まさか、こんなにも早く舞い戻る事になるなんて予想だにしなかった。 大東病院。 葉崎市が誇る総合病院であり、わざわざ遠方から通う患者が朝から待合室のイスを埋めるほどの人気ぶりである。それが果たして喜んで良いものかどうかは、判断に迷う点ではあるが。 「――コースケー!」 ロータリーを抱えているせいで広々とした正門に入ったところで、昇降口の自動ドアからすごすごと出る2人の老人を見付けた。 「タケさんは!?」 気息奄々と駆け寄った麻生に、2人は沈痛な面持ちを左右に振るばかりだった。 「ダメだ。まったく入れてくんね」 肉付きの良い体と、これまた肉付きの良い顔とスキンヘッドの男は、東北生まれのコーゾー。東京に来て十数年というが、まだ東北訛りのイントネーション。 「このナリじゃ、入れてくんねーんだよ」 コーゾーとは対照的に小柄な痩躯をしょんぼり縮ませているのがオサム。頭のてっぺんはすっかりはげ、取り巻くように生える白髪も薄い。 2人ともリョージと同じ作業服を着ているが、どちらもそろって汚れていた。おまけに汗臭いともなれば、病院側としても受け入れるわけにはいかない、というわけか。 「わかった。入れてくれって行って来る」 『無理だって!』 踏み出した麻生を2人がかりで抑え込んだ。 「何でだよ! せっかく来たってのに入れねーなんて理不尽だろ!」 頭に血が昇り沸騰している麻生は老人を振りほどこうと暴れたのだが、さすがに2人を突き飛ばせなかった。 「落ち着け、コースケ!」 「おめぇが行ってもなんもなんね!」 入り口でこれだけ大いに騒げば人目に付かないわけがない。自動ガラスドアの中――ロビーに居合わせた患者、受付のお姉さんその他大勢の好奇の視線が、麻生の神経を逆撫でた。 「見てんじゃねーよ! 何見てんだ! 離せ! 入れろっつってんだろお!」 喚き暴れる彼を、2人の老人は必死に引っ張った。開いては閉じ、開いては閉じを繰り返すドア越しに、ぎこちないカニ歩きで横へ異動していく3人を、病院関係者・患者たちは唖然と見送った。 「入れやがれコラァァァァァァァ!!」 悲痛な叫びだけが尾を引いて――――
――きっかり5分後――
「――――ごめんなさい」 麻生は土下座した。 「いいっていいって!」 「顔上げていいからって!」 そんな彼をオサムトコーゾーが慌ててなだめる。その様を脇から眺めていると、滑稽で楽しかった。 「まったくさー、あれだけ攻撃的に取り乱すこーちゃんも珍しいよね。あんな目立つとこで暴れるし」 プシッ――炭酸飲料の缶を開けながら、芝生にあぐらを掻いた幸輔が不機嫌に言い捨てた。滅多に見られない麻生の土下座で、内心は大爆笑であったが。 「返す言葉もないです」 「もう顔上げなって!」 「こっちも落ち着いて話もできねーから!」 老人2人の必死の説得は、かれこれ10分は続いていた。ひと度頭に血が上るとあらゆる規制も自制も利かなくなってしまうのが、自他共に認める麻生の欠点。今回の騒動も、タイミングよく幸輔がやって来て、彼の頬を3発ほどはたかなかったら、我に返る事はなかっただろう。 肩で息をし呆然と立ち尽くす麻生を、とりあえず落ち着かせようと連れて来た場所がここ――病棟を見上げる広場だった。今4人がいる芝生の丘をぐるりと歩道が囲い、敷地外との間には木々が立ち並ぶ。看護士や入院患者、その見舞い客の姿がちらほらと見受けられる。 「――でさ。どうして、こーちゃんとコーゾーさんとオサムさんがここにいるのか、とりあえず教えてくんね?」 麻生がやっと顔を上げたのを待って、幸輔が尋ねた。 「……あー」 我を失った事が相当堪えたらしく、へこんだまま正座を崩そうともしない麻生。指先で芝生をいじる姿に情けなさすら覚える。 「ダメだこりゃあ」 即座に麻生を切り捨て、2人の老人に視線を移した。答えてくれたのはコーゾーだった。 「コースケが一心不乱になんのも仕方ねー事なんだよ。今なあ、タケさんがこの病院にいるんだ」 「はい?」 「おとつい、急にぶっ倒れたんだ。いつものように朝起きて、メシ調達しに行こうとした矢先にな。俺らがぶっ倒れたんならもう後はねえんだろうけど、タケさんは違う。救急車呼べば病院に運んでもらえるし、すぐに駆け付けてくれる人もいる」 コーゾーは、見上げる者すべてを等しく圧迫するように建つ病棟を見上げ呟いた。 