今年は珍しい事に、クリスマスが終業式だった。 ロマンチックな生徒はこのコトをとても嬉しがっていた。
だが僕の心は、寒々とした空同様、どんよりと曇っていた。 三学期は大学受験。 この冬休みは勉強のために缶詰にならなくてはいけない。それに…
大槻さんの姿をまた暫く見ることができない。 彼女に「好きなヒト」がいると知った今でも、僕は大槻さんが大好きだった。 しかし、前よりももっと、自分に自信がなくなっていた。
彼女は「好きなヒト」に、もう告白したのだろうか?大槻さんが思いを寄せている「ヒト」はどのくらいの人間なのだろう?僕はずっと気になっていたが、知る術は無かった。
相変わらず眠気を誘う式が催され、相変わらず伸びていない成績が記された通知表を貰い、相変わらず退屈な「冬休みの諸注意」が述べられた後、放課となった。
僕は一人、昇降口に向かう。外は静かで、風一つ吹いていなかったが、大気中に放たれた冷気は、厚いコートの下にまで浸透していた。
「赤西君、また来年!良いお年を!」
後ろから星野さんが話しかけてきた。僕は笑い返し、「星野さんもね。」と返事する。
星野さんは自転車置き場に向かって走っていった。 後ろを振り返ると、大槻さんが扉から出て来た。黒いコートに、水色のマフラーを身につけた大槻さんはやっぱり可愛かった。
「赤西君、勉強頑張ってね。応援してるから!」
彼女は僕の近くに来て、ニコリと微笑んだ。 僕はパッと赤くなった。
その笑顔が高校一年の夏祭りの時に見た、「あの」笑顔とそっくりだったからだ。
小さなエクボが浮き出るあの笑顔。 鼻血まみれになった僕に向けてくれたあの笑顔。 更にヒドくなる出血を止めようと、必死になっている僕を優しく見守ってくれていたあの笑顔…。
「ミツ、行くよ!」
星野さんが自転車に乗ってやって来た。 大槻さんは「それじゃあまた来年!良いお年を」と言って、星野さんの後ろに乗り込んだ。
「ちょっと待って!」
いつの間にか僕の口からこんな言葉が出ていた。
二人は驚いて振り返る。
「大槻さん、ちょっと話があるんだ。」
僕の口は、僕の意志に関わらず、勝手に動いている。 ちょっと待て!何を言おうとしてるんだ?
「大事な話なんだ。」
星野さんが何かを悟ったらしく、にやりと笑う。大槻さんが自転車の二台から降りる。
「さてと、邪魔者は退散しときますかねぇ。ミツ、またね。」
星野さんは笑いながら、大槻さんに話しかけた。 そして、 「赤西君、頑張んなよ!」
と言ったかと思うと、彼女は走り去った。
僕と大槻さん、その場に二人が残った。
一瞬の沈黙。 空気はもの凄く冷たく、僕は震え始めていた。
「話って、なに?」
大槻さんが優しく尋ねてきた。
「実は…」
さっきまでひとりで勝手に喋っていた口が、何故か今は動かなかった。 変な所だけ出しゃばって、肝心な所で動かなくなるなんて…。 自分の口ながら、ホントに頭に来るヤツだ。 しかし、反面、僕はこの「口」に感謝していた。彼女の笑顔に突き動かされたこの「口」が、とうとう「キッカケ」を作ったのだった。
僕は少し間を置いて話しだした。
「この通り、僕は不細工です。」
いざ喋りだしたは良いが、なんと言ったら良いか分らない僕はこんなことを先ず言った。
「それに僕は運動神経がとても悪い。」
次の言葉。僕の体は急激に熱を帯び始める。
「更に僕は背が低い。」
僕の体は火照っていた。特に顔と耳は凄かった。それなのに、僕の体は震えていた。
「僕は毛深くて、まるで猿人間みたいだよ。」
その時、またもやあの「口」が動き始めた。
「それに僕は汗かきで、人と話すのが下手で、すぐにどもって、優柔普段で、情けなくて、自分の思ったことも言えなくて、嫉妬深くて、寂しがりやで、意気地なしで…」
僕の「口」は、僕のありとあらゆる悪い所を並べ上げていく。
「…嘘つきで、お調子者で、機転が利かなくて…」
僕の「口」はやがて僕の私生活のことにも言及し始める。話のつながりもメチャクチャだ。
