やがて岩崎の運転する車は、我が家の前に辿り着いた。 「到着いたしました」 「どうぞ」 いち早く車を降りた蓮奈さんが、後部座席のドアを開けてくれる。さすがメイド長、こういう時の仕事は素早い。 「ああ」 僕は、車を出て、館を見上げた。 周囲の木々の香りが鼻腔をくすぐる。 ・・・・・・帰ってきたんだ。 たかだか一ヶ月程度の留守だったはずなのに、懐かしい感覚がこみ上げてきた。僕はなんだかおかしくなって少し笑った。 「桜美さん、荷物を出しましょう」 「はい、蓮奈さん」 「じゃあ、お兄ちゃん、私たち先に行っているね」 「ああ、僕も持つよ」 「じゃあひとつだけお願いします」 「うん」 僕は荷物を蓮奈さんから受け取ると、館に向かって歩き出した。 白鷺館――それが僕たちの住んでいる館の名前だ。正確には僕の祖父・速水毅準男爵の館、と言ったほうがいいだろう。 いつごろからこの館があるのか、僕は正確には知らないが、岩崎から聞いた話によれば、十九世紀―― まだこのあたりが日本の領土だった頃から建っている由緒正しい館であるらしい。 確かに言われてみれば威厳のようなものが、この館には存在するような気がする。 僕の気のせいかも知れないけれど・・・・・・。 「もう、お兄ちゃん。おそ―い!なにちんたら歩いているの?キョロキョロしちゃって。初めて来た場所じゃないんだから」 「ははは、ごめんごめん。なんか懐かしくてさ、ついキョロキョロとね」 「もう、蓮奈さんたち中に行っちゃったんだから・・・・・・」 「だから、ごめんって謝ってるだろう。一ヶ月ぶりの愛しいの我が家だ」 「んもう・・・・・・・でも、お兄ちゃんが帰ってきて良かった。あらためて、お帰りなさい」 僕は笑いながら館の扉を開いた。 「お帰りなさいませ」 扉を開けると、使用人たちが並んで僕を出迎えてくれていた。 東京での生活とのギャップに一瞬、たじろぐ。 「た、ただいま・・・・・・」 「お帰りなさいませ。芹人様」 家政婦(ハウスキーパー)のミセス・ヨーコが出てきて、僕を出迎える。 「ただいま。ミセス・ヨーコ」 彼女はこの館のメイドたちの管理を取り仕切る責任者で、こと家のことに関し ては、おじい様も彼女の意見を尊重する。 少々、怖くて融通の効かない面もあるが、皆から尊敬されているよい家政婦だ。 「留守中、問題はなかったかい?」 「もちろん、何ら問題はありませんでしたよ。芹人様もお変わりないようでなによりです」 「ありがとう」 「だんな様がお待ちです。荷物を置いた、すぐに旦那様のお部屋へ向かってください」 「うん、わかった」 「荷物な私たちが部屋へ運んでおきますよ」 「運びます」 「そう。じゃあ、そうしてちょうだい」 「わかりました、ミセス・ヨーコ」 「ありがとう、蓮奈さん、桜美」 「「えへへ。じゃ、行ってきます!」 桜美と蓮奈さんは僕の荷物を持って行ってしまった。 「では、こちらへ・・・・・・」 僕がミセス・ヨーコに促されておじい様の書斎へ向かおうとしたとき、置くからドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。 「おー、坊ちゃま。帰ってきなさったんですね」 「谷部・・・・・・」 「おかえりなさいまし」 「た、ただいま」 彼女は谷部。この白鷺間の厨房をとりまとめる料理長(コック)だ。 キッチンメイドだけは、ミセス・ヨーコではなく、女性につき従う。 「帰ってきたなら帰ってきたって言ってくださいよぅ」 谷部がそのふくよかな体で僕を抱きしめようとするのを、僕は慌てて避けた。 「む、坊ちゃま。どうして避けるのですか?」 キラリと谷部の眼光が鋭くなる。 「え、あ、いや・・・・・・」 背中にツゥーっと冷たい汗が伝わった。 「坊ちゃま、やり直しです」 「おぉ、坊ちゃま、お帰りなさいませ」 言いようの無い圧迫感に僕は身動きができず、 「むぎゅ・・・・・・ふ」 僕は谷部のふくよかな身体に包み込まれた。 「た、谷部、苦しい・・・・・・」 「ま、坊ちゃま、苦しいだなんて」 その声には不満の色が含まれていたが、とりあえず満足したのか、僕のことを解放してくれる。 「長旅でおなかがすいたでしょう、坊ちゃま?夕食まで時間がありますが、何か用意しましょうか?」 彼女はこの館の中では一番庶民的で気さくな人物が、僕のことをいつまでたっても『坊ちゃま』と呼ぶのが難点だ。 「ちょっとつまむだけのモノなら、今すぐにでも用意できますよ」 「あ、いや・・・・・・谷部。その・・・・・・」 「おなかはすいていない・・・・・・とおっしゃるんで?」 「そうじゃないけど、その・・・・・・」 「谷部さん、芹人様はこれから旦那様のところへ行かなければならないのですよ」 「そういうこと」 「あ、そりゃそうだわね・・・・・・」 「そ、そういうわけなんで、先におじい様のところへ行ってくるよ」 「じゃあ、土産話はまたゆっくり聞かせてくださいね」 「ああ、わかった」 「では、芹人様。こちらへ」 「はい」 一ヶ月ぶりに会うおじい様―。 『士、別れて三日になれば、即ち当に括目して相待つべし』というが、僕はおじい様の期待に足るだけの成長をしたのだそうか? 僕は崩れてしまった襟元を正すと、おじい様の書斎へと向かった。
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