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ジャングルーH 作者:yanase miho

第1回   1・進化の森(前)

 JUNGLEH 


(1)進化の森

 空はきれいに澄んでいる。
 もうすっかりジャングルと化したここは、
昔、ごく普通の住宅街だったはずだ。
 かつて電気を使っていた頃のなごりである
電信柱が等間隔で並んでいる。それはバナナ
ンの木の間からわずかに見え、道しるべにな
っている。
 電信柱に巻きついた名前の解からないツタ
をかきわけて、少年は腐りかけたちいさな標
識を読んだ。
「第6地区 S・city−H ……というと」
 彼の名は、ソラ。
 背中から汚れたリュックをおろして、粗末
だがそれしかない地図をだす。
 あたりを見回し、バナナンのよく熟した実
をひとつもいでから、どかりと腰をおろし
た。 バナナンの木はバナナの木を先代にも
つ亜種で、まん丸い実を重そうに実らせてい
る。この先、電信柱の道沿いにずっとこの実
がなっているのなら食料のかなりの足しにな
るだろう。 
 第6地区 S・city−H
 地域全面緑化計画が実行されてから、この
菱形の島はジャングル−Hと呼ばれるように
なった。
 S・city と記されているのは、ここがかつ
ては都市だったことを示している。しかし深
い緑におおわれた今はその面影はまったくな
い。
 このジャングル−Hには、撤退指示が出さ
れてからもそれを無視した十数人の人間が住
んでいるという。そのことをソラは出発前に
社の者から聞かされていた。
 その一人であるカトーという男と第8地区
で会うことになっている。
 ナカヤマ・バイオ社の話によるとその男は
やたら背の高い男だというが、それ以外の特
徴は知らされていない。
 しかしその名前に、ソラは変人の印象を持
つ。それは社の研究所にいる同姓の男がすこ
し変わった人物だからだ。
 さらに社からだした手紙は郵便伝所鳥を使
ってのもので、果たして届いているのか?
会えたとしてもどんな男なのか?
 いろいろと心配もあったが、まるで人影の
ないうっそうとした道を歩くうちに、たとえ
そのカトーがとてつもない凶暴な大男で連絡
さえ届いていないとしても、会ったとたんに
友達になれそうな気がしてくる。
 広い菱形の島に数十人しかいないとは解か
っていたが、歩きはじめてから五日目、ソラ
は今それを実感として感じていた。
 この一風変わった仕事は、ソラにとって最
後の仕事だった。
 彼の本来の仕事はナカヤマ社長の一人娘、
ナカヤマ衣里華のボディーガード。
 ソラの十八歳の誕生日に、希望通りこの役
目から開放されることに、一応はなってい
る。
 今は八月のはじめ、誕生日までの約一カ月
の間にこの仕事を片付けなければ退職金は半
減するだろう。半減ならまだいいのだが。
 深い溜め息をついてソラは立ちあがった。

 ひょいとバナナンの皮を背中の向こうに放
りだしてふたたび重い荷物をかつぐ。
 ぎぎーぎぎーぎっぎー 
 突然頭上でけたたましい鳥の声がした。
 ソラはもうほとんどそうなってしまった条
件反射で、汚れたジーンズの腰にぶら下げた
ホルスターから鳥餅銃を素早く引き抜いた。

