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ジャングルーH 作者:yanase miho

第2回   1・進化の森(後)
 ・

 次の日、昼過ぎ、ソラはクロスケと一緒
に、カトーの小屋から数分のところにある湿
地に釣りに出かけた。自分は調べものがある
からといって、カトーがすすめたのだ。
 カトーの言った通り、ずぶずぶ埋まる泥の
道を行くと、長いクチバシの水鳥の群れが羽
を休めており、その向こうに粗末な小舟が一
双止めてあった。
 クロスケがソラより先に舟に飛び乗る。
 舟をこぎだすと、ひょろ長の水中植水がゆ
らゆらと流れになびいた。
 ほぼ真ん中で舟を止めた。
 釣り糸を垂れると、カトーが自慢するルア
ーは草の間に吸いこまれて見えなくなる。
「けっこう深そうだ……」
 一時間ほど待つと、強いあたりが来た。
 舟が揺れ、危なく落ちそうになりながら、
やっと釣りあげた。銀色の大きなうろこを持
つ、寸胴の、一メートルほどもある美しい魚
だった。
 もう一度、と、竿を振った。
 そのとき、ぐらりと舟が揺れた。
 その揺れかたは、さっきまでとはまるで違
う。船底を大きななにかがつついたような揺
れだ。
 相当に大きな動物が水中にいる……。
 日暮れ前には沼からあがるようにといって
いたカトーの言葉を思いだしながら、ソラは
急いで岸に向かって舟を漕ぎはじめた。
 しかしすぐに水面が小刻みに震えだし、激
しい水柱が吹き上がった。
「わあ!」
 あっけなく舟はひっくり返り、ソラとクロ
スケは水の中に勢いよく投げだされた。
 必死で水をかいて水面に顔をだしたが、巨
大な動物はソラの泳ぐ真下に不気味な影を作
っていた。
 やがて水面を分けて姿を現したものは、と
てつもなく大きな蛇だった。
 その体は全体が苔のようなものに覆われて
いるので本来はどんなものなのかはよく解か
らないが、大きな黒目ばかりのうるんだ目の
回りがゾウの皮膚に似ている。
 大蛇のはソラを捕らえて巻きついてくる。
もう終わりかもしれないとソラは思った。
「どうしてこんな所で……」
 大蛇はソラを岸へ連れて行こうとしてい
た。
 たぶん、陸にあがってから獲物を食らうつ
もりだ。大蛇は、ゴリゴリと、石を擦り合わ
せたようなおかしな低い音を響かせている。

 ばらばらにされた自分の骨の、泥の上に白
々と転がっている光景が目に浮かぶ。
 身動きできないまま泥の岸へ引きずり出さ
れたが、クロスケは尻尾をふってこちらを見
ている。吠えもしなければ敵意も見せない。

 なんて奴! と思った。人が目の前で首尾
よく夕食にされようとしてるってのに!
「……頼む、クロスケ、助けてくれ!」
 とぼけた笑い顔を殴ってやりたい、と思い
ながら、ふと気づいた。
 頼む、助けてくれ、だなんて、これは本当
に自分の言葉だろうか? 自分で護れない自
分なら死んだほうがましだ、と、いつも思っ
ていたはずだ。
 そして大蛇は、しかし、ソラをどうこうし
ようと言う気はまったくなかった。
 巻きつけた体を泥地の上で丁寧にほどく
と、また水の中へゆっくりと戻っていった。

 それだけではなく、流されてしまった小舟
を頭で器用に押して岸へ運んで来た。
 そして腰を抜かしたように座りこんでいる
ソラに顔を近づけると、こう言った。
「またね」
「…………」
 その声はすきま風のような音で、実際、大
蛇の口は動かなかった。鼻の穴から噴きだし
た息が、かすかに解かる程度の発音で、そう
言ったのだ。
 そして大蛇は、するするとまったく温和に
沼の奥へ消えていった。
 きつい冗談を聞いたような気分だった。そ
の空耳を忘れようと、ぶるぶると頭をふる。

