「シャイク! 今日も素敵な髪型ね!」
ぼふん、と激しい音を響かせて突き当たってきた人物に半ば押しつぶされ、シャイクは小さくうめき声を上げた。
「主任、お願いですから僕にいちいち体当たりするのはやめて下さい」
憮然とした口調でずれた眼鏡を直し、再び作業に戻ったシャイクに、主任こと、アイシスは笑いをもらした。
「一体何がおかしいんですか!」
没頭していた作業を中断されて、すこぶる機嫌の悪いシャイクが思わず怒鳴る。 すると、こらえきれなくなったのか、アイシスは思いっきり笑い出した。
「いいわねぇ、アンタのその反応! 顔真っ赤にしちゃって可愛いったら。キャプテンもこんな可愛い子採用するなんて、ナイスセンスだわ!」
「可愛い可愛いって、何度も連呼しないで下さい。こう見えても僕は18なんですから。全く……」
ぶつぶつと文句を言うシャイクに、アイシスは文字通りお腹を抱えてソファーの上を転げ回る。 ちょっとしたサロンのようになっている、決して狭くない談話室中にアイシスの笑い声が響いて、シャイクは眉間のしわを更に3本増やした。
「おー。姐さん朝っぱらから何騒いでんだよ」
その声を聞きつけたのか、セイが大きなあくびをしながらサロンに入ってきた。 寝起きのままのぼさぼさの髪を無造作に束ね、Tシャツの隙間から腹をぼりぼりと掻く。 無意識なのだろうが親父臭い仕草だと、シャイクは思った。
「なんだ、またシャイク構ってんのか。ほどほどにしときなよ」
アイシスに眠そうに声を掛けると、ずり落ちたスウェットのズボンをよいしょ、と引っ張り上げ、セイはそのまま手近なソファーに座り込んで眠り始める。 程無くして響き始めたいびきに、とうとう我慢の限界を超えたシャイクが立ち上がった。
「ああもう! 一体何なんですか、そろいもそろって。迷惑行為禁止条例違反ですよ! 労働監督局に訴えます
から! どうしていっつも僕が作業やってると決まって誰かが邪魔しに来るんですか?!」
「面白いからに決まってるじゃない」
アイシスが口を開くより早く答えた人物を、シャイクは今にもつかみかからんばかりの勢いで振り返った。 視線の先には、作業を終えたばかりなのか、作業着のツナギを着たままでアキが立っていた。 無表情に見下ろされて、シャイクは怒りのあまり顔を真っ赤に染める。 それを一瞥して、アキはおかしくてたまらない、というように眉を八の字にして笑った。
「シャイクってそうやってすぐ表情に出るんだもの。おもちゃにされても文句言えないわね」
「お…おも…おも…おもちゃ!」
あまりの言い草に目を白黒させるシャイクを見て、アイシスは手を叩いて喜ぶ。
「おもちゃ! おもちゃだって、アキったら最高!」
アイシスに爆笑されたシャイクは、とうとうアキを押しのけると猛然と自室に向かって走り出した。
「あーあ、やりすぎちゃったんじゃない?」
背後から追いかけるように聞こえてきたアイシスののんきな声に、更に怒りを爆発させながらシャイクは廊下を頭から湯気でも立てそうな勢いで走り抜けた。 いくつか廊下を走り抜け、角を曲がり。 やっと自分の部屋にたどり着き、パネルに手をかざすとドアが開くのももどかしくドアの隙間から部屋の中に体をねじ込む。 部屋のドアが完全に閉まるなり、シャイクは噛み付きそうな勢いで怒鳴った。
「ポーラ、しばらく僕の部屋からありとあらゆるものを閉め出してくれ! 僕はこれから重要な記録を作るから、全ての接続を一時切って!!」
「でもシャイク、それでは呼び出しが…」
「仕方ないな。…じゃあ緊急回線以外は閉鎖。緊急度Aの最重要事項以外で僕を煩わせないでくれ!」
ポーラはシャイクの指示に躊躇するように一瞬言葉を切る。 しかし、イライラと爪を噛みながら命令口調で早口に指示を下すシャイクに今は何を言っても無駄だと判断したのか、ポーラは人間だったらため息をつくか苦笑をしたであろう一瞬の間の後、短く承諾の言葉を伝えた。 それを確認すると、猛スピードでシャイクは備品の山の中からラークを掘り出した。
「ラーク、記録デバイスロック解除。記録開始」
「イエス、マスター」
いつもと変わらない、ラークの無機質な応答にようやく理性を少し取り戻したシャイクは、今しがた受けた屈辱をしっかりと記録しておく為に、咳払いをし、目を細めた。 その表情は、ひどく大人びて実際の年齢と彼が言っている18という年齢よりも大人びてさえ見えた。
「アイシス=カフ=アイタレーヤ整備及び総務主任は、僕の髪型をからかうのが趣味。何度言ってもこの髪が手の施しようのない癖っ毛で、方向構わずはねるということを理解しない。腕は最高のメカニックだが、謎が多い。何を考えているのか分からない。僕の考えでは相当の策士だ。自分が女であることを引け目に感じるどころか武器として使ってくる。僕が一番苦手なタイプ」
一気に相当愚痴の入り混じったアイシスに対する印象及びデータを記録して、シャイクは眉間を揉み解した。 最も、揉み解した所で彼の渋面は変わらないから、元々幼い顔さちに不似合いな深いしわはくっきりと存在したままだったが。
「ラーク、アイシス主任に対するデータを上書き。類似箇所及び重複箇所を整理、自動記録」
「イエス、マスター。上書きしました、次のご指示をどうぞ」
「急かすな、機械の癖に」
ブツブツと小声で文句をもらしたシャイクにラークは反応せず、シャイクは腹立たしそうに深々とため息をついて手近な椅子を引き寄せて座った。 アイシスに対しての愚痴をラークにぶつけて多少は気が済んだのか、シャイクはさっきまでと比べるとやや落ち着いた口調で、言葉を連ねていく。
「セイ=タカムラ整備士。僕の同僚に当たり、アキとは兄妹。容姿からしてたぶん地球の古い種族区分から言えば、アジア系民族の血を引いている。…そういえば、アイシス主任はそれで言えばアラブ系か、インド系だな。出身民族と情動行動の比較検討に使うから、パーソナルデータの他にそっちのデータにもファイリングしておいてくれ」
「イエス、マスター」
「セイ=タカムラは古い地球の童謡に出てくる闘牛士みたいだ。確か、トレロカモミロとかいう。いや、それはいい。要するにあいつはよく寝ぼけていて、その上良く寝る。ああ、でも違うな。あの闘牛士とは違う。ちゃんと目が覚めている時はやたらまとわりついて煩いから。その上オヤジ臭い。いびきが煩い。あれで腕が悪かったら、頭の中に何も詰まってないんじゃないかと僕は疑う所だが。腕はまだまだ荒削りだけど悪くないと思う。しかも、単純で扱い易い。この船の中で一番秘密がない人間かもしれない…けど、どうだろう。僕はまだ、あいつのことを何も知らない。向こうも僕のことを何も知らないだろうけどっと、ラーク、考察以外の個人見解は排除してデータを保存」
「イエス、マスター」
同じ返事を再び繰り返したラークに、シャイクは理由も分からずなぜかむしゃくしゃして、眉を寄せると再び爪を噛み始めた。
「鬱陶しい。了承は画面出力。次はアキ=タカムラ。彼女はEVAスペシャリスト。つまり、船外活動員。勝気で短気。僕のことをたぶんこの船の中で一番見下している。あいつにはペースを崩されっぱなしだ。気をつけないと。どうも必要以上に僕に突っかかってくるような気がする。これからも彼女の行動及び言動には注意することが必要だ。意外とこの船の乗組員や、船長、ヘルマに対するデータがそこから得られるかもしれない」
言葉を重ねるに従って、シャイクの声は小さく、表情は暗くなっていく。 船長に対するデータ、ヘルマに対するデータが著しく得られにくいことに、ここ数日間の本格的な記録作業と分析の中で気がつき始めたシャイクは、自分自身の中でこの船に乗り込んだ時から引っかかっていた違和感にようやく気付いた。 この船には、妙に秘密が多い。 しかも、何となくこちらの様子を、出方を窺うような空気が漂っているのだと、シャイクは思った。
「船長、ヘルマに対しては今日も特筆すべきデータは得られなかった。以上、記録終了」
椅子の背に体を勢い良く預け、椅子がきしむ音を耳にしながら、シャイクは顔を憂いに曇らせた。 知ることは、知ろうとすることは果たして本当にいいことなのか。 いつだったか、知ってしまった事実に対して抱いた後悔を思い出して、シャイクは細く息を吐いた。 船に乗り組んで半月。一見友好的に見える乗組員に対して気を許すことが出来ず、未だに自分の身の置き所を見つけることも出来ずに、シャイクは徐々に膨らんでいく孤独感をもてあましていた。
「僕の気持ちなんて、誰にも分かるもんか」
ポツリと呟いて、了承を求める画面を点滅させたままのラークを見つめ、シャイクはひどく疲れたように顔を覆った。
「今までだって、誰も理解者なんていなかった。僕は…独りでも大丈夫だ」
狭い、殺風景な窓のない部屋がシャイクの眼裏に浮かぶ。 窓を模した硝子には、ホロフィルムが張られ、昼間は青空、夜は広大な宇宙を描き出す。 それは、決して手の届かないはずの場所だった。 でも今、シャイクはその手の届かないはずの宇宙にいる。 ここには、便利で情報だけは詰まった無表情で無機質で固くて冷たいロボットはいない。 そのロボットと同じぐらい無機質に自分を観察する視線もない。 それだけでいい。
「僕はもう、あそこから自由になったんだから」
これで、いいんだ。 シャイクは繰り返し、繰り返し自分に言い聞かせながら、誰もいない閉ざされた部屋の中で、静かに涙を流し続けた。
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