ケイオス・シティ伍番街は高層ビルが建ち並ぶだけでなく、道路が複雑に絡み合っている。あまりの複雑さに、もはや乱雑の域に達していると表現した方が適切かもしれない。いたずらに都市開発したそのしっぺ返しが、道路迷宮という異名である。屹立するビルも同様に、誰も把握しきれないほどに展開されたビル街は、そのせいで、先の件で爆破されたビルのように、不法滞在者にとってのパラダイスを築く事となった。彼らを雇う営業者(社)までもが裏で発展し、いまや何でもあり状態。現状を打開する術を、警務機関であるケイオス本庁は未だ見つけられないままでいる。 「これ、どこに向かってるの?」 先程からずっと走行中の車にいい加減飽きてきたところで、里亜は口を開いた。ラジオを付けた夕彩は、DJが選んだ今週の1曲とやらを上機嫌に鼻歌交じりで聴き入っていた。 「夕彩?」 「本庁の人間は、今回の事件をどう見てるの?」 見当外れな上にこちらの質問を無視して聞き返した彼女を、眉根をひそめた里亜は不機嫌に睨んだ。 「こっちが聞いてるのよ」 「その前に、本庁の動向を知っておきたいの」 初めて出会った時もそうだったのだが、このマイペース振りには相も変わらず頭痛を覚える。コミュニケーションを図ろうという意思がまるで伝わって来ない。これなら、訓練された盲導犬などの方がよっぽど、お互いに歩み寄れるだろう。 「知ってどうするのよ?」 「情報として持っときたいわけよ」 「外部の人間に教えるわけにはいかないわ」 「このまま道に迷ってもいいのよ?」 よくわからない脅しだが、このままでは一向に話が進みそうにない。ここは里亜から折れるのが賢明だと考えた。夕彩に聞こえるよう大きくため息をついてから、ジャケットの内ポケットから電子手帳を取り出した。 「初動捜査として、まずは爆破されたアパートの管理人を探すみたいね」 この電子手帳は捜査員全員に持たされており、各人がそれぞれの捜査状況を入力する事によって、全員の電子手帳に送信できる。ネットワークとして、捜査員全員が情報を共有できるシステムだ。 「管理人の割り出しなんて無駄でしょー。あそこらのアパート、架空名義でいっぱいだと思うし」 夕彩の指摘は、里亜も同感のものであった。そこから犯人への糸口を見付けられるとは思えない。 「そもそも、今回の事件に里亜がいるってのも、私には意外なんだよね。神楽くんも里亜も、特捜U課でしょ? T課か麻取が出て来るもんじゃないの?」 平然と聞いてくれる夕彩に里亜は苦虫を噛み潰した。 「それが組織ってもんなのよ」 口調には我知らず侮蔑が込められる。 「麻取は麻薬しか取り締まれない。T課はややこしい事件には首を突っ込みたくない。ベルトコンベアを眺めてる心境よ。ヤツらが手を付けなかった事件は、U課の前まで流されてくる。厄介な事に、U課にはそれらを無視する事が許されてないの。手元に流れて来た事件は、どんなに困難だとしても手を付けざるを得ない」 「うわっ、融通ってもんはないの?」 奇しくも、夕彩の言葉は里亜の胸中と同じだった。 「本庁の動向はこんなとこよ。早い話、なーんもつかめてないみたいね」 早々と電子手帳を閉じてジャケットにしまう。 「そんなんじゃ、犯人捕まえるのに何年もかかっちゃうね」 鼻先で嘲笑する夕彩を、里亜は苛立たしく思った。里亜が聞きたいのは嘲笑なんかではない。彼女にわざと話を引き伸ばされているように思えて来る。 「で?」 胸中の苛立ちは彼女の声音を刺々しくさせた。 「これからどこに向かうのか、教えてほしいんだけど」 「友だちのとこ」 「友だち?」 あっさりした口調で飛び出した夕彩の単語は、不審を里亜に抱かせた。 「独自の情報ネットワークを持っていて、いろんな情報に精通してる人」 「情報屋って言いなさいよ」 回りくどいその言い回しは、里亜が嫌っている彼女のクセの一つだ。その指摘にはまったく触れる事もなく、彼女は語をつなぐ。 「彼だったら、何かしら情報を持ってると思うの。オールラウンドでネットワークを張ってる人だから、何らかの手がかりは見つかるでしょ」 まるで大船に乗っているような、能天気な物言いである。 