■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

葉崎Guardian(仮) 作者:ナコソ

第22回   「葉巻Smoking」

 困った。
 困り果てた。
 麻生は胸中で独り言を呟き、ひたすら前方へ投げ出していた歩を止めた。数にして5、6歩。距離にして3メートル弱。病室の前ではあの細木が、備え付けの長イスを無遠慮に陣取っている。いつも通り仏頂面で、腕を組み、最小限に首を動かして麻生を見た。
「…………」
 特に何かを言って来るわけでもなく、また細木は正面の壁に顔を向けた。無視というよりも、さほど問題ではないといった挙動だった。
 困った。
 胸中で繰り返した果てに、気まずさを脇に押しやった麻生は声をかけた。
『こんにちは。右手、大丈夫?』
 腕組みする細木の右手には白い包帯が巻かれている。それに至る直接的な関係者として、麻生は気遣ったのだが。
「…………」
 細木は何も言わなければ、一瞥もくれなかった。
 気まずさが手元に戻った。
 しかし、怯むわけには行かなかった。勇を鼓す。
「……あのさ、病室に入れてもらえねえ? 何するってわけじゃなくて、タケさんを見舞いてえんだけど」
「…………」
 沈黙。
「面会謝絶ってわけじゃねえんだろ? 5分でいい」
「……………………」
 続、沈黙。
 右手の平を突き出して強調した自分と、この状況がバカバカしく思えた。
「……もういい。通るぞ」
 麻生は再び歩を進めた。
 1歩、2歩、3歩、4歩――
「――それ以上進むな」
 5歩。
 細木の正面で麻生は止まった。目だけが見上げるせいで、睨み付けているように感じる。ひょっとしたら睨み付けているのかもしれない。
「医師と社長以外は通せない」
 低く空気を震わせる声音には、有無の発言を許してくれそうな隙がない。
「見舞いに来ただけだってのに?」
 眼力だけで相手を縛る事ができるであろう気迫に、麻生は抗った。右手にぶら下がる、包装されたフルーツのカゴを掲げて見せる。
「そいつは俺が届ける。おまえは帰れ」
「顔を見に来ただけなんだって」
「帰れ」
 けんもほろろに繰り返す。
 まったくもって、取り付く島もない。勅使河原が手を回しているだろうと予想はしていたが、よりによって細木を部屋に置くとまでは予想しなかった。勅使河原のとなりが細木のポジションだと思い、顔を合わせる事はないだろうと高をくくっていた。
 正直なところ、麻生はこの男が苦手だった。無愛想どころか、よくできたお面を被っているかのように表情の変化が欠如し、発する言は短い。
 要は、コミュニケーションの取りにくい相手なのである。
 表情が動けないから、感情がつかめない。短い言葉は義務的で、細木自身が見えて来ない。いつだって我が道に猪突猛進な幸輔とは異なり、相手を見てから次の行動につなげる性分には苦手なタイプ。相手の出方が皆目見当が付かないため、どう出るべきかが見えない。次の言動につなげない。
 ――出直すしかねえか。
 お手上げだった。
 力で押そうとしたところで、細木の腕力は一昨日、身をもって知っている。正面から向かったとしても、簡単に投げ飛ばされるのが関の山。強行突破は目に見えて無謀だ。
 だが。おめおめと引き下がるわけには行かない。
「……タケさんの様子は?」
「…………」
「容態くれえ教えてくれてもいいだろ」
「教える義理もない」
「赤の他人ってわけじゃねえんだ」
「俺にとっては赤の他人だ」
 麻生の堪忍袋の尾が、音を立てて細くなった。
「あんたよお――」
「――はーい、はいはい♪」
 一歩踏み出した麻生が首を回す。階段を昇りながら、ぱんぱんと手を叩いていたのは勅使河原だった。
「そんなにカッカしたらダメだよ、麻生ちゃん」
 くそっ――閉じた唇の中で舌打つ。今この時、最も出くわしたくない人物は相も変わらず白のスーツで、目元に微笑を浮かべて、麻生に歩み寄った。
「せっかく見舞いに来てくれたのに悪いんだけど、会わせるわけにはいかないんだ」
 タケさんの容態が芳しくないのではなく、勅使河原の勝手な都合なのだと、軽薄そうな細目から確信する。たかがドア1枚だ。勅使河原と細木の手をかいくぐって蹴破るくらい――いや、蹴破るのは良くない。閉じこもる事ができなくなる。内側から施錠してしまえば――そこまで考えて、細木を見た。
