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葉崎Guardian(仮) 作者:ナコソ

第2回   「火蓋/起点-1」

 ――ガタタン! ガタタン! ガタタン!
 電車が線路を滑走する音と同調した地響きが体に心地良い。骨を直接的に震動する感覚。皮膚、肉をまといながらも、やはり人体は硬質な物体なのだと体感する瞬間。
 時間にして10秒足らず。列車の音と震動が彼方へ過ぎ去ってから、麻生浩介(あそう こうすけ)は人の気配にまぶたを開いた。果たして、見知った女が覗き込んでいた。
「こんなところで寝転がってたら轢かれるよ?」
 腰を折って覗き込むせいで長い髪が顔に垂れ下がり、微風に毛先がそよぐ。
「車なんか滅多に通らねえんだよ」
 アスファルトのど真ん中で大の字になったまま、麻生は面倒臭そうに答えた。
「わっかんないよー? 道歩いてただけで暴走車に轢かれる人だっているんだから」
「そりゃお気の毒。運が悪いんだ」
 ふわふわと雲の泳ぐ空を背に、女は小さくため息をついた。
「運なんて自分じゃわかんないでしょ」
「今日の蟹座の運勢は一位だって言ってた」
 麻生の唇がアクビで開く。
「占い、好きだよね〜」
 呆れる女に口の中を存分にさらして、はたと思い出した。
「あれ? ヒロ、仕事は?」
「まだ時間あるのよ。それまでヒマだからアソーに遊んでもらおうと思って」
 秋野尋絵(あきの ひろえ)は、麻生の事を『アソー』と発音して呼ぶ。『アソウ』と呼ぶよりも呼びやすいのだと言う。
「遊んでもらおうったって、そんなヒマじゃねえよ」
「見るからにヒマじゃねえか」
 尋絵は地声が低い。
「……ま、傍から見ればな」
「どっからどう見ろっつーんだ?」
 おまけに口調が荒かったりもする。
「――少しでいいからさ」
 刺々しい物言いはしかしすぐに緩んで、まるで哀願するかのように搾んだ。
「ほんと、少しでいいんだよ。少しでいいから……話を、聞いて」
 突然となりにへたり込んだ彼女に、麻生は狼狽した。
「おい……?」
 上体を飛び起こし、うつむいた尋絵の顔を覗き込んで――――一層驚く。
 彼女は泣いていた。
「え、泣いてんの? 泣いてんの? な、泣くなよ、まるで俺が泣かしたみたいに見られっからさ」
 しゃくり上げ始めたその肩を撫でたり揺らしたり、何とか宥めようとしたのだが、泣き止んでくれそうにない。
 ――パンッ、パンッ!
 頭上に目をやると、ベランダに干した布団を叩くオバちゃん(502号室、夫婦暮らし)と目が合った。
 ニヤリ――意味深に口元を歪めるオバちゃん
 いい予感はしなかった。
「わかったっ。ヒロっ、ヒロっ! 部屋行こ。俺の部屋で話そっ!――――」
 ――というわけで。
 それから7分後、麻生と尋絵はソファで肩を並べる事となった。
「あのー……ごめん」
 彼女が落ち着くまで所在無くテレビのリモコンをいじっていた麻生は、大して頭に入ってもいないテレビ番組を見つめたまま応える。
「大した事ねえよ」
 気まずそうに髪をいじる尋絵を見ると、前に会った時よりも痩せた印象を覚えた。元来より細身である尋絵は同姓からよく羨ましがられていた。どんなに食べたところで体重の変動が少ない――平たく言えば、太らない体質の持ち主。よって、世の女性が持つダイエットの悩みとは疎遠――
「――ちゃんと食ってんの?」
「んー?」
「頬がこけてる」
 言って麻生は自分の頬を、ムンクの叫びのように両手で挟んでみせた。
「それに情緒不安定。――ヒロに限ってそんな事ぁないだろうと思うけど、クスリに手ぇ出したりしてねえよな」
 努めて優しく言ったつもりでも、吐いたそれは厳しかった。
「何言ってんの」
 即答。
「私がクスリをやるわけないじゃない。アソー、私を見くびりすぎじゃない? いくらなんでもクスリは手ぇ出さねーよ。そこまで落ちぶれちゃいねーよ。それとも何? 信じらんない? 私が信じらんない? 私がクスリやってるって? あははー。へそで茶を沸かしてやろーか」
 なおかつ隙間なくまくし立てられた。
「……へそで……何?」
「へそで茶を沸かす。ちゃんちゃらおかしいって事。こんな事説明させんな日本人」
「まったく申し訳がございません」
 かしこまって頭を下げる――と、尋絵は吹き出した。
「あははは!」
 弾けたように笑う。泣いたり起こったり笑ったり、感情のギアチェンジがせわしない女だ。
「やっぱアソーといると楽しいわー」
「ばんばん背中叩くな」
「私の男になんない?」
「結構です」
「女いたっけ?」
「いねーよ」
「じゃ、私がなったげる」
「いりません」
「えー?」
「どうしてキレ気味なんだよ」
「あははっ」
 ソファに転がったクッション(中サイズ)を抱えた尋絵の表情が、おもむろに暗くなる。
「――――アソーに、お願いがあるんだけど」
 唐突に思い詰めた顔をされれば、麻生に限らず誰だって戸惑うはずだ。
「私の友達が悩んでるんだ。力を借りたいの」
 今までにない真剣な眼差しで射抜かれれば、誰だって。
 ――それで、か。
 秋野尋絵は今年で23を迎える。麻生とひょんな事で知り合ったのが去年の事。明朗快活な性格で、場を明るくする魅力を持っている。繊細という言葉の枠外に常に立つ彼女は、しかし友人が関係する時だけは例外だった。ひと度友人に悩みを打ち明けられれば本人と同等に――否、同等以上に共有してしまう質だった。友人を大切にし、大切にするあまり精神的に、無自覚のまま負担がかかる。体重など毛の先程も気にかける事のない尋絵がやせる理由――本人の問題ではなく、友人の問題。
「力を借りたいって言われてもさ、貸せるだけの力があるかどうか」
「アソーしか頼める人がいないんだよ」
 切実に訴える尋絵の期待に応えたいのも山々だが。
 麻生は弄んでいたリモコンをテレビに向け、画面を消した。
 期待に応えたいのも山々だったが。
「……話、聞こう」
「力貸してくれるの!?」
「聞くだけだっての!」
 ぱあっと明るくなった尋絵の表情で慌てて強調した。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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