男の人が入ってきました。 お店の前を通り過ぎようとして、ちょっと気付いたように立ち止まって、少しばかりひきかえして、そして、「ここです」書店に入ってきたのです。 入り口を抜けたあとも、少し要領を得ないようで書店の中をあちらこちら歩き回っていました。
そうしているうちに、昨日の女の人と同じように、本棚の前に立ち止まってしまったのです。 一冊の本を手に取ると、ずいぶんと長い間読みふけっているようでした。それなのに、お店の人は何も言いません。
「立ち読みだよ」 「そのようね」 「いいの?あのままで」 「いいわ、別に」
話しているうちに、男の人と目があって、ぼくは慌ててそらしたのですが……。
どのくらい経ったか男の人は、レジの方にやってきました。手ぶらです。 それでも、レジを通り抜けるときに、小さな声で言ったのです。 「ごめん。お金が無くて」 「いいえ、気にしなくてよろしいですよ」 「また来ます……必ず」 「ええ、お待ちしております」
「ここです」という名の本屋さんは、駅前通りの商店街に埋もれています。 だから、この本屋さんを見つけてくれる人というのは、特に行き過ぎそうになって、その後で引き返してきてくれる人たちは、本当に、「ここです」書店のお客様なのだ――と、お店の人はぼくに言ったのです。
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