖を指差していった。 「赤いのついてるよ? いいの? これ。オシャレ?」 「……」 ジンは無視し、立ち去ろうとした。少女は袖を引っ張り、ジンを呼び止めた。 「!」 「せっかく教えてあげてるのに、それはないんじゃない?」 「……教えてもらわなくても知ってる。余計なお世話だ」 少女は不機嫌そうにジンの袖を離し、ジンに背を向けた。 ジンは離れていく少女の背中を見ながら「変な女…」と呟いた。
15
「またいたー!」 ジンはびくつき、恐る恐る振り返った。 「しかもまた赤いのつけてるー! なんなのよ、もう」 そこには、先日のブロンド髪の少女がいた。今日は以前とは少し離れた場所に仕事に来ていたジンだが、偶然にも、また会ってしまったのだ。しかも仕事を終え、返り血を浴びた格好を見られた。 しかし、少女はそれを返り血とは思ってもいないようだった。 「ねぇ何してるの?」 「…関係ない」 「いいじゃない別に聞いたって。なぁに? もしかして人に言えないようなことでもしてたの?」 「……」 ジンは返り血を密かに気にして手で押さえていたが、少女はそれに気付いてにっこりと笑った。 「気になるんでしょ?」 「…別に」 「私が落としてあげよっか? 得意だよ、お洗濯。最近の趣味なの」 少女は強引にジンの腕を引っ張った。 「わっ…何」 「ついてきて!」 ジンは少女の笑顔に押されて抵抗できず、そのまま引っ張られた。ちらりと腕時計に目を向け、ため息をついた。
「ここ。私の家…じゃないけど、第二の我が家みたいなとこかな」 第二の我が家。ジンは目を細め、家を見上げた。お世辞にも立派とはいえない小さなこじんまりとした建物で、近所は数百メートル先という寂しさの漂う家だった。 「ただいまー」 少女は元気に声を張り上げて、玄関らしきドアを開けた。中から「おかえり」という老人の声が返ってきた。 ジンは警戒しながら中に入り、そして見た。入ってすぐ正面に置かれたベッドに座り、こちらをじっと見ている老人の姿を。長い白髪に細い体。性別は外見だけでは断定できない。 「…ミリアン。そちらの男性は? まさか、恋人かい」 ジンは老人の表情に一瞬雲がかかっているように見えた。しかしそれは思い過ごしだったようで、老人はにっこりと優しい笑みを浮かべ、会釈程度に頭を下げた。 「違うよ。ただの通りすがり。洋服汚してるみたいだから洗ってあげようと思って」 少女はジンに服を脱ぐように言った。最初は嫌がったジンだが、少女の半ばキレかかった説得に渋々応じた。 少女の手にした服の返り血を見て、老人は薄く笑んだ。ジンにはそれがどういう意味か理解しかねたが、老人の一言で意味を飲み込む。 「お前……“何を”してきたんだい?」
少女の名前はミリアン。老人の名前はシェルス。男性だそうだ。 ミリアンはシェルスが病弱なのを知り、病弱な老人が独りで生活するのは大変でしょ、と心配し、毎日のようにここに通いつめているそうだ。シェルスとはもともと赤の他人らしい。
「いいのよ。毎日ヒマなんだもん」 ミリアンは言った。綺麗な肌と髪、そして質素だが安くでは済まなさそうな格好から、苦労人、という言葉は、この少女に似つかわしくなかった。シェルス曰く、「どこかの令嬢」。シェルスはそれがどこだか知っているそうだ。 シェルスとミリアンはとにかく仲が良く、家族のようだった。シェルスはミリアンのことを我が娘のように可愛がり、また、ミリアンもシェルスのことを尊敬しているようだった。 ジンにはその光景が眩しく、同時に、懐かしい感情が湧き出てきた。 「家族……か」
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あれからジンは、仕事のたびに偶然を装ってミリアンに近づいた。ミリアンはジンに気付くと顔を綻ばせて近づいてきた。 ミリアンはもちろん、ジンもミリアンに対して警戒心はなくなっていた。次第に口数が増え、心を開くようになっていた。 それでも、自分の過去、仕事については、一切喋れなかった。無邪気に接してくれるミリアンに、軽蔑されたくない、という気持ちがそこにはあった。
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「なあ、ジン。最近お前明るくなったなぁ」 ベッドに寝転がり退屈そうにしていたヒュームが、突然口を開いた。 「外で女でもつくったか?」 「……うるさい」 ヒュームは目を見開き、「おお!」と体を起こした。 「なんだ! 図星か! やるな、お前。やっと遊び方学んだのか。俺はとっくの昔から学んでたけど」 ヒュームが監禁生活で何故これだけ明るいのか、ジンはやっと理解した。更に、仕事から帰ってきた後、何故ヒュームが妙に満足した顔なのかも。 ヒュームは「そうかそうか」と可笑しそうに頷きながら、ジンの方を向いてベッドの上で胡坐をつくり言った。 「でもな、ジン。これだけで満足すんなよ」 ジンは眉を顰めヒュームの方を向いた。 「俺は永遠の自由が欲しい。誰にも束縛されず、好きなときに好きな女と好きなだけやって、毎日自分の好きなことをして過ごす―…」 「一生無理に決まってる」 ジンとヒュームの一生は、この王宮で過ごしてこの王宮で終わる。自由になることはないのだ。 ヒュームは頷いた。 「あぁ。ここにいれば、な」 「……まさか、お前」 「別に、王様殺して上にのぼりつめようなんて、そんな自分の首絞めるだけのことは考えてねえ。まあ、似たようなもんだがな…」 ヒュームは立ち上がり、窓の外を見た。日当たりのよくないこの部屋から見える物というのは限られていたが。 「エスケープ(脱走)だ」
