「あんたのフルートかい?」 「そうよ。今年は借り物じゃないわ」 今年の冬が終わる夜に「笛吹き」と「星描き」は、「海の見える家」で、「雨職人」を待ってました。三人は、いつも旅をしているのですが、冬の終わる夜には、「海の見える家」に集まることにしていたのです。
「はりこんだな」 「そりゃ、商売道具だもの。あなたの絵筆と同じよ」 「絵筆よりは値がはりそうだが」 「だから、しばらく借金生活……ってわけ」
笛吹きは、旅をしながら笛を吹いてまわるのが仕事でした。それでも、あまりお金持ちではなかったので、他の人の笛を借りたり、雇われていったお店に置いてある笛を吹いたりしていました。時には、壊れた笛を吹かなければならないこともあったのです。 それでも、今年は少しばかりお金がたまったものですから、思いきって自分のフルートを買ったのでした。 本当のことを言えば、フルートを買うにはお金が足りなかったので、残りのお金は笛吹きの「親方」から借りたのです。それでも、どうせ買うのなら、冬の終わりの夜の、「海の見える家」のパーティに間に合わせたかったものですから、ちょっと無理をしてフルートを買ったのでした。
笛吹きは、旅先で星描きと雨職人に出会いました。星描きは空の星を描いていましたし、雨職人は、いろいろな涙から雨を作って、雨を降らせていました。
「借金生活?」 「そう。もっともあまり無理をするつもりはないわ。一日にどのくらい食べればちゃんと生活できるかわかってるし」 「それにしても、先にお金をためようとは思わないのかな」 「そうね……あたしね、不器用だから」 「不器用?」 「そう。夢だけで生活できるほど器用じゃないの」 「……?」 「うん……そうね、いつかフルートを買うんだってこつこつとお金をためるよりは、買ってしまったフルートを抱き締めてね、ああ、このフルートが欲しかったから、今日はパンを一切れしか食べられないのね……って、思う方が好きなの」 「そんなものかな」 「そうよ、あたしはね」
ちょうどその時、雨職人が入って来ました。 「お待たせ」 「いや……。今年は笛吹きがフルートを買ったそうだ」 「そうか、さっそく何か聞かせてもらおうかな」 「いいわよ」 笛吹きは、『夕暮れ』という音楽を吹きました。 星描きも雨職人も、静かに聞き入っていました。
――春には弔いの涙がふえる。 そう言ったのは、雨職人でした。 本当のところは、春だからといってお葬式が増えたりするわけではありませんでした。それよりも、春はたくさんの生命が生まれてくる季節なのです。けれど、たくさんの生命が生まれる季節の中の弔いの涙が、涙を集めて暮らしている雨職人には、とても悲しく思えるのでしょう。 笛吹きは、そんなことを考えながら笛を吹きました。
「今年も春の雨を降らせるんだな」 「ああ。春の雨は草や木を育てるのにはかかせないからな」 「そうだな」 「それに、これからも涙を流す人は決していなくならないから、雨は降らせなけりゃならない。嬉しいのも、悲しいのも、そして、苦いのも」 「苦い涙か……それで、この春の最初の雨はどうだい?」 「今年もとびっきりの暖かい雨になるよ。いい涙が手に入ったから」 「それは、よかった」 「ああ。冷たい雨も苦い雨も、結局は降らせなけりゃいけないんだけど、ちゃんと暖かい雨も降らせることができるのは、いいことだな」
吹きおわった笛吹きは、星描きと雨職人の話をぼんやり聞いていました。 そう言えば、雨職人は冷たい雨の中を傘もささずに歩いたことがあって、それから雨が好きになったなんて言っていたのを思い出します。そうして、雨が好きになって結局雨職人になったのだそうです。 冷たい雨に降られて雨が好きになったなんておかしな話だ――そう、笛吹きは思っていました。 もっとも、笛吹きは雨職人の降らす暖かい雨は好きだったのです。この春の最初の雨は暖かい雨になるということだから、あと二・三日のうちに――この街を離れるまでに雨職人のとっておきの暖かい雨に降られることができるだろうと、そう思いました。
「おれにも、何か吹いてくれないか」 突然星描きが言いました。 「今吹いたじゃない」 「そりゃ、雨職人に吹いたんだろう?」 「わかる?」 「ああ、雨職人にはお似合いの良い音楽だった」
相変らず良い音楽を吹く――星描きはそう思いました。 笛吹きの音楽を聞くと自信がつく。ちょっと違うかな。笛吹きの音楽を聞くと、自分が本当はどうしたいのか、何を考えていたのか、良くわかってくるような気がする。 笛吹きは、本当にぴったりとした、本当に聞きたい音楽を探してくれるからな。
笛吹きはもう少しだけ考えてから『星の海』という音楽を吹きました。ちょっとありきたりのような気がしましたけれど、星描きにはいちばんしっくりくると思ったのです。
星描きはこのあたりの空を受け持って、星を描いています。そうそう、晴れた夜に星を描くと地上の人に見つかってしまうかもしれないので、雨の夜を選んで星を描くのだそうです。曇り空でも、いつ雲が切れるかわかりませんから。 だから、やっぱりこのあたりの受け持ちで雨を降らせていた雨職人と空で出会ったのだと聞いたことがありました。 「今も描いているの?」 「もちろんさ」 「それにしちゃ増えないね、星の数は」 「ああ、最近は落ちる星が多くてな」 「それじゃ大変ね」 「ま、描き続けていればなくなることはないさ」 星には、旅人のための目印になる星と、目印になる星を探すための星とがあって、こういった星は絶対に落ちないように注意深く見守るのだそうです。 「他の星は?」 「そりゃ、人間のためには役に立たないかもしれない。でも、役に立つ星だけが大切なわけじゃない」 「それじゃ、全部の星が大切なんじゃない」 「だから、出来るだけ描かなきゃならない」
短いパーティが終わり、笛吹きは帰り道を歩いていました。 今年も何も話せなかったわ――と、笛吹きは思うのです。一年の間に悲しいことやつらいことがあって、この機会に何もかも話そうと思うのですが、今年も何も話せなかったのでした。 ううん、話せないというのは違うわね――笛吹きは考えなおしました。 なんだか、星描きや雨職人と話しているうちに、悲しいことやつらいことなんて話さなくても良くなってしまうのです。 「描き続けていればなくなることはない」といって、ゆっくりと星を描いている星描きや、悲しい涙や苦い涙も、捨てないでちゃんと雨にしてくれる雨職人と話していると、心が軽くなるからなのだと、笛吹きは思います。
良く晴れた夜空に星が瞬いています。 そうね、来年まで会えなくたって晴れた夜には星描きの描いた星が見られるし、雨の夜には、雨職人の降らせる雨を感じることが出来る。 「雲を作る仕事なんてないかしら?」 笛吹きは、ふと、そんなことを考えました。
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