 バナナンの、舟のような巨葉が揺れた。
 青すぎる空へ飛び立った鳥は、深紅の羽、
異常なほど長い尾。ゴクラクチョウの一種ら
しく、危険なビッグ・イエローではなかっ
た。
 一番警戒しなければならないビッグ・イエ
ローは、全身が黄色く、大型のダチョウ科の
鳥だ。飛べない鳥だが、まるでサルのように
身軽に木々を渡りあるき、動く物はなんでも
食する、もちろん人間も食する、節操の無い
雑食性だ。
 このジャングル−Hにきてから、もう何度
と知れず狙われ食われそうになった。
 この森にはそのほか、無数の、さまざまな
鳥が生息している。
 ソラがこんな場所に来てまでも探し求めて
いる鳥の名前は「カンザブロウ」。
 カンザブロウは、今ではペット・ショップ
でもなかなか手に入らないハシブトアカヒゲ
カラスという鳥だ。
 体の色は黒。クチバシの付け根から、赤く
長い飾り羽が気取った髭のように生えてい
る。
 そして普通はカーと鳴くが、カンザブロウ
の場合、多少の言葉なら知っている。
 特に「カーンちゃん」と呼ばれると、条件
反射的に、
「ハーアーイ、カンチャンデスヨウ!」
 と安物のロボットのように応える。まあ彼
はたまに、「ハアア、カーチャンデヨ!」と
省略して、ナカヤマ社長を笑わせることもあ
った。
 娘の衣里華からプレゼントとして送られた
カンザブロウは単なるペットではなく、社長
の、心を許せる唯一の大切な友なのだ。
 ……と、せめて、無理にでもそう考えなけ
れば、ばかばかしくてやっていられない。
 それにしても、このとてつもなく広大なバ
ードランドで、たった一羽の鳥を見つけるこ
となどできるのだろうか。あの大都会で、ホ
クロの位置しか知らない人間を探すよりも難
しそうな気がしないでもない。
 鳥餅銃をふたたびホルスターに戻して、ソ
ラは歩きだした。
 森は人間などに見向きもせずに、ひたすら
うっそうと続いている。
 この森にいると自分がまるで場違いな惑星
にでも来ているようだ、とソラは思った。こ
んな場所に長くいるときっと人間ではない他
の動物になってしまうのではないだろうかと
心配になるほどだ。
 自分の胸の中の声しか話す相手もいない。
その声を聞きながら足だけは機械的に、森の
ふっくらした腐葉土を踏みしめてゆく。
 しかし都会だって同じものかもしれない。

 自分の作った壁に囲まれて、自室から出よ
うとせずにいる。仕事も自室で済ませ、おか
げで企業ビルのほとんどが空家か、デリバリ
ー店の厨房か、病院やクリニックらしきもの
になってしまった。
 そんな都会もまた、人間を別の物に変えて
しまっているのかも……。
 そこまで考えてソラはため息をつき、そし
て笑いだしそうになった。
 なんてことを考えてるんだろう。
 その都会で、できれば永遠に他人になど会
わずにいたいと願いながら暮らしていたの
は、自分だ。
「あなただけ、愛している」
 と何度もつぶやく衣里華にさえ、口が鉛の
ようで、言葉にならず、自分のことをすこし
も説明できないでいた。
   <私がどんなにソラのことを愛してい
るのか解かりますか、Kさん? でもソラ
は、私に恋をしていません。私には、いった
いなにが足りないのでしょうね? IRIKA>

 それに、だいたい「愛している」って、ど
ういうことなんだ? 「好き」の最上級?
そんな説明では納得できない。もっと特別な
ナニカであるはずだから……あってほしいか
ら。
 街には言葉や情報があふれているが、けれ
ども、実際のところ、本当の話をする相手な
どいるわけではなく、この森と同じ。
 しかし、それでもこの森には都会にはな
い、いいところがある。
 それは、相手がいないことに変わりはない
のだが、どうしてか、自分の胸の中の声がよ
く聞こえることだ。……いや、自分の声では
なく、この森に住む風の声なのかもしれな
い。
 赤い刺のある蔓草が所々に増えだした。白
い花が咲いているのかと思ったが、よく見る
と花の形の殻をもつカタツムリだった。桜の
花に似ている。
 その日は、そこで眠ることにした。
 簡単な焚き火をおこし、携帯食の乾燥ビー
フスープを湯に浸して温め戻した。これが持
参した最後の食料だ。あとは自然に頼るしか
ない。
 わずかに冷えこんで来たようだ。
 焚き火に枯れ枝を足し、設置してある侵入
警報装置のオンを確かめて、眠りに落ちた。