18
ジンとヒュームの存在は、徐々に街中を中心に広がり始めていた。 名前、素性は一切謎。知られているのは、若く、天性の強さを持った男、ということだけ。 あまりの強さと非常さ、そして、似すぎた“様式(スタイル)”から、同一人物と思われ、いつしか、人々が想像するその人物は、“鬼人”と呼ばれるようになった。
ミリアンとシェルスの耳にも、その話は入った。ミリアンは訝しげに眉を顰め、シェルスは無言で何か考えていた。
19
ジンとヒュームは、珍しく2人で王宮の外に出ていた。仕事内容はもちろん別だが、同じ日に外に出ることは、これが初めてだった。 「今日もぼちぼち頑張ろうや」 ヒュームはそう言って、後ろ手に手を振りながら歩いていった。ジンはその後姿を最後まで見届けないまま、自分の仕事場へ向かった。
ジンが到着したその場所は、陽射しが強く、乾燥した村だった。 暑さに慣れているジンは特に気温に対して気にとめなかったが、引っかかったことが一つだけあった。 それは、言い渡された住所。大きな建物、外まで賑わう人の多さ―…宿舎だった。 今までジンが狙った人間というのは、何か問題を持った、他人とあまり関わりのないような人間ばかりだった。それが今回は、冗談でも他人と関わりがない、とはいえなかった。 「……どうするかな」 ジンが宿舎の前で立ち尽くしていると、中から人が出てきた。10代中頃といったところの、おさげ髪の少女だった。咄嗟にジンは草陰に隠れた。 「なんだよ。ここの子供か…?」 少女は洗濯物が山のように入ったバケットを両手で抱え、忙しそうに歩き回っている。時折すれ違った人間に頭を下げて挨拶をしている。 「……」 ジンはその場に座り込み、胸を押さえた。無言のまま俯き、そして、顔を上げた。
20
パァン 大きな破裂音と同時に、人々がざわつき始めた。 「きゃあああ!!!!」 「ま、マスター!!」 「なんだ、どうなってるんだ!!」 「誰だ!!」 「お、おい!! それより救急車、誰か救急車呼べ!!」 ギャラリーの真ん中に、男が血を大量に流して死んでいた。泣き叫ぶ者もいれば、泣きながら暴れる者もいる。死んだ人間が、どれだけ好かれていたかというのがよくわかった。 ジンはその光景を、遠く離れた場所で見ていた。右手には、先端から白い煙を立ち昇らせている銃を持っていた。 「やりやがったなこの野郎!」 ジンははっとして振り返った。そこにはヒュームの姿があり、ジンの驚いた顔を見て、にっと笑った。ジンは胸を撫で下ろした。 「驚かすな」 「はは。あまりにも後姿がびびってたもんで」 「……そういえば、なんでお前がここにいる?」 ヒュームはジンに背を向けた。 「俺の仕事楽勝だったんだよ。お前と違って、根っからの悪党って奴が標的だったからさ。なんの躊躇いもなく殺れた」 「…よく、この場所がわかったな」 「ん? …まあね」
暫く無言の空間が続いた。破ったのは、一人の少女だった。
「人殺し!!」 ジンは振り返った。ヒュームは驚く様子もなく、黙って背を向けていた。 「あんたでしょ!! 私、わかってるんだから!!」 洗濯物を持って歩き回っていた、あのおさげ髪の少女だった。顔は赤く、涙でぐしゃぐしゃになっていた。手には棍棒のような物を持っている。 「どうして殺したの!! ケイシェルおじさんがあなたに何かしたの!?」 「ケイシェル…おじさん?」 「あんたにはわかんないでしょ、父親がいない子供の気持ちなんて!!」 ジンは口を噤んだ。じっと少女を見据える。 「あんたなんか生きてる価値もないわ!! その命、ケイシェルおじさんと取り替えてよ!! ねえ!!」 ヒュームはゆっくり歩き出した。ジンはそれに気付いて、少女に背を向けた。 「…!!」 少女は走り出し、棍棒を振り上げた。ジンに向かって振り落とす。 バンッ 「えっ」 少女の持っていた棍棒は粉々になった。少女の手から風に乗って零れ落ちる。 少女はその場にへたり込んだ。 「自分が世界一不幸だと思ったら大間違いだ。あんたはまだ若いんだろ。これに懲りず、今後の人生楽しむんだな。あんたの大好きなケイシェルおじいさんみたいになりたくなかったら、国に逆らうことなく大人しく生きることだ」 少女は遠ざかっていくジンの後姿を、目に涙を溜めて睨んでいた。
「鬼だな。お前も」 ヒュームが言った。ジンは反応を示さず無言だった。ヒュームは面白くなさそうにため息をついた。
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