 泥だらけの体を起こして舟をもとの杭に止
めた。釣りあげた魚もそのままに舟の中にあ
った。
「……なんなんだ、あいつは」
 ソラはシャツのすそをぐるりとひねって水
をしぼった。
 クロスケが相変わらず尻尾をふってへらへ
らしているたので、すこし力を入れてこずい
た。
 そして竿と魚をかつぎ、がくがくと笑う足
で小屋への道を歩きはじめた。
 近くの木の上でコノハズクが馬鹿にしたよ
うにブッポブッポと鳴きはじめた。

 ・

 小屋にはもうちいさな明かりが灯ってい
た。
 泥だらけになって帰ったソラを見て、すこ
しの間もおかずにカトーは笑いだした。
「……な、なにがおかしいんです! 今そこ
で、食われそうになったんですよ?」
 ソラはそういって、つい心のままにでてし
まった自分の言葉におどろいた。
 カトーはなだめるように手を動かしたあ
と、棚にあったちいさな器具を取りだした。

「まあまあ、これを聞いてみろ」
 そういって、その機械についているちいさ
な把手を勢いよく回しはじめる。聞こえてき
たのは、ゴリゴリという低い音だった。
「あっ、そう、この音だ! 僕を今、そこで
襲ったヤツの鳴き声……」
 カトーはうなずいた。
「大蛇のヘビスケだ」
 どうやら彼はどんな名前にでも「スケ」を
付けるようだ。「友達のようなもんで全然危
険なものじゃない。ただちょっと遊びたいだ
けなんだ。じゃれただけさ。昼間は寝てるし
最近は見なかったんで大丈夫だと思ったんだ
が、驚いたろう。いや、悪かった」
「……寿命が縮みました」
「そうだろうなあ。いつもはな、こいつを鳴
らしてヘビスケのやつを呼ぶんだ。ヘビスケ
はああ見えてもかしこい奴でさ。色々という
ことを聞いてくれるんだよ」
「ふざけた目をしていた……だからよけい恐
ろしかったんですけど」
 カトーは笑い、
「ソラスケ、お前さんは、わたしがここに居
る理由を知ってるか?」
 と、また急に真顔になった。
「……いいえ」
 ソラは濡れたシャツを脱いでカトーがよこ
したタオルで頭を拭いた。
「わたしは地域緑化計画が成されたこの土地
の動植物を観察しているんだよ。早くいえ
ば、学者さんだ」
 学者さんだぞ、と念を押して、
「で、この森の一番重大な事実は、動物の知
能が前に比べると非常に高くなったというこ
とだ。もちろん形態の変化もだが。驚くべき
進化といっていい」
「動物が進化を? しかし、緑化計画のため
に使った製剤はその逆の作用があると聞いて
ます。うたい文句だって、原始の森を、と」

「そう。だが、それはただの言葉の彩だ。い
いか、原始の森なんてできっこないんだ。原
始を求め製剤を撒いた。そしてうっそうとし
たジャングルが出来あがった。木や動物が本
当に昔の姿になったと思うか?」
「……それは、原始時代のものを知らないか
ら、解かりませんが」
「うむ。生きているものは、時間をさかのぼ
ることは絶対にないんだ、ああ、今のところ
はな。いいかい、生きていると言うのは時間
があっち方面に流れているから、そういえる
んだからさ」と方向を示す。
「原始化した異変種、といってこのジャング
ルの植物を紹介しています」
 カトーはカップに残っていた得体の知れな
いジュースを飲み干して、
「原始化した異変種! この言葉はまったく
矛盾に満ちている!」
「……はあ」
「異変種とは、新種のことなんだからな。原
始化とか原始の森、というのはただ以前のよ
うに繁った森と言う意味で、量のことだけを
いっていると思ったほうがいい」
 ソラはゆっくり飲みこむようにうなずい
た。
「では、大繁殖した新種、ということ」
 カトーはソラにも飲み物を注いだ。
「うむ。もし万が一、古代の生物と同じもの
がでてきても、それはやっぱり変化した結果
といえるし、たとえば退化という言葉だって
ひとつの進化の形なんだ。原始化なんて言葉
はどこにもないんだよ。解かるか?」
「……はい」
「ああ、まあいいさ。ただ、政府の目くらま
しを信用して動物や植物がむやみに単純で下
等なものになっているとは思わないことだ。
ここは、驚異に満ちた進化の森なのさ」
 と、ウインクして見せた。
「……あの大蛇も?」
「ヘビスケはわしの言葉を幾つも理解できる
しさ」声をひそめて「それにな、誰にもまだ
ナイショなんだが、あやつは喋れるんだよ」
ふ、ふ、ふ、と含み笑い「かわいいだろ?」