 ・

それから二日後の、まだ明るさの残る夕刻
だった。
 ちいさな空き地のような場所で休んでいた
ときのことだ。
 不意に、周囲の空気が、今までとは違う響
きで自分になにかを語りかけてくるような感
覚を覚えた。
 寝転んでいたソラは半身を起こし、空を見
上げるようにして、風の流れに肌を澄ませ
る。
 風は、やわらかな旋律を奏でるようにソラ
になにかを知らせようとしている。
 ……なにかが、来る?
 そう感じた数分後、森の奥から正体の解か
らない音が聞こえてきた。鳥とも獣とも、ま
たなにか農工機械の動く音とも思えるような
おかしな音だ。
 タカ、タカ、タ、タカ、
 人? 人の声か?
 まさか。人などいるはずはない。あれは風
変わりな鳴き声の鳥かなにか……。
 音はしだいに近づいて来る。
 ソラは念のためにホルスターから銃を抜く
と、立ちあがってようすをうかがった。
 タカタカタカ、タ、タカタカタカ、タ

 音が茂みを駆け抜けるとちいさな鳥たちが
暮れかかった空へ飛び立ち、やがて正面のシ
ダの藪が割れた。
 そして身構えるソラの前にひょっこりと顔
をだしたのは、大きな黒い犬だった。
 銃をかまえながら、強力だとはいえそんな
鳥用の銃で野性の犬に対抗できるのだろう
か、とソラは考えた。
 犬とソラはしばらく睨み合った。
 おかしな音は犬の首のあたりから聞こえて
いる。
 灰色の透き通った目は狼のようだが長い毛
で覆われた体からは警戒心に混ざって好意の
ようなものが感じられる。
 それはさっき、風が教えていたものと同じ
やわらかさだ。
 タカタ、タカタ、ソソソ、ソラ、
 ……ん? 僕? 自分のことか? 
 犬の首には、レコーダーがつけられている
ようで、その音は聞きようによって、高田ソ
ラといっているようにも聞こえた。
 犬を見つめたまま、ソラは銃を下ろした。

 犬のほうも睨み合いにあきたのか、後ろ足
で無遠慮に首のあたりを勢いよく掻きむしっ
た。
 ソラはあきれたようにすこし笑った。
「来い」
 呼ぶと、犬は嬉しそうに尻尾をぶんぶんふ
り回しながらやって来てソラの前に礼儀正し
く座った。
 犬の首にはやはりちいさなレコーダーがつ
けられていた。機械を覆っていたと思われる
プラスチックカバーは半分がかけていて、体
長一ミリほどの赤色虫が中にびっしりと入り
こんでいる。
 アカイロと呼ばれるこの虫は、金属に集ま
る性質をもっていると聞いたことがある。
 そしてこのアカイロは貴重なスパイスでも
ある。辛く、またレモン果汁に似た酸っぱい
後味と独特の風味をもっていて、肉料理など
に添えられる柑橘類などの代用として使われ
る。
 大量の鉄屑をこのジャングルに持ちこんで
集めたら、かつてのコショーのように大金を
つかめるかもしれない。
 そんなことを思いながら、細かい機械の中
に入りこんだちいさなアカイロを取り除い
た。
 タタタタタカタソラ、タタタカタソ
ラ、ワタシハ、カトー、アーいや、この犬は
カトーではない。わたしが、カトーだ。
「カトー……」おかしな男だ。
 おいらはクロスケ。
 続く声は高音になったが、カトーが声を変
えているだけだ。
 アー、いまのはこの犬のことだ。
 アーサテ、君がソラならば、クロスケ
に自分の名前を名乗り、「出発だ!」と命令
すること。デハ、のちほど。タタタタタカタ
ソラ、タタタ──
 そしてまたカトーのメッセージは同じ文句
を繰り返した。
 とりあえず凶暴な男ではなさそうだ……。

