「あと、どのくらいの本棚がおけるかしら」 突然、お店の人が尋ねます。 「そうでうね……三つくらいなら……あと、本棚をきちんと並べたらもっと置ける と思うけど」 「そのくらいかしら。じゃ、もうしばらく、ここでやっていけるわね」 「え?」
お店を開いたとき、本棚は二つしか無かったそうです。店番をしている彼女の棚と、そして、亡くなってしまった婚約者の棚。お店の名前も今とは違っていたそうです。
「意識した訳じゃなくてね。お店を開くのが予定よりかなり早かったから、あんまりお金が無くて、棚二つしか本が入れられなかったの」
本棚二つというのは、いくらなんでも少なすぎます。だから、本当に気に入った本だけしか置くことはできませんでした。 お店の人は、自分が本当に置いておきたい本を探しました。そして、もうひとつ、生きていたならきっと彼が置いておきたがっただろうと思う本を。それで、ちょうど二つの本棚――二人分の本棚がいっぱいになりました。
ずいぶんと長い間、二つだけの本棚でお店を開いていたのだそうです。 三つめの本棚が加わったのは、この街にすむ登山家が、長い登山から帰って、そして偶然、お店を訪れたときのことでした。
「気に入った本が見つからなかったようで、彼は1冊も本を買わなかった。でも、どういう訳か1週間通い続けたの。新しい本が入るでもないのに」 「好きになったんじゃないですか?あなたのこと」 「そうかもね……でも、私もその人のことを素敵な人だなと思ったわ。で、この街にも素敵な人はいるんだなと気付いたの。本当、当たり前のことだけど」 「…………」 「当たり前のこと。素敵な人は、自分の故郷だとか、そういう特別なところにだけいるわけじゃないって。結局どこにでもいるんだってね」
いつしか、「この街の登山家の本棚」ができました。三つめの本棚。あとは、簡単です。この街ですてきな人に出合うたびに、本棚がひとつずつ増えていったのです。
「ひょっとして……ぼくの本棚も作ってくれるんですか?」 「わからない。どちらにしてもまだ先のことだわ」 「まだ先のこと?」 「だって、あなたのことは、まだ何もわからないのだもの。もちろん、どんな本をおいたいいのかもね」
ひとしきり話すと、ぼくは、明日はこの街を離れるからと言い残して、「ここです」書店を後にしました。
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