「正直、うらやましいんだ」 「俺らは決して歓迎される側じゃねえものな。金もなきゃ家族もない。いつどこで死んだって、誰も気付かねえ」 笑うオサムに、幸輔はどうしても笑えなかった。 「俺らとタケさんは違う。違うけど、死んじゃほしくねえ」 「んだな」 どうして2人は笑い合えるのだろう。 どうして2人は朗らかでいられるのだろう。 そして何より。 少なくとも俺は悲しいです――そんな一言が、幸輔は言えなかった。 唇を結んで黙って聞く彼の手が、強く握り締められた。 「よしっ」 ぱんっ!――麻生はやおら膝を叩いて立ち上がった。やっと立ち直ったらしい。 「へこむのは後だ」 そうでもなかった。 「オサムさん。コーゾーさん。タケさんとこ行こう」 「だ〜ぁから。無理だってのがわかんねーのか」 コーゾーがぼやく。となりのオサムと同様、芝生から腰を上げる気など毛頭なさそうだ。 「どうして。こっちは見舞い客だろ?」 「ヤツらが来てんだよ」 諦観が色濃く染めたオサムの言葉は端的で、十分だった。麻生の表情に苦渋がにじむ。ヤツらがどいつらなのかくらい、幸輔でもわかる。その事が何を意味するのかを汲み取る事もできた。 「……何人くらい?」 麻生のその質問が茶を濁すに至らない事すら、わかった。 「6、7人だ。俺とオサムさんが受付のバアさんともめてる時に余裕ぶっこいてエレベーター乗ってった。あのババア、人を外見で判断しやがって」 しらふで他人の悪態を吐くコーゾーを見るのは珍しいのだが、対象が逸脱している。 「6、7人か……」 肩を落とした麻生は見ていて気の毒になってしまうくらい気落ちしていた。 「門前払いが関の山だ」 零すオサムと一緒に、コーゾーの口からも大きなため息が漏れた。 「……あきらめるしかねーな。タケさんが無事である事を祈ろう」 完全に脱力した彼を見上げ――幸輔の脳内で、にわかにイメージが膨張する。徐々に開く双眸。気付く失念。 「――こーちゃん!」 今度は幸輔が立ち上がった。 「い、いきなり大声出すなよ」 虚を衝かれ驚き惑う麻生に言い放つ。 「梨香さん!」 それだけで伝わった。 「やばい!」 身を翻すや駆け出した彼の後に幸輔も続く。オサムが何かを叫んだ。コーゾーも何かを言ったような気もする。だが2人の鼓膜には届かず、ひたすら駆けた。広場に面した病棟の、自動ドアが開き切る前に隙間を抜けてエレベーターホールへ――ちょうど到着していたボックスに乗り込み階数ボタンを叩く。『閉』ボタンを連打する麻生の気も知らないで、極めて業務的にドアを閉じ、マイペースに上昇するボックスが腹立たしい。3階に着くまで、麻生は苛立って壁を叩いた。 ――チンッ♪ ドアが開く頃には2人の焦燥は沸点に達し、衝動に背を押されるままに病室目指し全力疾走――目的のドアノブに手が届く――麻生が思い切り引っ張った――――! ばんっ! 「あははははははっ!」 テレビを見ながら、梨香は大爆笑していた。 『え〜〜〜〜〜〜〜〜』 緊張の糸がぷっつり切れ、2人そろってその場に崩れ落ちた。 「ははははは!――あれ。どーしたの?」 「どーしたのじゃねーよ……」 2人に気付いた彼女は、笑いすぎて目にあふれた涙をすくいながら、呑気なものだった。 「……幸輔。あとよろしく」 快心の肩透かし。壁に手を付いて立ち上がる麻生の声音は疲弊でいっぱい。 「あいよー」 「便所に行って来る……緊張と一緒に膀胱も緩んだ」 「漏らすなよー」 「…………手遅れかも」 「うそっ!?」 頼りない足取りで廊下を歩く麻生の後ろ姿は、気持ち内股だった。 「……え。ほんとに?」 「ああ!」 突然大声を張り上げた梨香に幸輔の肩がビクつく。 「あなたがもう1人のコースケくんね!」 「もう1人って……?」 そんな疑問も、しかしすぐに消える。 「初めまして、梨香でーす。よろしくね」 満面な彼女の笑顔は、幸輔の中にある何かを確実に射抜いた。 「よ、よろしくお願いします〜」 弛緩しきった頬で裏返る声。 松原幸輔、18才。コンビニのアルバイトで生計を立てている。 特技、ひと目惚れ。
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