「……なあ」 エリヤが、俺を振り向きもせずに嘆息。 「どうしてマフィアの使いがAnnyでメシ食ってんだ?」 「お腹空いたんだって」 「そうじゃなくてよ」 「じゃ、何?」 「どうして、キアと一緒にAnnyに来たんだ? 敵対者だろ?」 「あーっと……」 4時間、街を全力で逃げて追い駆けて、さすがの俺も疲れてしまった。サヤちゃんの持久力もかなり尋常ではなかったけども、長時間の追走に確実に体力は削れたようで、もう数えるのも億劫になるくらいの数十度め、俺に追い着いた時、 「っ、い、1回…(唾を飲む)…休憩し、ませんっ…か……?」 肩で息をしながら、提案したのはサヤちゃん。 「じ、じゃあ…(大きく深呼吸)…近くにいい店……があるから…そこで……」 俺も俺で心臓が激しく打っていた。 気息奄々の体で向かい合う2人を、犬の散歩中のおばちゃんが奇異な視線でチラチラ見ていた。 おばちゃんなんかどうでもよくて――こうして俺とサヤちゃんは、2人そろってAnnyに入店したのだった。 「……利害の一致、かな」 思い切り端折った返答だったのだけど、エリヤはふぅんと鼻を鳴らした。エリヤにとって、本当の意味での興味はそこにないようだった。サヤちゃんを凝視するエリヤ――さて、何を考えてるのやら。 「ルコさん。おいしい食事をありがとうございました」 皿をキレイに平らげたサヤちゃんは、次いで差し出されたスープをすすろうとして、 「あちっ」 「そんな慌てて飲む事ないのよ。ゆっくりしてって」 ルコ姉の慈愛に満ちた声音を前に、湯気の立つマグカップに息を吹きかける。 「ルコさんってこんなに美人なのに、こんなおいしい食事まで作れるなんて羨ましいです」 「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」 「天って、二物を与えるもんなんですね」 サヤちゃんの大絶賛に、エリヤが嫌味っぽく笑った。その理由を知らない俺は、それを聞く事もせずに、2人の様子を眺め続ける。 「サヤさんだって、料理できるんじゃない?」 「それが全然ダメなんですよ」 「私だって、最初はまったくダメだったのよ。好きこそ物の上手なれの典型」 「それで店を出してるんだから、ルコさんは料理の才があったんですよ。私はてんでダメです。どんなに頑張ってみても、インスタントの方がおいしいんですから」 大げさに肩を落としてため息をつくサヤちゃん。果たしてどれ程の料理をしてくれるのか、少し気になった。 「ルコさんの恋人が羨ましいです。こんなおいしいスープを飲めるんだから」 スープをすすったサヤちゃんは、ほぅっと言葉を漏らす。それには俺も同感。ルコ姉の恋人は、さぞ食に困らないだろーね。 「私、恋人いないのよ」 鍋を煮込んでいた火を止めて、ルコ姉は意外にもあっさりといいのけた。意外にも、一見それとわからないほどの微々たる悲哀をその微笑に乗せて。 「本当ですか? ルコさんだったら、男に不自由しないと思うのに」 哀しい表情なんて見た事がなかった。初対面であるサヤちゃんには、気付けないほどのわずかな変化。俺はエリヤに視線を投げたけど、天然パーマの後頭部は微動だにしない。 「世の中ってそれほど、うまくはできてないみたい。殊更、男と女の仲ってものは」 ルコ姉の言葉は説得力で重かった。キッチンから出てサヤちゃんのとなりに腰掛けると、 「だから、今に一生懸命にならなきゃね」 サヤちゃんの肩に手を乗せて俺をチラ見。 ――って、あれ? 「キアくんを大切にしてあげてね」 サヤちゃんがマグカップを取り落としそうになった。 「そういう仲なわけだ?」 エリヤ。真顔で聞かないで。 「ちっ違います!」 心外極まれりと声を荒げるサヤちゃんを、ルコ姉はきょとんと見つめた。次いで俺を見て、 「付き合ってるんじゃないの?」 違います。 「だって、朝帰りでしょ?」 とんでもございません。 「とんでもないです!」 ひと際荒げられるサヤちゃんの声。ぶんぶんと、千切れるんじゃないかと心配してしまうほど、顔と手を振って否定を強調する。 「あの人とは清い仲です!」 否定するポイントが違かった。 「あら、私ったら」 おもむろに赤面したルコ姉は照れ笑いを浮かべる。 「すっかり済んでるものだと勘違いしちゃったわ。先走って恥ずかしい」 「わかっていただけて嬉しいです」 安心するには早いよ、サヤちゃん。誤解されたままだよ。 キッチンの戸棚の上に掛けられた時計を、ルコ姉は見上げ、 「あら、こんな時間」 あと5分ほどで8時になるのを見て、いそいそとハーフエプロンを外した。 「エリヤ。洗濯してきちゃうから、ちょっと店番をお願いね」 「俺に任せて平気か?」 「平気よ。この天気だし、きっとお客さんは来ないわ」 軽く手を上げ了承を示したエリヤを見届けて、店の奥にある階段へとルコ姉は駆けて行く。パタパタと軽快な足音が、階段の向こうに消えた。
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