 ――ダメか。
 いまだ麻生を睨め上げる細木ならば、施錠したドアを破るなど容易に違いない。
「……振り出しに戻る」
「何?」
「いや。独り言」
 諦めて、カゴを押し付けた。
「ありがとう。ジイさん、フルーツに目がないからね」
 きっと喜ぶよ。そう言って、勅使河原の手から細木に渡るカゴを、煮え切らない思いを胸に麻生の目は追った。
「ちょっとだけ、時間いい?」
 勅使河原の身が翻る。胡乱に眉をひそめた麻生は肩越しに振り返り、サギ師な微笑をくれた。
「約束について、話がしたいんだ――」
 ――庭に出た2人は、適当なベンチに腰掛けた。まだ南中に達していない太陽が煌々と照らし出す芝生が微風に揺れて、視界で青々と躍る。日当たりの良い場所に置かれたベンチは座ると尻に温もりを感じ、多少の不快感につながったが――となりの勅使河原は涼しい顔だった。
 その薄い唇に葉巻を挟んだ。
「で、だ。盗人は見付けてくれた?」
 煙まじりの質問を吐く。
「そんな簡単に見付かるわけねえだろ」
 早速ウソをついた。盗人――つまるところ井延耕佑は、ホテルで息を潜めているはずだ。
『部屋から出てうろちょろすんなよ』
 三雲興会の人間に見付かったら厄介になると釘を刺した麻生へ、嫌味なまでの笑みを作った井延は、麻生のまとめたコンビニのビニール袋をせせら笑った。
『安心しろよ。メシだってルームサービスで事足りる』
 思い出してみると、改めて腹立たしい。
 ――貧富の差なんて大っ嫌いだっ。
 勅使河原に見えないように下唇を噛んだ。
「あいつは、どこに行ったんだろうね」
 小さな呟きは独り言なのか判じかねたが、聞こえなかった振りをして彼の横顔を盗み見る。麻生と同年代の人間が葉巻をふかす姿は、見慣れないという事も手伝って、どこか違和感を抱かせた。
「吸う?」
 視線に気付いた勅使河原が吸い口を差し出して来たが、遠慮しておいた。
「俺はこっちで十分だ」
 ポケットから出した、しわくちゃなソフトケースからタバコをくわえる。カキンッ――勅使河原の取り出したジッポが硬質な音を立て、麻生のタバコを焼いた。
「あんがと」
「どーいたしましてー」
 カキンッ――再び硬質な音を立て火を閉じ込めたジッポは、スーツの内ポケットに吸い込まれた。
「細木さん、っつったっけ、あの人」
「図体でかくても細木」
 勅使河原お気に入りのフレーズのようだった。
「手、大丈夫なのか?」
「あれくらいの傷、大した事じゃない」
 無感情な言葉を微風に乗せた彼は、ふんっと息を鳴らした。彼の狙いを定めたナイフが麻生の右目を射抜かなかった事が不満なのか、落下するその刃をすんでのところで止めた、細木が気に食わないのか――次いで放った細木の言葉が腹立たしいのか。
『――社長。これは……こんな事は、しちゃあいけません』
 すべてひっくるめて勅使河原の機嫌を損ねていると考えるのが妥当だろう。
 麻生にしてみれば右目を失う事が避けられて万々歳なのだが、刃を素手で握り止めたために皮膚が裂け、赤い雫が刃を伝う光景を目の当たりにし、万々歳という気も失せた。切っ先に流れ着いた雫はすぐに膨らみ、反射的に閉じた麻生のまぶたで潰れた。
 あの感触を思い出し、右まぶたをこする。
「三雲興会は、井延の行方はつかめてねえの?」
「つかめてないんだよねー」
「人はいるんだろ?」
 だらしなく開いた勅使河原の口から紫煙があふれる。つまらなそうに麻生に流し目を送って、背もたれに体重を預けると空を見上げた。
「人はいても、使えないんじゃ意味がない」
 どうやら、彼の腹の虫を動かす要素は他にもあるらしい。大した興味も湧かないが。
「へー」
「そ。無関心が正解。麻生ちゃんは井延を探してくれればいいだけ」
 先程からずっと気になっていたのだが。
 麻生は切り出した。
「……いつのまに『ちゃん』付けになってんだ?」
「格上げ」
「何の」
「友情度数」
「何だそりゃ」
 一笑に付す。
「じゃ、井延が何しでかしたのか、教えてくれてもいいんじゃね?」
「井延を連れて来たら教えてあげる」
 友情度数が上がったんじゃないのか――反論は先を越された。
「信頼度数はまだまだだからね」
 微笑(わら)う彼の基準がつかめない。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections