「――寂しい男の、物憂げな物語」 そう締め括ったキアへ、ルコが割れんばかりの拍手を贈った。 「ロマンスねっ」 湿った声で称える彼女の感覚に同調できる人間は、その場に居合わせてはいなかった。閉店後のAnny――フロアの中央で、語り切って悦に入っているキアと、その彼を窓際のテーブル席から殺意を込めて睨み付けるエリヤと、そのエリヤを向かい側のイスで呆れて見つめるステファニー。 カウンター席のルコが鼻をかむ音が、やけに響いた。 ステファニーのため息。 「……………………女々しい」 「どこが」 「昼間に意味もなく歩き回っていると思ってたら、なーんだ、女を探してたんだ」 鼻で笑う。 「なーんだ」 エリヤは頭に血が上るのを自覚した。 「そんな事言ったらダメよっステフ!」 髪を振り乱さんばかりに、キアが非難する。 「男は恋をする生き物なの! それを受け入れてもらえない時の悲しみは、それはそれは深いものなの!」 ばっ!――と、エリヤに向けて腕を広げる。 「さあ! 私の胸で泣いて!」 「誰が泣くか」 「――ま、これがエリヤ=マルソーとカルラ=クリスティのラブ・ストーリーってわけだよ」 ずいぶんと長く悦に入っていたものだ、その場に屈みこんだキアはあぐらを掻いた。 「そこで、ステフに質問」 自分の膝で頬杖をついた彼は、相も変わらず眠たげな眼でステファニーを見上げた。 「この話からわかる事は?」 「カルラ=クリスティは、Lover's Barには不釣合いな身分にあるって事? Lover’s Barは資産家たちのための場だもの。彼女はオルゴール職人の娘であって、資産家の生まれじゃないわね」 逡巡する間もなく振り返ったステファニーは、さも当然そうに答えた。 「ご名答」 寝ぼけ眼で拍手しても、相手を小馬鹿にしているようにしか見えない。ステファニーはキアの拍手がそうではないと知っているだろうからいいものの。 しかし、室内にも関わらず、コートはきっちり前も閉じ、マフラーもしっかり巻いているキアの服装は如何なものだろうか。Annyの室温は、防寒していなくてはならないほど寒くはない。むしろ暖かい方だというのに。 「けど」 エリヤに向き直った彼女は、予想通りの質問に口を開いた。 「それじゃ、どうしてLover's Barにいたのよ?」 未だ泣き崩れているルコを眺めていたエリヤは、鼻梁を掻きながら従順に答える。 「ニセモノだった。そんだけ」 「んー」 腕を組んだステファニーはいまいち合点がいかないらしく、意味もなく天井を見上げ、 「どうしてカルラ=クリスティなの? ニセモノとして偽ったとしても、身元がわかればすぐにバレる事じゃない? 利口な人選とは思えないんだけど」 「んーと」 どう答えればわかりやすいだろう?――エリヤは、テーブルのコーヒーを飲んで頭の中を整理しようとした。酸味を舌でじっくり味わいながら、何の気もなしにキアを見る。どうやらそれを、助けを求めていると誤解されたらしい。 「根本から話したらいーんじゃない?」 カルラとの経緯を暴露した殺意はあっても、助言を求めた気など毛の先程もなかったのだが、それは至極もっとも。 「根本?」 首を傾げたステファニーに、エリヤはその根本とやらを示す事にする。 「カルラ=クリスティを偽ってる人間なんて、どこにもいないんだよ」 「……………………は?」 「頭悪いヤツを見るような目で見んな」 「たった今、カルラ=クリスティがニセモノだって言ったじゃない」 「ああ、ニセモノだ」 「なのに、偽ってる人間がいないってどーゆ事よ?」 ステファニー、何故か半ギレ。 ――めんどくせー。 エリヤの本心。 「だからー」 割って入ったのは、キアの伸びた声。ステファニーが横目で彼を捉える。彼女の不機嫌な眼差しを受けたところで、気圧されるほどその神経は細くない。むしろ図太い。平静に視線を受け返し、顔の横で両手を広げる。 「Lover's Barと同じよーに、カルラちゃんもバーチャルなんだよ」 ここで、ステファニーの目は点になった。 「元よりバーチャル世界なんだ、バーチャルな人間がいたって、一見どころじゃわからない」 言って残りのコーヒーを飲み干し、エリヤは席を立った。 「ってなると……」 おもむろに裾を取られ、危うくテーブルを倒しそうになりながらも振り返る。 「ケリー=コストマンにはなんて報告すりゃいいのよ? 『あなたの一目惚れは幻でした』って?」 「うまい事言うじゃないか」 「あの人、それで納得する?」 「ご愁傷様って付け加えたほうがいいかもな」 裾をつかむステファニーを振り払って、カップを取ったエリヤはカウンターへと向かった。鼻をかむルコの背後を回ってカウンターの中へ。コーヒーメーカーからポットを手にし、カップに注ぐ。 「人探しって言うから大して苦労せずに済むと思ってたのに」 独り言を呟きながらステファニーは、その小さな頭を抱えた。 「まさか現実には存在しないだなんてっ」 おまけに仰け反る。 「ま、現実には存在しない人間だろうが、頼まれた仕事はこなしたんだから文句は言われないだろ。いや、文句は言うかも知んないけど、人探しは果たしたって主張はできる」 湯気の立つカップを口に運びながら、エリヤ。 「あちっ」 存外、熱かった。 「主張できたって、受け入れてもらえなきゃ無意味なのよ、エリヤ」 うめくステファニーの語調は呪詛に近い。 「ああ、500万が飛んでゆく……」 「12歳らしからぬ発言だねー」 けらけら笑うキアを、ステファニーが睨んだ。 「――けど、エリヤ」 意外な方向から呼び掛けられたせいで、エリヤは内心戸惑ってしまった。表情にまでは出ない、小さな動揺ではあったが。ルコは、洟をかんだ後にテーブルに転がしたティッシュを指先で突付きつつ、泣き腫らし充血した目でカウンター越しのエリヤを見上げた。 「カルラ=クリスティさんが仮想空間だけの住人だっていうのはわかったんだけれど、どうして彼女が造られたのかがわからないわ」 ロマンスとやらにあれだけ泣いておきながら、しっかり話は聞いていたらしい。ルコ=マーレイ――単なる感動屋とは一味違う。 「Lover's Barってのは、維持費が高額だったりするんだよね。会費を回収してはいるけど、利益を出すには至ってない。サービスを開始してから日が浅くて、まだ会員が少ないってのもあるんだけど、ほとんど赤字続き。そういう事態はあらかじめ予想していた事だと思うよ。何せ一切の宣伝手段を用いていない、口コミだけで展開してるサービスだから」 「……俺が説明を求められたんじゃないのか?」 用意していたのかと勘繰ってしまうくらいに、滑らかに話すキアを冷ややかに見据えたエリヤは、 「そこで登場、カルラちゃん」 あっさり無視された。 「彼女を、ある種アイドル的存在にしたんだよ。カリスマと言ってもいいけど、客寄せみたいなもんだね。Lover’s Barにとびっきりの美人がいるって話が伝われば、集客が上がるだろうって魂胆。会員も増えて会費も集められるし、そうすれば純利益も発生して来るでしょ? ステフは知らないだろうけど、カルラちゃんは週初めにしか現れないんだ。会員である資産家さん方は大体、週末にしかLover’s Barには来店しない。わざとずらしたんだよ。目にした事のない美人を人伝に聞く事で、期待や神秘性を上げたんだね」 キアの言葉が理解し切れないようで、首を傾げたステファニーに端的に告げる。 「男心をくすぐったの」 「そういうもんなの?」 と聞かれたが、エリヤは肩をすくめただけ。キアの言葉が――カルラ=クリスティのシステムが、すべての男に当てはまると考えられても困る。 「できるなら、ステフ。ケリー=コストマンには真実を伝えない方がいいかも。言ってしまえばイカサマなんだから、ヘタに口外されちゃったらLover’s Barの信用度は落ちるし、運営者に逆恨みされかねないからね。『あまりのガードの硬さに根負けしました』ぐらいでいいんじゃない? カルラちゃんはきっとこれからもLover's Barにいるだろうし、落とすんならケリー=コストマンに任せればいいだけで、ステフやエリヤの問題じゃないんだから」 エリヤには、キアのこのやわらかい口調を真似する事ができない。聞き手を包み込んで懐柔してしまう口振りと声音。殺し屋ではなく、交渉人になるべきだと思う。 ――カラランッ♪ カウベルが鳴るや、全員の視線がドアに集中する。冷え込んだ夜気を従えて現れたのは、聡明な青年だった。年の頃は20〜22と言ったところか、顔立ちを見るに、東洋の生まれに思える。薄いブルーの縁のメガネを手の甲で持ち上げ、軽く頭を下げる――礼ってヤツだ。 「こんばんは。あの……ピアノの面接で来たのですが」 顔立ちとは反して、流暢な言葉遣いだった。 「いらっしゃい。待ってたわ」 すっと立ち上がったルコが、注目されて戸惑う青年を迎え入れた。 「シヅヤさんよね? 外は寒かったでしょ。東洋からの留学生には、この街の寒さは堪えるんじゃないかしら。今、温かいスープを用意するわね」 ドアに近いカウンター席に彼を促し、自分はキッチンに入る。未だキッチンにいたエリヤの尻を叩いて、 「彼、音大生なんですって。ピアノの生演奏のある店って、素敵でしょ?」 コンロに乗せていた鍋から、マグカップにスープを注ぐ。オニオンの香りが鼻先に触れた。 「…………あのピアノは、いつ買ったんだ?」 気にはなっていた。見慣れたホールの奥に我が物顔で鎮座する、見慣れないもの。黒く磨き上げられたボディに独特の曲線。確固たる存在感で持ってたたずむそれは、幻でなければ――紛う事なく、グランドピアノ。 「一昨日よ。グランドピアノがあるってだけで、こうも空気が変わるものなのね」 にこやかに応えてくれるのはいいとして。 「……また衝動買い?」 キッチンから青年にスープを出すルコの顔は、上機嫌に笑んでいた。 「ひと目惚れ♪」 ずいぶん高価なひと目惚れなもんだ。 「これからピアノ弾いてもらうけど、エリヤも聞く?」 うんざりした顔をしたところで、ルコには微塵も影響を及ぼすわけがなく。 ルコ=マーレイ――単なる浪費家とは二味も違う。 「いや、俺はいい。部屋にいるわ」 「ルコー。私にもスープをちょうだい」 カウンターに駆け寄ったステファニーが、ルコにねだった。どうやらピアノを聴きたいらしく、その双眸は好奇心に輝いていた。早速、その矛先を青年に向ける。 「んっと、シヅヤさん?――は、どんな曲を弾くの?」 留学生への配慮だろう、聞き取りやすいように遅めのリズムで話しかけた。 「初対面の人には自己紹介が先よ、ステフ」 ルコがたしなめた。 「私、ステファニー=モロゾコフよ。よろしく」 「よろしく」 差し出された小さな手を握るシヅヤの手はまるで女のそれで、指は細く、長かった。 「大学ではジャズを専攻してる。クラシックやポップスも弾けるけど、ジャズが性に合ってるから」 「いいわ〜」「いいね〜」 ルコとステファニーが、そろってうっとり目を細めた。 「エリヤ」 二人の表情を呆れて見たエリヤを、呼んだキアが緩慢な動作で腰を上げる。 「俺も、部屋に上がってもいい?」 「もちろん。何もないトコだけどな」 「知ってる」 苦笑もせず、代わりにキアは両手を突き上げて伸びをした。愛想なんて言葉が似つかわしくなく響いて消えるキアだが、何故か何故だか、他人からは良く好かれる。ステファニーにしろルコにしろ、キアはすぐに打ち解けてみせたのだった。それがキア=カティリヤのコミュニケーションツール――そんな事を、エリヤはふと考えた。
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