「クロスケっていうのか、お前」
 そう言うと、じっと動かずに我慢して眠く
なってしまっていたクロスケは、それでも安
心したようにアクビをしてぶるぶると大きく
体を揺すった。
「……出発は明日の朝にしよう」
 繰り返すカトーの声を消して、ソラも声を
だしながら大きなアクビをひとつした。

 ・

 けたたましい鳥の鳴き声で目が覚めた。
 蛍光色のオウムの何羽かが頭上の木を揺ら
し、まだ冷たいままの水滴を地上にばらまい
た。
 ソラにしてはめずらしく、低血圧の人のよ
うにぼんやりした頭のまま不思議な風景を思
いだしていた。
 いったいこれは、いつの記憶なのだろう。

 まるでついさっき体験したような、同時に
遠い昔の思い出のような記憶。しかし現実味
に欠ける記憶。
 その風景は海で、ソラが実際に見たことの
ある海とはまるで違う美しい海だった。
 そこに男が立っている。
 漁師なのか、肩に銀色に輝いた大きな魚を
一本かつぎ、やがて歩きはじめる。潮風の中
で丸い太陽を自分の物のように頭上に乗せ
て、白い砂を歩く。
 ふいに男は立ち止まり水色の空を見あげ
た。
 一瞬、男の目を通して空が見えた。
 それは昼間の青空ではなく、それを透かし
た、その向こうに見えるはずの、濃紺に広が
る恐ろしいほどの星の夜空だった……
 夢だ。
 自分が信じられなかった。
「僕は、夢を見たんだ?」
 ソラは生まれてから今まで、一度も夢を見
たことがなかった。
 最近売り出された、安らいだ気分の夢を見
られる「スリーピング・キッド」をセットし
て眠ってもそれは変わることがなかった。眠
りの中で夢を体験することは自分にはそれこ
そ夢のように思っていた。
 もう一度思い返すと、すでに、数枚の、写
真のような風景でしかない。しかし、これは
確かに自分の頭で見た、夢……夢なんだ。
 この夢、そして日に日に風を聴けるように
なってゆく五感……。
 このジャングルの奥へと進むほどに、また
自分の心のどこかに進み入ってゆくようだっ
た。
 ソラは瞳を輝かせて、あたりの木々を見渡
した。この森に感謝したい。
 そう思って大木を見上げれば、偶然にも、
その葉がいっせいに陽を反射させて揺れはじ
めた。
 露のせいで湿っぽくなった荷物をかつい
で、ソラは仁王立ちになった。
 そして大きく息を吸いこむ。
 クロスケは正面に座ってソラの顔を見あげ
ている。
「よし。僕は高田ソラだ。クロスケ、カトー
の所へ出発」
 言葉が終わらないうちにクロスケは猛然と
走りだした。
「お、あっ、ちょっと待てよ!」
 クロスケのなぎ倒したシダの森の道をたど
ってソラも走りだした。
 時々大声でクロスケの名を呼ぶと返事が返
るので、犬は犬なりに距離を保って案内して
くれているらしかった。

