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Two DOGs and The DOG 作者:ナコソ

第2回   エリヤと俺

「――で、今まで走り続けてたって?」
 俺の行き付けの喫茶店『Anny』。テーブルにコーヒーカップを置いてくれたエリヤ=マルソーは、笑いを噛み殺しながら向かいのイスを弾いて腰掛けた。
「ずいぶんな執心振りじゃないか」
「だからって、朝まで追いかける事ないでしょー」
 カップに角砂糖を1つ、2つ落とす。波打つコーヒー。
「笑い事じゃないよ」
 3つ、4つ。
「……砂糖、入れすぎだろ」
「ん? そう?」
 スプーンで掻き混ぜてからすする。ちょうどいい甘さ。
「女に追いかけられるなんて、男冥利に尽きるじゃないか」
「時と場合によるって」
 肩を震わせてまで笑いを湛えるエリヤが憎らしい。
「しっかし、4時間近くも走り続けるなんて、体力ある女だな」
「驚きだよ。なかなか諦めてくれないし」
 あの後――サヤちゃんに背を向けて敵前逃亡を図ったのだけど、サヤちゃんは全力で追い駆けて来たのだった。「待てやこらァ!」などと穏やかでない暴言を振り回しながら。街中を走りに走って、撒いたと思えば前から現れ、振り切ったと思えば上から現れ、右へ左へ縦横無尽、道路から屋根へ、屋根から道路へ、街中を立体的に逃げ続けた。
「エリヤって、ここで働いてたりするんだね、そーいや」
 ハーフエプロン姿のエリヤを眺めてみる。するとエリヤは不満そうに、
「手伝いだ」
「時給いくら?」
 尋ねると、やれやれ、と両手を挙げ首を振った。
「日給200」
「やっすいねー」
「いわく、小遣いだと」
 エリヤが親指で示したのは、カウンターに囲まれるように設えられたキッチンで、鍋のスープを優雅に掻き混ぜるルコ姉の後ろ姿。『Anny』の主人であり、看板女将でもあるルコ姉は鼻歌交えて本日もご機嫌なり。
「0よりマシでしょう?」
 エリヤの声をしっかり捉えていたらしい。振り向いた笑顔は本日も美人なり。
「その――フィルなんたら教会?」
 エリヤの口が開く。
「フィルデナント教会」
「それそれ」
 取り出したタバコの先をクルクル回しながら、怪訝そうに眉をひそめた。
「教会だろ? キアに何の用があるんだ?」
「教会ってのは表向きなんだよ、あそこは」
「表向き?」
 エリヤのこの反応を見る限り、フィルデナント教会の事はまったく知らないらしい。ま、エリヤは俺とは異なる世界を選んだのだから、知らないのも当然だった。
「マフィアみたいなもん」
「教会なのに?」
「教会だからこそ、って言うべきかな。そもそも、ここら辺のマフィアって教会が廃退してった末に出来上がったみたいなもんだし。知らない人は知らないだろーけど」
「へぇ」
 吐いた煙を見上げるエリヤには、さしたる興味ももたらさない。案の定、現状の疑問に話を進めた。
「マフィアがキアに何の用だ?」
 と、改めて聞いてから、はたと思い至ったようで、わずかに声を潜める。
「仕事か?」
 店内には、さっきまで席を埋めていた客がごっそり帰ったせいで――それこそ、俺にはわからない合図でもあったかのように――スカンスカンのスペースだけ。わざわざ声を潜めずとも、聞かれて困る相手はいないし、仕事っていう単語ならもっと堂々と出すべきだ。潜めて吐き出されると逆に不審。
 そこまで考えたけど、言及はしない。
「違うと思うよー。力づくでも連れてこーとする理由がないでしょ」
 大口あくびをかました俺は、背にした窓を振り返る。おー、天気予報の言ってた通り、大粒の雪がひらひら、ひらひらと舞っている。寒さが大の苦手な俺にとって、とっても帰りづらい状況。想像するだけで手がかじかむ。
「じゃ、恨み買ったんじゃないか?」
「あ~、その線は濃厚だよね」
 ひらひら舞う雪――すでに石畳を覆い尽くした後は白く積もり、街を白く白く彩っていくであろう雪を、恨めしげに見上げた。
 雪は嫌い。嫌な事を思い出す。
「濃厚って……軽く言うなよ。相手はマフィアだろ?」
「ん〜?」
 視線をエリヤに戻すと、呆れと怒りの真ん中みたいな顔をしていた。
「だって仕方ないよ。俺はいつだって、恨み恨まれたその間にいるんだから。いつ、どう死んだって不思議じゃないんだ」
「キア」
 エリヤの顔が憤怒を強くする。
「たとえジョークだとしても、そいつは笑えねぇよ」
「…………」
 ずずっと、コーヒーをひと口。瞬きひとつせずに俺を見つめるエリヤの、色違いの瞳。深緑の右目、青みがかった黒の左目。その指に挟んだタバコの灰が、床にポトリと落ちて砕ける。
「勝手に死んでみろ。おまえの葬式なんかやんねぇからな」
 静かな怒号。心の底から、相手にしたくない唯一の相手。
「…………」
 俺と、こうして向かい合ってくれる事に。
 俺を、そんな目で見てくれる事に。
「ありがとう」
「どうして礼なんか言うんだ?」
「なんとなく」
 エリヤの呆れている顔が、俺は好きだったりする。それから、と彼の肩越しにカウンターを指し示して、
「俺に何の用があるのかなんて、本人に聞いた方が早いよ」
「……ま、そりゃそうだが」
 歯切れの悪さがそのままエリヤの躊躇を物語る。タバコを灰皿で押し潰して、仕方なさそうに振り向いた。俺とエリヤの視線の先――カウンターの真ん中の席。一心不乱にスパゲッティに食らい付いているサヤちゃんの後ろ姿があった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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