――プシッ。 プルタブを立てた時の、炭酸が溢れる音が好き。左手を腰に当て、開けたばかりの缶を一気に呷る。ひんやり冷たい液体が喉を流れ、ぱちぱちと爆ぜる炭酸の名残が連れる爽快感。 そして、げっぷ。 通りすがりのオバさんが露骨に嫌そうな顔をしたが、知ったこっちゃない。 空っぽになったアルミ缶を手で潰し、ゴミ箱に放り込む。たった今出て来たばかりの銭湯を見上げ、出入り口として迫り出した瓦屋根の掲げる時計を確認。 ただいま、午前7時37分。 「――よし」 自らを奮い立たせて、足元に下ろしていたショルダーバッグを肩に掛けた。 黒と紫のボーダーシャツと、デニムハーフパンツに革のサンダル。すっかり夏を感じさせる晴天の下、差す陽射しにラフな服装で対抗する彼の向かった先は、銭湯から歩いて10分ほどの場所にある古びたコインランドリーだった。文字がかすれてかろうじて『コインランドリー』と読めない事もない、看板の構えるドアをスライドさせる。 ――バンッ! 「わっ!?」 突然の大きな音に彼は、マヌケにも声を出して驚いた。 見れば、列を成す乾燥機にスーツの男がへばり付いていた。茶色く染めた短髪を立て、細面にサングラス。派手な柄のシャツをだらしなく着る胸元には、太い金のネックレスが覗いた。 見るからに、そういう人だった。 ――……わー。 正直なところ、今すぐにでも逃げ出したかった。 「っだ、だっだっ」 男の口がパクパクと開く。えらくどもった言と、異常なまでに見開いた双眸は瞬きもしない。 「だっだだっ誰だ!」 よくよく見ると、尋常でない量の汗をかいているのがわかった。額に浮いた汗の粒が顎先にまで伝っている。首に至っては、水をぶちまけられたかのように濡れている。恐怖と焦燥と疑心と……他、マイナスなもの諸々が、男の体を取り巻いている。 「えっと……」 逃げようか逃げまいかというところで引け腰になりながら、どう答えたものかと逡巡する。1秒の間を置いて男が再び悲鳴じみて問う。 「誰なんだよ!」 男が誰かから追われているのは明白だった。 「は……初めまして。松原幸輔(まつばら こうすけ)といいます……」 気迫に負けて自己紹介。乾燥機にへばり付いて鬼気迫る形相の男と、入り口で逃げ腰になりながら名乗る少年――傍から見れば、さぞかし愉快に映るのだろうが。 「…えー、じゅ、18歳のフリーターです」 「…………」 「……コンビニでバイトして…」 「そんなの聞いてねぇよ!」 ごもっとも。 「どうしてここに来た!?」 「あの……洗濯物を取りに……」 「こんな朝早くにか!?」 「……バイトが深夜だからです……」 「うそつけぇ!」 狭い部屋で叫ばれるのは鼓膜によろしくない。 「じ、じゃじゃじゃじゃあ! じゃあそのバッグは何だ!?」 ツバを飛ばし、なおも叫ぶ男。 「洗顔用具です……」 ショルダーバッグのベルトを握り締め答える。手の平がうっすら汗ばんでいた。あ 「さっきまで銭湯に行って…」 「うそつけぇ!」 こうも頭ごなしに否定されると泣きたくなって来る。 「うそかんじかじゃないってば……」 「中味見せろ!」 「え?」 「中味見せろぉぉ!!」 男の金切り声というのがここまで聞くに堪えないものだと初めて知った。 「な、中身なんて見て、どっどうするん…」 「つべこべ言うな! 見せろっつってんだ!」 何なんだよ……――仕方なく、背負ったバッグに手をかけて。 「待て!」 「何ですかぁ……」 あれやれこれ待てと言われ、さすがに立腹を覚え始めたが、すぐにその表情が強張った。スーツの内ポケットから震える手で取り出したのはナイフ。両手でしっかり握り、震える切っ先を幸輔に向けたところで、顎で促す。 「見せろ……見せろぉぉぉ!」 凶器と狂気を目の前に出され、幸輔はすっかり竦み上がった。ここまで狂ってる相手なんて、今までに対峙する機会がない――あるわけもない。 「見せろよ! モタモタすんな!」 カクカクと何度も頷いて、慌ててショルダーバッグを外す。口のジッパーを開いて引っ繰り返し――――シャンプーボトルが、音を立てて、落ちた。 途端。
「うわあああああああおおおおおおおおぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
奇声を発した男が飛びかかる。 「わああああああああああああ!」 負けじと幸輔も悲鳴を上げる。 男がナイフを振り回し、幸輔がバッグを放り投げる。バッグから零れたバスタオルが宙で舞い、開いた。洗顔液のボトルを男が蹴っ飛ばす。逃げ惑った幸輔の足がシャンプーボトルを踏み付ける。蓋が飛び白濁液が噴出。突進する男の顔にボクサーパンツが張り付いた。ボトルに足を取られ、幸輔のバランスが崩れ。男が振り回すナイフ。奇声。悲鳴。後ろに倒れる幸輔の眼前でがむしゃらなナイフが閃く。奇声、悲鳴。奇声悲鳴奇声悲鳴奇声悲鳴―――― 「あああああああああああああああああ!!」 地面に後頭部をしたたか打ち付け悶える幸輔を残して、外に飛び出した男は走り去って行った。
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