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Smokin' with JAZZ 作者:ナコソ

第9回   指輪と恋心


 シー・ド・ルシールは、避暑地としてその名を知られている。季節が来れば浜辺は賑わい、海の幸は人々の舌鼓を打たせる。多く集まる観光客によって、日常的にも陽気な街の空気は、より陽気に活気付く。
 市場は喝采、海は煌めき、空はどこまでも蒼く。
 毎日の天気予報が、今年一番の暑さと謳う街で、男と女は出会った。
 男は、ただ街を歩いていた。所在無く、その季節特有の、儚くも確固たる喧騒にうんざりしながら。
 女は、広場でアクセサリーを売っていた。シルバーと石を組み合わせた自作のそれを、敷いた絨毯に並べて。
 2人を引き合わせたのは、突然の豪雨だった。
 厚く重量感を伴った雲が太陽を隠し、大粒の雨を激しく降らせた。
 喧騒で賑わっていた広場は一変、慌てふためく人波となった。
 男は近場のレストランの屋根に身を寄せ、右往左往する人々を皮肉めいて見つめていたのだが。
 アクセサリーを慌てて掻き集める女を見て、男は飛び出した。
「ありがとうございました」
 アクセサリーを集め終え、レストランの屋根に引き返すと、女は礼を言った。
「お礼に、一緒に食事をさせてください」
 男は、そんな大それた事をしたつもりなどなかった。断わる男に、しかし女は引き下がろうとしない。
 押し問答の末、男は折れた。
「1人で食べるよりも、相手がいた方が食事は楽しいですよね」
 女との食事は、実際、楽しかった。
 気まぐれな豪雨は一向に止む気配を見せない。
 元より目的なく歩いていた男にとって、暇潰しには勿体ない食事。
「1人旅?」
 女は、この街の人間ではなかった。
「そう。アクセサリーの学校に通ってるんだけど、夏休みは作品の構想を練ったりで、長く用意されてて。せっかくだから見知らぬ街に行きながら、自分で作ったアクセサリーを売ってみよっかなって」
 食事を終えて、女の作品を見せてもらった男は感嘆した。
 ピアスにリングにブレスレット。
 どれも精巧で、女のデザイン・製作力を実証していた。
「これ、似合いそう」
 男の手を取り、その人差し指にはめたリングは、地球儀を模したデザインだった。
 普段アクセサリーなど身に付けない男でも、それは気に入った。
「プレゼント」
 食事だけでなくリングまでもというのは、さすがに気が引ける。
「いいのいいの。お礼だから」
 頑なに拒否する女に、男もまた頑なに紙幣を渡した。
 次に折れたのは女だった。
 それからも、男は女と話し続けた。
 雨が止むのも構わず、話し続けた……

 女は、それからも広場でアクセサリーを売っていた。
 日常を主に暇を持て余して過ごす男は毎日のように広場に通い、女と話を交わした。それが日課になっていた事に、男は敢えて言及しなかった。
「このオルゴールも自作?」
 地面に敷いた絨毯に並べたアクセサリーの真ん中に鎮座するオルゴール。
 女は、銀細工で百合をあしらった箱を手に乗せ、蓋を開く。
 透き通った音色が遠くの潮騒と交わる。
「これはお父さんが作ったんだ」
 聞けば、女の父親はオルゴール職人だった。
 街の人間に愛されるオルゴールを作る、女自慢の父親。
「私がアクセサリーの道に進んだのも、お父さんの影響」
 オルゴールの奏でる曲を、しかし男は知らなかった。
「知らないのも当然だよ。私の街にある子守唄だから」

 瞳に映る空の蒼で
 鳥たちが歌っている
 貴方の笑顔に安らぎを
 貴方の寝顔に祝福を
 私たちの愛しき御子
 籠に揺れる宝物よ
 お眠りなさい
 お眠りなさい

 オルゴールのメロディに乗せた女の歌声は、涼しく澄んでいた。
「綺麗な唄だ」
 男が拍手を贈ると、女は照れ笑いを浮かべたのだった。
「オルゴールなんて、まともに聞いた事がないんだよ」
 そう言う男に女の瞳は丸く瞬いた。
「ほんとに? どうして?」
 オルゴールなんて、所詮アンティーク。
 そう認識していた男からすれば、オルゴールに対する女の熱弁は尊敬にすら値した。
 オルゴールの精密な構造を。
 職人が打ち込む想いを。
 寂しげで、しかし心に響く確かなメロディーを。
 女は大いに弁を振るい、
「少なくとも、タバコよりは健康的よ」
 男がくわえたタバコを奪い取り、微笑んでへし折ったのだった。
 男は、女に恋をした。

 男は、左右の目の色が異なっていた。
 不思議に思った女が尋ねた事がある。
「どうして目の色が違うの?」
 黒い左目と、深い緑の右目。
「遺伝子の気紛れだよ」
「綺麗ね」
「そうかな」
「とても綺麗」
 女は目を細めて笑った。
「左右の色が違うって事は、左右の景色が違うって事よ」
 表情は冗談めいていながら、その口調は確信めいていた。
 その言葉の意味を、男は知りたかったのだが。
 女は曖昧に微笑むだけで、とうとう教えてくれなかった。
 
 突然に。
 忽然と。
 女は姿を消した。
 散歩の日課。
 人差し指の指輪。
 恋心。
 それらだけが、男の手元に残った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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