窓の外を見ると、そこにはいつも漆黒の世界が広がっていた。 夜空よりもなお深い、闇。 そこに散りばめられた幾千幾万の星々。 硝子のような、あるいは輝石の欠片のような星たちを見ていると、いつしか自分がどこにいるのか、誰なのかということはとても些細なことのように思えた。 その、砂粒のような輝きの中でひときわ鮮やかに輝く、瑠璃色の天体。 惑星、テラ。 手を伸ばせば触れられそうな美しい天体を、僕はたぶん、いつもずいぶん長いこと見つめていたんだと思う。 あの光景が作り物だと知っていても、ふと手を伸ばしたくなる衝動。 窓に張られたスクリーンが映し出す幻に、僕は。 あの頃からきっと、心のどこかで憧れていたんだと思う。
「あいつ、俺たちとひとつ違いだってさ」
「へー。それで、偉い偉い博士様か。史上最小の?」
辺りはばからずしゃべるその声に、シャイクは踏み出しかけた一歩を止めた。 また、あいつらか。 心の中でそう毒づいて、何事もなかったかのように再び歩き出そうとした。
「それにしても、5つだぜ、博士号。何かコネでも使ってるんじゃねーの?あいつの親、確か新設のチームの偉いとこかなんかにいたからさー」
「大体、あんなちびが18っていう時点で無理があるって。年さば読んでるんじゃないの?」
「いや、むしろ俺はあいつバイオロイドかなんかじゃないかって思うね」
ははは、そうだぜきっと。と、笑う彼らの声が一瞬遠くなる。 気がつけば、講義用データベースコンピュータを、指が変色するほど強く握り締めていた。 シャイクは顔を上げると、踵を返し、廊下を走り出した。 学生や教員が驚き、呼び止めようとするのも構わず、自分の研究室に飛び込むと、白衣を脱ぎ捨てる。 そのまま手近な機械や身の回りの品をバックパックに詰め込むと、部屋を飛び出す。 もう、一秒だってこんな場所にいたくなかった。 校内の空中ポートへと廊下を走り抜け、エアスクーターに飛び乗る。
「リューン、中央宙港ポートへ。ラーク、宇宙船乗組員求人情報をサーチ」
「「イエス、マスター」」
てきぱきとエアスクーターとウェアコンに指示を与え、シャイクは大学を飛び出した。 講義と授業、研究、全てを放り出して。
20分後。 中央宙港ポートに停泊する中規模商船が求人情報を出していることを突き止めたシャイクは、勢い良くその船内に乗り込んだ。
「なんだ、少年。見学ならお断りだ」
「僕はシャイク=アムダリア=ジャムシード、18歳。工学系の博士号を5つ持っている。僕を雇ってくれれば損はさせない」
「は?」
船長だという青年が、シャイクの言葉に、あっけにとられたように口をあんぐりと開けた状態で固まる。
「ちょっと待て、未成年?勘弁してくれ、俺は違法就労で捕まりたくない」
深々とため息を吐いてそう言った船長に、シャイクは詰め寄る。
「その件なら心配は要らない。僕の両親が、保障してくれるはずです。それに…僕は、あそこに戻るぐらいだったらこの船を乗っ取って犯罪者になったほうがましだ!」
シャイクが叫んだ声を聞きとがめたのか、船の乗組員らしき人物が顔を覗かせる。
「キャプテン?」
魅惑的な声と共に、ふわりと淡い金の髪が広がる。 白い秀麗な顔に浮かべられた柔らかな微笑と、曇りのない空色の瞳に、シャイクは一瞬状況も忘れて見とれた。
「ヘルマ、この少年が乗組員として乗船したいと言って聞かないんだ。どうしたものかな」
「ご両親の了解は?」
「まだだ」
「了解さえ取れれば、問題ないと思います。検索を掛けましたが、身分もはっきりしていますし。ラグーア中央大学の最年少研究員ですよ。一部では相当な有名人です」
「そんなに偉いセンセイだったのか」
ヘルマと呼ばれた人物がすらすらと彼の素性を述べるのを聞き、船長はため息をつくと、もう一度シャイクのことをしっかりと見直した。 そして、やれやれ、というように首を振る。
「そういえば、ケイ・ホスロウ=アムダリア=ジャムシードと仰る方から通信が入っています」
「僕の兄です」
ふと、思い出したようにそう告げたヘルマの言葉を継いで、落ち着き払ってそう言ったシャイクに目線をやり、船長は肩を落とす。
「悪いがヘルマ」
「ええ、わかっています」
おっとりと微笑むヘルマを後に残し、船長は通信室へと消えた。 その後ろ姿を目で追ってヘルマに視線を戻し、少し落ちつかなそうに姿勢を正したシャイクのようすに、ヘルマは改めて微笑んだ。 まるで花が開いたような、という表現がここまでぴったりと当てはまる笑顔は珍しいだろう。 どこか華やかな印象があり、同時に何とも言えない暖かさも感じさせる笑顔。 シャイクは放心したようにただじっと、その笑顔を見つめていた。
「初めまして、私はヘルマフロディテ。皆様はヘルマとお呼びになります。どうぞお見知り置き下さい」
ヘルマは見つめられることに慣れたようすで、柔らかな微笑みを崩さぬまま、シャイクに優雅な物腰で挨拶をする。 こんなに綺麗な人が本当に存在するのか、と、シャイクはヘルマの仕草や表情を見ながらぼんやりとそう思った。
「僕のことはご存知ですよね、ヘルマさん」
「はい、存じ上げております。失礼かとは思いましたが、先ほど調べさせて頂きましたから」
柔らかな物腰で礼を尽くして接するヘルマに、シャイクはふと、顔をほころばせた。 和やかな雰囲気が流れる。 と。そこへ、船長が入ってきた。 2人の様子を一瞥して、安心したように小さく微笑む。
「お兄さんから了解を頂いた。シャイク、君の乗船を許可する」
「はい」
「俺はこの船の船長、キャプテン・ラス。まぁ、色々呼ばれてるがキャプテン、と呼べばいい。この船の中ではそれで通じる」
そう告げると、船長はいったん座ったソファーから再び腰を上げた。
「本船は30分後に惑星ティスローに向け、出向予定だ。それまでに多少のことを教えるから、一緒に来い」
「はい、キャプテン!」
「いい返事だ。…ヘルマ、手続きを頼む」
「分かりました」
シャイクの歯切れのいい返事に、2人が目を細める。 ヘルマに指示を出すと、船長はシャイクを促して応接室を出た。 廊下にある窓の外には、ポートの硝子越しに宇宙が見えた。 本物の、宇宙。 シャイクはその向こうにある星の光に、そっと手を伸ばした。
そして僕は、漆黒の宇宙に船出する。 日常を、僕を縛る世界を逃れて。 どこまでも遮るもののない、星の海へ。
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