 ・

 巨大なバナナンの木の群生する浅い谷を抜
けると、ちいさな廃墟のような木造の建物が
あった。
 入口には木彫りの大きなヒグマが、
「ようこそいらっしゃいませ。カトーの家で
ございまする」
 という、ヒグマにしてはやけに丁寧な言葉
づかいのプラカードを首に下げて立ってお
り、その横には受け箱のない、口のあいた板
だけのポストがあった。
 クロスケは開いた窓から家の中へ飛びこん
で、主人に客が来たことを知らせているらし
い。
 やがて、崩れそうな半開きのドアから、銀
色の髪の男が顔をだした。
 はたしてその男は、確かに背が異常に高か
ったがソラの想像とは違って、屈強な体格の
男ではなく、かえって貧弱といっていいほど
痩せていて、その歩きかたといい、まるで骸
骨が歩いているようだ。
 乾燥しきって立ちあがった銀髪が風にぼう
ぼうとなびいている。真ん丸い形の小さなサ
ングラスをかけていて、それは本当の目がち
いさく見えるほど度のきついレンズだ。
 男は、つかつかとそばに来てソラの挨拶の
言葉をさえぎって、
「よう、良く来た良く来た。さっそく飯にし
ようじゃないか、ソラスケ!」
 と、勢い良く言った。
「ソ、ソラスケ?」
「そのほうがいい感じだろう!」
 そう言い放ち、カトーは空の彼方に向かっ
て豪快に笑う。
 そのままずいぶん長い間笑っているので、
ソラもつられて笑いだしたが、彼はまた急に
真顔に戻った。なにか危険な鳥でも見つけた
のかと一瞬緊張したが、そういうことでもな
いらしい。
 その表情の変化がとても不思議なせいと、
度のきつい黒眼鏡とのせいで、ソラには彼の
年齢がよく解からなかった。笑顔になると二
十代のように見えるのだが、黙っていると初
老のようにも思える。
 澄んだ空に、むらさき色の郵便伝所鳥がの
んびりと団体で帰ってゆくのが見えた。
「さあ、ソラスケ、まず今夜はたらふく食っ
て、たらふく寝るべや」
 カトーは親しげにソラの肩を組み、あばら
家の中へと促がした。
 実に、風通しのいい家だった。
 いかにも自分で作ったような木のテーブル
と、全部形の違う椅子が三脚置いてある。
「そっこらへんにでも座っとれえ」
 節をつけて歌うようにそう言った。
 そして金庫のような貯蔵庫から、肉の燻製
らしきかたまりをだして空中で起用に薄く切
り分けた。
 それから床に置いてあった川原にあるよう
な角のとれた丸い石を指差した。大きさはち
ょうど人の頭ほどのものだ。
「ソラスケ、その石をどけて縄を引きあげて
くれんかな」
 言われた通りに石をずらすと、床にぽっか
りと穴が開いていた。
 穴は深く、奥はまるで見えない。蓋になっ
ていたその石にきっちりと結んである縄は、
穴の奥の暗がりへと垂れている。
 縄を引いてみるとかなり重かった。
「カトーさん、これ、なんですか?」
「地下水を利用した冷蔵庫さ。まあ今に解か
るよ」
 カトーは乱雑の極みのような奥の部屋にひ
っこんでがさがさとなにかを探しはじめた。

