「――Lover's Barってのは、最近始まったサービスなのよ。ネット上で作られたバーで、社交界の場として、利用者は増え続けてるみたい。利用者は、主に資産家ね。その理由はまったくもって明快で、会費が高いってのがそれ。資産家たちはバーにアクセスして、同じようにアクセスしている他の利用者と会話ができる。国籍も違えば言語も違う人と、物理的な距離の隔たりを一切無視して話せるんだもの、コネ作りには最適よね。このバーが作られた理由は、そんなコネ作りもあるんだけどさ、メインは違うのよ。自分に合った異性探し。許嫁とか政略結婚とか、そんな苔むした親の思惑に忠実にいられるほど、今時の金持ち青年男女は物分りが良くない。自分の相手くらい自分で探すってのは、私も同感ね。親の都合で決められる結婚生活なんて反吐が出そうよ。けど、親からしてみれば、どこの馬の骨とも判然としない異性との結婚なんて許したくない。自分の血筋ってもんがあるからなんだろうけど、はんっ、それがどうだってのよ。何にしろ、自分たちと同等か、それ以上の資産家の血筋が欲しいものなのよ。私にはわからない気持ちだけどね。わかる?――わからないわよね、金持ちの考えなんて。――親には結婚相手を決められたくない、息子・娘には確実な血筋の相手を持って欲しい。そんな両者のニーズにすっきり応えようってんで作られたのが、Lover's Barってわけよ。会員になるにはIDも必要になるし、血統書付きの人間と直に話して自分の意志で相手を決められる――みんながみんな、笑ってハッピーなシステムなの」 投げやりに嘆息を交えて、ステファニーは説明を終えた。 「出会い系か」 聞いた感想――ステファニーの私情が盛りだくさんな早口を説明と呼んでいいものが逡巡した後――ぱっと頭に浮かんだ一番の感想をエリヤが呟くと、彼女は肩をすくめて、 「平たく言えばね」 必要以上につまらなさそうに、紅茶の入ったマグカップに口を付けた。アップルティーの仄かな香りがエリヤの鼻の下をよぎる。 2人は今、ステファニーの部屋にいた。エリヤの部屋よりもやや広めの部屋には、クローゼットと小さなテーブルと液晶テレビ、ステファニーが腰掛けているベッド、そしてエリヤが座っている回転イスの前にはパソコンラック。12才の女の子が生活している空間にしては、やや可愛らしさに欠ける。地球外の生物としか思えない、緑色の何かのぬいぐるみがステファニーの横に転がり、出窓には、親指だけ離れた手袋の形のものと、両腕を上げて万歳しているようなサボテンが2つ、昼下がりの日光浴と洒落込んでいた。 水曜日、昼下がり。『Anny』は今日もそこそこの繁盛で、階下のホールではルコとアルバイトの女子大生(製菓専門大学)が忙しく動き回っている。いくらそれほど忙しくない店とは言えども、それほど暇でもない。なのに店員2人で営業するというのだから、ルコもアルバイトも目を見張る腕前に違いない。実際、2人の働きっぷりを見た事のあるエリヤは、目と口をあんぐり開け、くわえていたタバコを膝に落とした経験を持っている。 「――んじゃ、行ってらっしゃい」 「待て」 ステファニーの言葉が脈略ないように聞こえたのは、決してエリヤの思考のせいではなく。 「待て待て待て」 まさかストップをかけられるとは予想だにしていなかったようで、ステファニーはキョトンとした。 「何?」 「Lover's Barが会員制のセレブな出会い系って事はわかった。よーくわかった。そいでもって、そこに行くためにこいつが必要ってのもわかった」 エリヤは手元にあるそいつ――目元を完全に覆ってくれるであろうヘッドギアを持ち上げてみせた。見た目よりもずっと軽いそいつは、耳元から端子のチューブを伸ばし、目の前のパソコンと接続されている。今朝方、男の遣いが持ってきた物だ。 「んで、Lover’s Barに入場するためには、このサイトでいいんだろ?」 パソコンの液晶画面には、黒地で白抜きの『Lover’s Bar』の文字。その下に、IDとパスワードの入力欄。 「そうよ」 手応えのない返事に、エリヤはため息しか吐けなかった。 「…………で〜〜〜、誰のパスで入るんだ?」 「ケリー=コストマン」 「…………で〜〜〜、誰として、入るんだ?」 「ケリー=コストマン」 ことごとくすぱっと答えてくれるステファニー。皮肉めいた視線を送ってやると、すかさず睨まれた。 ケリー=コストマン――昨日のいけ好かない野郎の名前である。 「俺、エリヤ=マルソーってんだけど」 「Lover’s Barの入会費と会費、知りたい?」 「遠慮しときます」 よろしい、と深く首肯したステファニーは次いで付け加えた。 「くれぐれも、依頼人の信用を木っ端微塵にするようなヘマはしないように。わかってるとは思うけど、入れ替えだなんてバレたら即退会だし、依頼そのものもなくなるし、報酬も入らないんだからね」 釘を刺すと表現するより、全力で滅多打ちにする口調。 「報酬が入らないって事は、エリヤの家賃も払えないって事だね」 さらに刺々しい言葉。 「それは痛い」 「だったら四の五の言わずに行って来い」 これが年上の相手に対するセリフなもんだから、この12才は怖い。 「……1つ、いいか?」 ずっと疑問に思っているところがあった。背を預けたイスの背もたれが軋む。 「Lover's Barって、つまるところは出会い系だろ? もしもジンライムの女が――」 「ジントニック」 「ん?」 「ジンライムじゃなくて、ジントニックの女」 どっちだっていいじゃねぇか――背中ごと首も一緒に反ってステファニーを見る。逆さまに見る彼女は、やはりつまらなさそうに、マグカップに口を付けていた。 「その、ジントニックの女?――が、今もいるとは限らないんじゃないか? すでに相手を見付けててよ、したらもうLover's Barは用無しだ。いない可能性だってある」 「その時はその時。人目で恋に落ちたって言っても、もう相手がいると知れば」 バカみたいに口を半開きにしたまま、ステファニーの視線が宙を漂う。 「…………ま、私たちの仕事は人探しだから」 ケリーの性格に対する言及は避けて、さっくり思考を切り替えた。彼女が避けた先を、エリヤはあえて踏み出してみる。 「あの性格だと、相手が見つかったようなんでもうLover's Barにはいなかったんで見付けられませんでした、ってわけにもいかなそうだけどな」 「見付ければいいのよ。何も、口説けなんて依頼じゃないんだから。もし、もう相手がいるようならば、その次にどんな行動を起こそうがあの男の勝手よ」 「所詮、俺らは仕事するだけの人形だからな」 これはステファニーの口癖のようなもの。若干12才にして、なんともらしくない語句を身に付けてしまったものである。 「わかってるじゃない」 語尾まで聞く事なく、エリヤは体を正位置に伸ばした。キーボードに置いた手が、つい先程記憶したばかりのIDとパスワードを打ち込む。ウィンドウが切り替わり、しかし黒地はそのままに、白抜きの文字がヘッドギアの装着を促していた。 「行ってらっしゃ〜い」 呑気に手を振るステファニーなどまったく無視して、エリヤはヘッドギアを装着した。視界に赤い点が――豆電球ほどの大きさで灯った点が――チカチカと明滅。ヘッドギアの暗闇に浮かぶ唯一の光源を見つめるうちに、エリヤの体が、脳が、めまいに近い浮遊感に包まれ――
――D I V E――
|
|