「では、御用がすみましたら、お知らせください」 「うん、わかった。ありがとう、ミセス・ヨーコ」 ミセス・ヨーコは、恭しくお辞儀をするとその場を立ち去った。 「さて・・・・・・」 僕はおじい様の部屋の前に立つと、ノックをする前に軽く深呼吸をした。 何だかんだいっても、少し緊張する。 だからといって、部屋の外にいつまでも突っ立ているわけには行かない。 僕は意を決して扉をノックした。 ――コンコン 「誰だね?」 「芹人です。ただ今、帰って参りました」 「・・・・・・」 「うむ、入りなさい」 「失礼します」 僕は、ゆっくりと扉を開いた。が 「お久しぶりです。おじい様」 「待ちわびたぞ、芹人」 僕は恭しく礼をした。 「まあ、そう固くなるな。好きなところにかけなさい」 「はい」 ――この人物が速水毅準男爵。僕の祖父である。 林海市の名士として各分野から尊敬されている人物であり、僕らの通う林海学園の学園長でもある。 対外的には柔和な姿勢を見せる祖父も、家族の前――特に僕の前では厳格であることが多い。 彼は、ボクを一人前の紳士に育て上げたいのだ。僕は、祖父の期待に応えているのだろうか?不安になることもしばしばだ。 「あれは元気だったか?」 『あれ』というのは、おじい様の娘、つまり僕の母のことだろう。 「母上ですか?ええ、相変わらずです」 「母上もおじい様のことを心配していらっしゃいました」 「あれが蚊?嘘をつけ。電話ひとつ、手紙ひとつよこさんクセに・・・・・・」 「母なりに気遣ってのことですよ」 おじい様はふん、と鼻を鳴らした。不機嫌、というよりは、どことなく嬉しそうな態度が見て取れる。 「まあ、いい。で、一ヶ月の滞在、どうだった?勉強になったか?」 「はあ・・・・・・」 僕は父と過ごした一ヶ月のことを思い出していた。 「・・・・・・ん?どうしたんだ。浮かない顔をして」 おじい様は、父上の業績ばかり見て、腹のうちまでは探ろうとしないから、知らないのだ。父上がいかに俗物か、ということを――。 「たまには父親と過ごすのもよかっただろう?あいつは頭がキレるからな。私ですら、ヤツから学ぶことは多い」 「お言葉ですが、おじい様・・・・・・・」 「ん?」 「ボクには正直、なぜ、おじい様が父上をそこまで評価するのかわかりません」 「ほう・・・・・・」 「今回、東京に行かなければならなかったことだって、おじい様には考えがあるのでしょうけれど・・・・・・僕には・・・・・・僕には疑問です」 「なるほど・・・・・・」 おじい様は、静かに頷いた。 「芹人・・・・・・」 「はい」 「お前から見て、あの男は――父親はどんな男に見える?」 「僕には・・・・・・」 僕は慎重に言葉を選びながら発言することにした。 「以前にも言ったかも知れませんが、僕にはやはり、父上は目先の利益だけを追い求めている人物に見えます」 「金の亡者・・・・・・だと」 「そ、そこまで言っていませんが・・・・・・」 でも、僕がおじい様に言っていることは、つまりそういう意味なのだろう。 「父は・・・・・・父上は、自分の事業の成功のことばかり考えていて、大局を見ようとはしていません」 「あれにはあれの良いところがあるのだぞ」 「だとしても・・・・・・僕にとって、父はただの俗物です。僕の目指すもの――紳士――では、ありません・・・・・・」 「ふむ・・・・・・」 おじい様は、なにを言うでもなく、ただ黙って頷いていた。 僕は、何か間違ったことを言ったのだろうか? 自問自答していると、おじい様がゆっくりと口を開いた。 「芹人・・・・・・」 「はい」 「お前、今、紳士・・・・・・と言ったな」 「はい」 「お前は『紳士』になりたいか」 「はい」 僕は頷いた。一流の紳士になることは、この林海市に住む上流の男子なら誰でも望むことである。 「では、真の紳士とは何か・・・・・・お前に説明することはできるか?」 「いえ・・・・・・」 僕は首を振った。 現段階での僕なりの解答を示すことも出来たかもしれない。 しかし、『真の紳士』というのは、おそらく、模索し続けてこその概念なのだ・・・・・・。 簡単に答えを出すべきではない。そう思ったのだ。 「そうか・・・・・・、そうだな。確かにそれは、私にも説明することは難しい」 おじい様は片眉をあげて、口の端で小さく笑った。 きっと僕の考えなど、筒抜けなのだ。 「芹人・・・・・・」 「お前は、ノーブレス・オブリッジという言葉を知っているかね?」 「・・・・・・はい」 ノーブレス・オブリッジ―― それはおじい様の口癖のようなものだ。 身分が高いものが背負わなければならない精神的な義務のこと・・・・・・と口で言うのは容易いが、実践するのは難しい。 貴族や上流階級(ジェントリー)に属するものたちは、常にこのことを念頭において行動しなければならないだろう。 「紳士――とりわけ、人の上に立つ者は常に広い視野で物事をとらえ、全体の幸福を考えていかなければならない」 「時には優先順位(プライオリティ)を考え、何かを切り捨てる決断をすることも重要だろう」 そうだろうか? そうかもしれない。 「あれには、そういったものを本能的にこなしてのける嗅覚のようなものが備わっていると私は考えている」 「そうでしょうか?」 「今は、わからずともよい。いずれ、お前にもわかるときがくるだろう・・・・・・」 「はい・・・・・・」 「長旅、疲れただろう。明日からは新学期も始まる。今日はゆっくり休め」 「わかりました」 僕は恭しくお辞儀をすると、おじい様の部屋を後にした。
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