「そんなに簡単に行くもんかしら」 露骨に軽侮の念を盛り込んだぼやきは、赤信号にたやすく負けた。 「あちゃ〜。だからこの街は嫌いよ。ゆっくりドライブもできやしない」 辟易のため息と一緒に夕彩の足はブレーキを踏み付けた。発言が流され、初めからないものとして扱われている事も気に食わないが、それ以上に気に食わない事を里亜は口にした。 「夕彩」 「うん?」 「私の話ばかり聞いてないで、そっちの話も教えなさいよ」 「こっちの話?」 ハンドルに顎を乗せた夕彩は、信号を睨み付けながらすっとぼけた(少なくとも、里亜はそう感じた)。 「夕彩が動いている事よ。ビルの爆破事件の犯人がどんなヤツか知りたいの。知ってるんでしょ?」 「知ってるよ」 とっととしゃべれ――里亜の苛立ちは、危うく沸点を越えそうになった。 「教えて」 「さっきも言ったじゃない。密売やってる所のヤツが単独でクスリさばき始めちゃってそいつを鎮圧しろって……」 「そいつは誰なの?」 語尾を待たずに質す。 「犯人に関する直接的な話が聞きたいのよ。あんたの仕事内容なんかの話じゃなくて」 「ああ、犯人自身の事?」 夕彩の目だけが里亜に向いた。その猫背を蹴り飛ばせられればさぞかし痛快な事だろう。 「そう言ってるでしょ」 返事するだけでも億劫だった。浮かぶ眉間のシワが、里亜の怒気を深く刻む。 「穎谷浩弐(えいたに こうじ)ってのが名前。27だか8くらい、だったかな? 言ってみれば単なるチンピラよ」 横断歩道を渡る、人の列を眺めながら呟かれた夕彩の声音は、里亜に違和感をもたらした。故意に抑揚を省いたような、低いトーン。信号を上目遣いで見つめる彼女の横顔。 「チンピラならチンピラらしく、どうして集団の中でじっとしてられなかったのよ?」 歩行者用信号が点滅する。業務に忠実なだけの機械を、何とはなしに里亜は見つめた。 「自分で売りさばく方が、収入が多いからでしょ。上の人間に吸い上げられる金が少ない分、より安価で売りさばけるし」 「けどさ――」 感じた疑問を提示する。 「――上の人間がいなくなるって事は、クスリを仕入れるパイプもなくなるって事じゃないの? 最初っから独自のパイプを持っているのならともかく、チンピラ風情がそれを持ってるだなんて考えにくいし。いくら安価で売りさばけて客を取れたとしても、よ? パイプがなけりゃ、手持ちのクスリだっていつかタマ切れになる。そんなの要領悪いだけじゃない」 頭上の信号が青く点り、緩やかに車体が前進する。 「そこなのよね〜」 いつの間にかハンドルから顎を離していた夕彩が、こめかみを掻きながら呻いた。何らかの答えを持っていると心のどこかで期待していた里亜は、それほどではないにせよ、肩透かしを受けた気分だった。 「ポコポコ出てくるものじゃないんだから、いつか手持ちがなくなるってわかるはずなのよ。それもわからない、よっぽどのバカなのかな」 「そこの所、夕彩なりの考えはないの?」 「私の?」 「そう」 「私への依頼は穎谷浩弐の鎮圧だけだもの。それさえ遂行すればいいんだし、仕事柄、迂闊にでしゃばって首を突っ込んだりでもしたら、墓と命が大量に必要になるのよ。疑問を感じても、立場上動く事は許されないのよ」 きっぱりとした物言いで、夕彩は鼻を鳴らした。 ――なるほど。 里亜の中で、予感めいた何かが輪郭を露わにする。まだぼやけて不鮮明な部分が多いが、いずれ見える時が来る。 「それで、私と組むなんて言い出したのね」 夕彩の横顔に、質問と言うには直球過ぎる言を投げ付けていた。 「? どういう事?」 眉を上げて丸くなった瞳が、ちらと里亜を一瞥。ラジオから流れる音声が、交通情報に切り替わった。唇を突き出して首を傾げる夕彩を、探るように睨む。 「ま、とぼけるつもりならこれ以上は追求しないわ」 「とぼけるも何も」 「その代わり」 弁明を鋭く遮る。「すべてが終わった時――その時は、力づくでも話してもらうからね」 言い切った先には、反論も弁明も返って来なかった。肩をすくめた夕彩は、ため息だけをついた。
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