しんしんと降る雪は、ちっとも止む気配を見せない。大粒に変わってから、一定の量を絶えず地面に積もらせる。吐く息は白く広がった。 あー、寒い。 寒いのが苦手な俺としては、こんな日はベッドでぬくぬくしてる方が好き。雪がひらひら降っている中、すべての音を雪が吸い込んでしまう静寂を歩くなんて、そんな俺自身が信じらんない。北極圏に程近いこの地方に、このクソ寒い季節にいる事そのものがすでに信じらんないけども。 寒い。寒い寒い寒い寒い。 ――――寒い。 「さっみー」 「さっきからそれしか言ってないじゃないですか」 2メートルほど間隔を持って先導してくれてるサヤちゃんが、苛立たしげに俺を振り向いた。 「だって寒いんだから仕方ないじゃない」 「だからって連呼しないで下さい。気が滅入ります」 物事をスパッと言い切ってくれる。 「あとどんくらい?」 「もう少しです」 「もう少しもう少しって、聞くの4度目だよ」 「キアさんが聞いてくる回数が多いんですよ。もう少しだから辛抱して下さい」 「5度目」 呟くと、気持ち、サヤちゃんの足が速まった。俺は震えるため息を漏らして、周囲を見回す。左右を林に挟まれた車道はすでに雪が足元を埋めて、車なんて走れたもんじゃない。左手の林の向こうに、大きな湖が見えた。どんなに寒くても決して凍結しないというリア湖。 「あの湖、リア湖って名前ですよね」 俺の思考を読んだかのようなタイミングで、サヤちゃんが声を発する。 「昔、冬になると凍結しちゃう湖だったんだって。それに困った村人が神様に、人身御供として村娘を嫁がせて――その村娘の名前がリアっていうんだけど、それから凍結しないようになったんだ」 「同じ名前を持つ人を知ってます」 語った昔話、完璧にスルー。 「へー。その人、美人?」 「すっごい美人です」 「へー。今度紹介してよ」 「よく銃を振り回してます」 「……たくましい美人だね」 振り返りもせずに俺の前を進むサヤちゃん。どうしてリア湖の話なんかしたんだか、背中から読み取れるような術を、俺は持っていない。そんな便利な術を持っている人も、俺は知らない。 だから聞く。 「どうしてそんな話を?」 「何となくです」 返答はわかりやすく明快で爽快。 「きっと、彼女とは会わないのでしょうけど、それでも会ったりしてしまった時、私は何を言って、彼女に何を言われるのか、少しだけ楽しみだったりするんです」 「……何の話?」 「彼女、私の事が苦手だったみたいです。元より、人とのコミュニケーションが苦手みたいですけど。そんな彼女が嫌そうな顔をするのが、私は好きだったんです。猫を見ると、ついからかいたくなりませんか? あれと同じで、つい巻き込みたくなるんです。あからさまに迷惑がっている彼女の顔が見たくて」 不思議なコなんだなー。踏みしめる雪をBGMに話すサヤちゃんの言葉は、雪の静けさのために輪郭がはっきりと響く。語調は懐かしんでいるようで淡白、身振りもなければ歩調に躊躇もない。 「独り言です」 それはまさに独り言。伝えるものでもないし、語るものでもない。 伝えるためのものじゃなく、語られるためのものじゃなく。 伝えるべきものじゃなく、語るべきものじゃなく。 さながら泡のように、ポコッと生まれて弾けるだけ。後には何も残らない。 サヤちゃんの、静かな音吐。 俺の過去。 「独り言、か」 口の中だけで呟いた。サヤちゃんの耳に届いたかどうかはわからないけど、不意にその足は止まった。 「着きました」 サヤちゃんがむいた左手――そこだけ林が開けていて、屋根に十字架を掲げた教会が、ひっそりと佇んでいた。それはそれはシンプルな教会。三角屋根が1つの、見てくれはこじんまりとした建造物。街から北上した、こんな辺鄙な場所に置くなんて――さぞかし交通が不便なんじゃ? 見たところ車も置かれていないし。となると、ここで生活してるのかい。 今日びのマフィアは、結構健気に生きてるもんだ。 サヤちゃんの後ろに付いて行くまま入った教会は、空気がすっかり温まっていたおかげで、寒さに強張っていた体をじんわりとほぐしてくれた。ノックもせずにサヤちゃんが開けた両開きのドア、そして堂内の左右の壁、その高い位置にある二対の窓はそれぞれが二重構造になっていて、防寒対策は完璧。長イスが横に2列、縦に5列並ぶその先に、抱えられるほどの大きさの十字架を乗せた教壇がある。磔刑のステンドグラスにオルガンと、教会以外の何物にも見紛いようのない内装が、マフィアとのつながりなんて発想から突き放す。 けど、ここはマフィアなんだよね。 唯一。そこだけは空気が違った。 「ひゃっは!」 俺の顔を見るなり、耳障りな哄笑に口を開けた男。場違い甚だしい白スーツに白いネクタイ、黒いシャツ――ホストですか? 右最前列の長イスに寝転がっていたらしいホストは、起こした上体をひねり背もたれに腕を乗せて、 「久し振りだなぁ、兄弟」 病的なまでに細面、吊り上がる切れ長な瞳を細くした。 「何年ぶりだい? 10年近く前か? ひゃははっ!」 相変わらず、無意味に笑う男だった。見事な色のブロンズも、嫌味っぽく歪む唇すらも、何もかもが相変わらず。 ビリー=マクライニ。
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