■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

葉崎Guardian(仮) 作者:ナコソ

第12回   「4th K.」

「――ちょっといいかしら」
 ノックもせずに忍足(おしたり)女医が現れた時、幸輔と梨香は仲良くバラエティ番組に笑い転げていた。
「あ。俺、ちょっと外すね」
 忍足と梨香の顔を見比べ、席を立った幸輔だが、
「用があるのはキミ」
 相変わらず眠そうな瞳は意に反して彼を指名した。
「行ってらっしゃ〜い」
 梨香が呑気に手を振って送るのを背に、忍足と一緒に部屋を出る。窓の外はとうに暗く、蛍光灯で照らされる病院の廊下は学校のそれを彷彿とさせた。ただ学校とは違って、清潔感に神経を集中させている感があるのだが。
 現在午後7時半を回ったところ。病棟内には時間を持て余した患者の談笑や、トイレへ向かう姿が多く見受けられる。そして驚く事に――その患者たち全員に忍足は声をかけた。
「おばあちゃん、腰はどう?」
「薬はちゃんと飲んだ?」
「おじいちゃん。もう若くないんだからはしゃぐんじゃないよ」
 表情こそ変化はなかったが、聞いた事もない柔和な声で1人1人に話しかけ、患者が笑顔で応えてくれる、その姿は紛れもなく医者だった。
 怖く見えるだけだよ。
 梨香の言う通りだ。歩み寄れば案外いい人なのかもしれない。
「慕われてるんですね」
 となりの病棟につながる渡り廊下を歩きながら、幸輔はその背中に言った。
 無視された。
 ――梨香さぁぁぁん!
 息苦しさに助けを求めた。
 となりの病棟は外来病棟だった。こんな所に連れ出して何のつもりだろう。受付時間をとうに過ぎた病棟内は消灯されており、非常口を示すグリーンの光源だけが残る中、2人の足音だけが不気味に響く。
「この病院の診療室、担当医ごとにボックス部屋になってんのよ」
 緑色のソファが並ぶ待合室を横切って、忍足の足が止まった。廊下の両脇にスライドドアが何枚も並んでいる様は、薄闇に浮かび上がっているようで気味が悪い。すべてのドアには大きく番号が記されていた。患者を呼ぶ際に、診察室の番号で招くシステムらしい。
「病状やカルテも立派な個人情報だから、密室で診察するの」
 7番のドアをスライドした忍足が、診察室の明かりを付ける。
「何してんの。早く入りなさい」
 促されるままに入室した。蛍光灯の光に目を細め、ドアを閉める。
「座って」
 さらに促され、一見して高価なものとわかる、背もたれ付きの黒革イスに腰を沈める。こんなにも座り心地抜群なイスで診察を受けるのかと、幸輔は戸惑った。
 部屋は4畳ほどの広さ。忍足が座るデスクにはパソコンと、レントゲン写真を見るためのディスプレイがあり、あとは幸輔の座るイスだけが用意された簡素な部屋だった。
「ここなら、話は外に一切漏れない。この意味がわかる?」
 優雅に、忍足の長い足が組む。
「この意味って……」
 今さらながら幸輔の胸がざわめいた。主治医とその患者の友人が密室で話すなど、これではまるで……
「……もしかして、梨香さんの身に何か……」
「彼女は健康そのものよ」
 即答はうれしいが、せめて表情に変化がほしい。
「まあ、その梨香さんに関係する事なんだけど」
 デスクに肘を突き、メガネの奥の双眸が――一瞬にして鋭利に変わる。
「エロエロパラダイスって知ってる?」
「…………」
「…………」
「…………今、何て言いました?」
「エロエロパラダイスって知ってる? って聞いたの」
 端正な無表情で何を言うかこの人は。
「……なんですかそれ」
「これなんだけど」
 白衣の胸ポケットから取り出した名刺カードを幸輔に差し出す。ド派手なピンクにこれでもかとハートマークを散りばめた――いや、詰め込んだデザインの紙に、丸文字で印字された文字。
『エロエロパラダイス エリカ』
「梨香さんが所持していた物よ」
「勝手に取っていいんですか」
「もらったの」
 幸輔の冷静な突っ込みをものともせずに返した。
「かわいいわねって言ったら簡単にくれたわ。――で、もう1枚」
 再び胸ポケットに指を入れる。次いで差し出された物も同じものだったが、こちらにはキスマークが付いていた。
「なんで2枚も持ってるんですか」
「キスマークの方は同僚が落としたものよ」
「はい?」
 驚き手元の2枚を見比べる。
「同僚って言ったら」
「そう、ここの医者」
 顔色ひとつ変えずに忍足は言いのけた。
「その白衣から落ちたのを拾ったの。正直げんなりしたわ。こんなとこに行く男と、そのネーミングセンスゼロの店名に」
「後者はどうでもいいでしょ」
「もっと捻りようがあるでしょ」
「俺に言われても……」
 真っ向から責められても困る。
「そこでお願いがあるんだけど」
 話題の移行は早かった。
 忍足という女、無頓着と言うよりもあっさりした性格のようだ。
「可能な限り、梨香さんを外に出さないでほしいの」
 言われて逡巡。
「それは……同僚に会わせると良くない事でもあるんですか?」
「良くない事しか残らない」
 不気味極まりない事を口にし、忍足は背もたれに寄りかかった。
「そこまで」
 キスマークのカードを指先で弄んだ幸輔は、
「人目のない所で、その男がキスマークに口付ける瞬間を見たし」
 すぐさま壁に投げ付けた。
「梨香さんが入院してるなんて知ったら何するかわからない」
 床に落ちたカードを追う忍足の目には懸念ばかりが映る。
「わかりました」
 背筋を這う悪寒と、夏だと言うのに立つ鳥肌と、胃を覆った吐き気を抑えながら、幸輔は頷いた。
「お願いしたわ。私独りじゃ守り切れないから」
 安堵したのか、わずかに彼女の唇が緩む。
「今日は彼、当直じゃないから安全よ。それから――面会時間は7時までなんだけど、あなたに限ってそこは目を瞑る。事情が事情だから、彼女のそばにいてあげて」
 彼女と口にした忍足の語調に何か引っかかりを覚えたが、すぐに気のせいだと考え直した。
「で、その男の名前は?」
「林航助(はやし こうすけ)」
 これで、コースケは4人目だ。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections