「――とても綺麗な方ですね」 その背中が2階へ消えた後も名残惜しそうに、サヤちゃんは階段を見つめていた。惚けているようにも見えた。 「恋人がいないなんて不思議です」 応えたのはエリヤだった。 「ルコ自身の問題があるんだ、仕方ない」 ルコ姉の問題――――はて、何だろう? 「完璧じゃないですか。料理もできるし性格もいいし、何より美人です」 サヤちゃんの中では、どうやら『美人』の配点は高いらしい。 「エリヤさんだって、一緒に働いてて思いませんか? あんな綺麗な人といられるなんて、私は羨ましいです」 「何も感じないね」 「そんなの男じゃありません」 肩をすくめたエリヤへ、ずいぶんと一方的な断定。睨むサヤちゃんは殺意すら感じさせた。サヤちゃん、ルコ姉にご執心。 「何とでも。――ところで、かなりの興味をキアに持ってるみたいだな」 語調をそのままに、エリヤは話題だけを変えた。 「恋人なんかじゃありません」 「キアに何の用だ?」 シリアスなエリヤに突っ込みは期待できないよ、サヤちゃん。 「エリヤさんには無関係です」 突っ込まれなかったせいか、ふてくされながらもエリヤに振り向く。 「私が用のある人はキアさんだけです」 「マフィアがキアに何の用だ?」 問い質すエリヤの口調は容赦なかった。敵意丸出しで睨み付ける。 「言っておきますけど」 サヤちゃんはマグカップを手に取ると、手首だけで器用にカップを回しながら言い切った。 「私はフィルデナント教会の人間ではないんです。オーナーが会いたいって言っていて、キアさんを連れて来るように依頼されただけですから」 なるほど。そういう意味での『使い』だったわけだ。 「エリヤさんには、無関係な話なんです」 もう一度言う。今度こそ反論を許さない、反論を拒絶する物言いで。 「だったら」 だがエリヤは、時にこの俺が呆れてしまうほどに、決して物怖じしない性格の持ち主であるのだった。 「使いであるお前じゃなくて、オーナー本人が来ればいいじゃないか」 「やたらと絡むんですね」 エリヤから俺へと移したサヤちゃんの視線は、窓の外へ行き着いた。マグカップを唇に付け、音を立てずにスープをすする。 「大事な友人だからな」 「そんなに想ってくれてたのね、エリヤっ」 「…………」 裏声で言ったら睨まれた。 「……………………」 サヤちゃんはドン引き。 「空気を和ませようと、かわい子ぶってみました」 「いらん事すんな」 エリヤってば、なんて冷たい。 「――依頼されたって言ったな。じゃ、おまえは何者なんだ?」 エリヤはすぐに切り替えて、まだ引き気味のサヤちゃんに問うた。昨晩の身のこなしが想起――俺を吹き飛ばし、あまつさえ朝まで追い駆け続けるなんて、並大抵の女じゃないのは確実。 「ただの小市民です」 たいそうアグレッシヴな小市民だ。 「バイト代稼ぎにマフィアを使うってのか」 皮肉もいいけど、エリヤ。そこは突っ込もう。激しく突っ込もう。 「多少、マフィアとのつながりのある小市民です」 サヤちゃん……どうしてそうも小市民にこだわるか。 「埒が明かないな」 ため息ついて、エリヤは両手を上げた。 「キア。お前が聞けば答えてくれるんじゃないか? あの女にとって、キアは関係者なんだから」 「そうだねー」 「……何してんだ」 「鼻と唇の間にタバコ挟んでんの」 「返せ」 俺から奪ったタバコをくわえ、とっとと聞け、とエリヤの目が促す。聞け、と言われても。 「俺、フィルデナント教会とは面識ないはずなんだけどなー」 「そんなはずないです」 火を付けて主流煙を吸い込むエリヤ越しに、その眉を上げて、サヤちゃんはたやすく否定してくれた。 「オーナーは、キアさんの事をよく知ってる風でしたよ? なんでも、以前は相当仲が良かったとか」 知らないどころか憶えがない。 「オーナーの名前、教えてもらってもいーかな?」 思えば、この時に名前を聞くべきじゃなかった。そうすれば、ストーリーはもっと違う終着点に向かっていただろうし、あんな胸クソ悪い思いもしなくて済んだ。けどこの時の俺は、オーナーと面識がないって信じ切っていたし、だからこそ無防備にも、何気なく、信じ切ったまま、聞いたのだった。 「ビリー=マクライニです」 知ってるどころか忘れられない名だった。 「知ってる名前なのか?」 「知らない」 「ウソつけ。お前はわかりやすいんだ、ウソつくだけ無駄なんだよ」 とぼけるのが得意な人間は、とぼける人を看破する目もまた、長けているようだ。 「ウソをつくと目が泳ぐからな。すぐにわかる」 俺がヘタなだけらしかった。 「その、ビリーってヤツは?」 「地下塔(アンダーグラウンドタワー)にいた時の友達」 地下塔(アンダーグラウンドタワー)――その単語を口にしたのはどのくらいぶり? きっと、シスターと対峙した時以来だから、1年ぶり?……そんなに久し振りじゃない気はするけども、頻繁には出ない単語であるのは間違いない。エリヤにしてみれば、今やその単語とは無縁の世界に身を置いているのだから、俺以上に久しぶりな響きのはず。そしてそれは、心地良い郷愁なんかよりも何光年と離れているらしく、 「そいつはまた……関わりたくないな」 エリヤの表情は渋く歪んだのだった。 「お2人とも、地下塔(アンダーグラウンドタワー)出身なんですか?」 割り込んだサヤちゃんは、能天気に聞いて来る。 「サヤちゃんも?」 尋ねたところ、首を小刻みにふるふると振って、 「少し知ってるくらいです。出身でもなければ育ってもいません」 小市民レベルじゃ聞く事すらないぞ。 スープをすするサヤちゃん――何者か知れない人物。みすてり〜。 そして、それ以上に――はるかに凌ぐ、厄介な人物――ビリー=マクライニ。 「エリヤ」 「何だ?」 「アレ、受け取っていーい?」 そっぽ向いてタバコを吸い、煙を吐いて、 「部屋にある。勝手に持ってけ」 さっき言った事、忘れんなよ?――エリヤの横目が言っていた。
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