「…僕の部屋は汚くて、僕はトイレに言ったら紙を流さなくて、髪に付けるワックスは父親と共有なんて言うかっこ悪いヤツで、それから、それから、僕は家族で分けて食べる筈だったケーキを一人で食べちゃう様なヤなヤツだ。こんな、悪い所だらけで、他の人よりも凄い所なんて一つもない僕だけど!…」
「口」が止まった。 さんざん好き勝手言っておいて。 しかし、僕は分っていた。 「口」が勝手に動いた、と言ってもそれは結局僕の意志なのだと、いうことを。この後、なんと言うべきかも。
僕は鼻から息を吸い込んだ。そして言った。
「大槻さんを思う気持ちは一番です!」
沈黙が流れた。 恐らく時間にして本お一瞬だったのだろうが、僕にとっては終わりない時間に思えた。
「私ね…」
大槻さんが切り出した。
この始まり方。よくテレビで見る出だしだ。そして、たいがいこの後に続く言葉は…
「好きな人がいるの。」
ほら、やっぱりだ!所詮、僕なんか大槻さんの眼中に止まる筈がない。 しかし、今日の僕はあきらめなかった。 どれほど大槻さんの事を僕が好きか、本気で知ってもらおうとしていた。 僕は一気にまくしたてた。
「それは知ってるんだ。きっと、大槻さんの好きな人は僕より何倍も運動ができて、僕より何十倍もかっこ良くて、僕より何百倍も優しいんだろう。けど、コレだけは自信を持って言える。大槻さんを思う気持ちは、絶対に僕の方が強い!それに…」
僕は言い止めた。
何故なら、大槻さんが人差し指を一本立てて、僕を制したからだ。 彼女は笑っていた。
「私の好きな人って言うのはね…」
彼女の顔が赤くなる。 僕は少し不思議に思った。
「赤西雄飛君っていう名前なの。」
へ?
今、大槻さんはなんて言ったんだ? 誰の名前を言ったんだ?
僕は突然の出来事に混乱していた。 すると、大槻さんが大きく息を吸い…
「不細工で、運動神経が悪くて、背が低くて、まるで類人猿みたいに毛深くて、汗かきで、人と話すのが下手で…」
大槻さんはさっき僕が言った、僕の欠点を次々に並べていく。 「…家族で食べる筈だったケーキを一人で食べちゃう様なヤなヤツだ!」
大槻さんが息を継ぐ。
「…ってその人は言うけれど、私が感じているその子は、掃除の時間に毎日、ちりとりを渡してくれる優しい心を持っています。」
大槻さんは少し間を置いて続ける。
「それからその人は応援されると一生懸命になる、素直ながんばり屋さんです。」
大槻さんは更に続ける。
「またまたその人は、悪いヤツに私が襲われていると、全力で助けに来てくれる勇気のある人です。まぁ、あの時はちょっと勘違いしちゃったみたいだけどね。」
僕は何も言うことができなかった。 ただ、膝が、手が、足が、全身が震えていた。
「そして、何よりも!その人は私をすごおく好きでいてくれています!だから、私もその人のことをすごおく好きです!」
大槻さんは最後にこう締めくくった。 大槻さんの顔は赤かった。 が、彼女は笑顔だった。「あの」ステキな笑顔だった。
「…ありがとう」
僕は静かにそう言った。 大きな声で言いたかったが、どうしても声が出なかった。
「こちらこそ!」
大槻さんは元気な声で言った。 そして、
「一緒に帰ろう!」
と手を差し出した。 僕も手を出そうとしたが、その時、自分の手が、汗で濡れていることに気がついた。 あまりにも緊張していたからだ。
しかし、大槻さんはこう言ってくれた。 「私、全然気にしないから。」
僕は躊躇しながら、大槻さんの手を軽く握った。 何だか、余計に汗の量が増した気がした。 しかし、大槻さんは僕の手を優しくしっかりと握り返してくれた。
あぁ、本当に。本当に僕はこの人を大好きだ。
僕も彼女の手を力を込めて握り返した。
空からはちらほらと雪が降り始めた。
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