 ……なるほど。空耳ではなかったようだ。

「じゃあ、本当に遊ぶつもりで……。ああ、
そうか、クロスケは知っていたからなにもあ
わてなかったんだな」
 ソラがクロスケを見ると、不満そうな顔を
しているような気がした。「ああ、悪かった
よ、たたいたりしてさ」
 そうしてふと疑問を持った。
「人間は、同じところに住んでいて、その進
化の影響を受けないんですか?」
 カトーはいい質問だとでもいうようにうな
ずいた。
「まだ人間の変化は見たことはないから安心
しとれ。しかし、全く可能性がないとはいえ
ないだろうな。まあ適応ということならわし
は進化しとるがな、ははは、ソラスケ、とこ
ろでなにか釣れたのかい?」
「ああ、そうだ、大物を釣りましたよ」
 ソラは外に放ってあった獲物を見せた。
 それを見てカトーはしぶい顔をした。
「? ダメですか、これ」
「うん、いや、食べられることは食べられる
んだけどさ。ちいさいんだ、案外」
「ちいさい? こんなに大きいのに?」
「いいか、見とれよ」
 カトーはナイフで魚の腹を裂いた。
 すると中からはどっと水が流れだした。そ
してみるみるうちにぺたんとへなってしまっ
て、もう皮だけ。裂いた皮を開くと、中から
ちいさな赤い出目金のような魚がでてきた。

「チビスケという魚だよ、これが正体なの
さ」
 カトーはちいさな魚をクロスケに放った。
「これも前向きに努力した魚でね。身を守る
ために、偽造皮を使ってでっかい魚のフリを
するのさ」
「……他の魚の皮を利用して?」
「いや、自分で作るんだよ、結構利口な奴だ
けど、ぬか喜びさせやがる。もっとも今では
あの格闘を楽しんでいるんだけどさ。まあ、
そうがっかりするな。この皮は丈夫でね。役
に立つんだから」
 ソラはうなづいた。
 さまざまな動植物が、政府の撒いた製剤の
おかげで、途方もない速度で変化しはじめて
いる……。
 ソラの雇い主であるナカヤマ社長ほどの人
物でさえこの地に人間を一人しか送りこめな
かった理由もそのことと関係しているのだろ
う。
 事実を知ったソラはすこしおどろき、そし
てまた、自分の、他人に対する態度の変化に
もおどろいていた。
 それは自分らしくない表情や口を突いてで
る、必要以上に感情的な言葉だ。
 
   <IRIKAはどうしてそんなに彼のこと
が好きなのですか? K>
   <彼は私がなにをしようといつも冷静
で、おどろいて私を拒否したりしないし、そ
れに、彼は、どんな人にも恋をしないような
気がするから……かも。IRIKA>

 カトーに対する接しかたを思い返すと落ち
着かないような気分だった。話の途中で一度
そうなってしまうとその後もなにか連鎖的に
自分の表情がくるくる変わっていたように思
える。実際には、ほんのわずかな変化で、た
ぶん自分自身にしか解からないものだろう
が。
 ずっと人恋しく思っていたからだろうか、
それともカトーが、おかしな未知の場所でそ
れを受け止め暮らしている今まで会ったこと
のないタイプの男だったからか。
 よくは解からないが、自分は、他人に頼る
ことをはじめて望んでいるような気もした。

 そして……。
 もしもこの心が、ここに生きる動植物のよ
うに、新しいものに変化してゆこうとしてい
るのだとしたら……どんなにいいだろう。

(「2・空飛ぶニワトリ」へ、つづく)

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