 いきなりクロスケが穴の奥に向かって吠え
だした。すると体をのけ反らせてひょこりと
戸口から顔を見せ、
「おい、もしかして、それ重いか」
「ええ、かなり重いです」
「そうか、あいつがいるんだ。驚いて手を放
すんじゃあないぞ、クロスケが上手いことや
るから」
 驚くようなものがあがって来るのだろうか
……。
 やっと、水の滴った籠が見えてきた。中に
はびんづめや、丸く黒っぽい大きな果物、青
い殻をした玉子などが入っていた。
 ほとんど穴の入口まで引きあげた時、その
黒い果物がもそもそと動いていることに気づ
いた。
「あっ?」
 それは勢い良く籠から飛びだした。ひょい
ひょいと跳ねて床の上を逃げてゆく。
 クロスケがちぎれるほどに尻尾をふりなが
ら追いかける。
 探し物の終わったカトーが、ソラの唖然と
した顔を見て笑った。
 クロスケがとうとう捕まえたその動物は大
きなもぐらのようで、イノシシのこどものよ
うな白い縞があった。
「見たことないか? チカウサギだよ。わし
らはウリウサっていってるけど。内地じゃ贅
沢品だべさ」
「チカウサギ……、ええ、高級品です。こん
な動物だったか」
 クロスケにくわえられたチカウサギは観念
したのかくったりしている。ソラは手を伸ば
してみた。
「触っても平気ですか」
「ああ。もう死んでるさ」
「えっ、もう?」
「そいつは神経質な奴でな、ちょっと噛まれ
ただけでショック死しちゃうんだよ」
 クロスケが床に置いてももう動かなかっ
た。
「明日はご馳走だぞ」
 カトーはすぐに手際よく、チカウサギの首
をはね、後ろ足をひもでくくって台所の窓に
ぶら下げた。
 カトーの横に座りおとなしく見あげていた
クロスケは、チカウサギの頭をもらうと嬉し
そうにくわえ、気取った足取りで外へでてい
った。
 カトーはアルミのカップに赤い飲み物を次
いだ。玉子は、割ると、まだすっかり固まっ
ていないゼリーのように、ほとんどそのまま
の丸い形で皿に落ち、その殻と同様に白身が
うっすらと青い。平たくてふくらみのないパ
ンは表面を火にあぶってある。
「さあ食おう、腹、へってるべ?」
「ええ、この二日間バナナンばかりで」
 飲み物はなにかの果実のジュースのよう
で、かなり酸っぱくうっすらと甘くほんのり
と酒のような気もした。
 カトーを真似て玉子をパンにのせて食べる
と、おどろくほど濃厚な味がした。玉子とは
思えない。
 塩は持ってきていたが、バナナンの甘い実
ばかりを食べていたので、塩気のある食事が
うれしかった。
 カトーは椅子の背にもたれて、さっき奥の
部屋から探しだした古いノートを広げた。
「さてと、んで、カラスだな? カラスが唯
一売られているのは、ヨーテーという山のふ
もとで開かれている、鳥市だ」
 ソラにノートに書かれたメモを見せた。
「鳥市(トリイチ)」と大きく書かれ、その
下には、そこで売っている品物が細かく記さ
れている。売られているのは鳥ばかりではな
かったが、そうとうな種類の鳥の名前も書き
こまれていた。
「まずはここに向かうんですね」
「うむ。どこからカラスを仕入れているのか
聞くんだ。普通はそうそう教えないが、親し
い娘がいるからさ。その娘がちょっと笑いか
けりゃ、誰だってたいていの事は教えてくれ
るさ、わははは」
 カトーは楽しそうに笑った。
「見つかるでしょうか」
 ソラの質問にカトーは答えず、
「美人だよ、その娘」
 と言ったあと、鼻唄にしてはよく響く低い
声で「第九」をがなりはじめた。
 ここから鳥市まではたいへんな距離があ
る。なにせ歩くしかないのだから。それを考
えるとソラはいよいよ長旅の覚悟をしなけれ
ばならないのだ、と思った。
「ああ、そうだ、鳥市にいるサンドって男も
一緒に行動するからな。頼りになるいいやつ
だ」
 カトーはそう言いながら、棚から、数枚の
大きな写真をだして見せた。「やつが撮った
写真だよ」
 ソラはそれに視線を落として、すこしぎく
りとした。
 よく見ると写っているのはどれもこの森の
不思議な植物なのだが、一瞬、それが人体に
見えたからだ。人間よりも生々しい感情が宿
っているように思え、なのに、どれもが妙に
鮮明な写真だった。
「なかなかいいだろう? しかしこの何年
か、やつがカメラを持ってるのを見たことが
ない。……ところで、ソラスケ」
 カトーは急に身を乗りだして声をおさえ、
ずらした眼鏡の奥の瞳を冷たい目つきに変え
て言った。「つけられてないだろうな」
「えっ」ソラは咄嗟に入口を見て「つけられ
て? 人、に?」
 カトーは鋭い目のままゆっくりとうなずい
た。
「はは……まさか、ありえません。それに、
こんなジャングルに僕以外、人なんか」
 カトーは、笑いながらそう言ったソラに、
顔をしかめて見せた。
「世の中に、ありえないことなどめったにな
いんだよ、ソラスケ。特にここではな」
「……ですが、僕はペットのカラス一羽探す
だけが目的で……あっ、もしかしてカラスっ
てそんなに貴重な鳥なんですか」
 カトーは近づけた顔をもとの位置に戻し
た。
「いいや。ま、珍しいことは珍しいが」
 そして肩の力を抜くと手をひらひらさせて
「いや、なんとなく聞いただけだ。まあ気に
するな。なんとなくなんだからさ」
 楽しんでいるようにも見えた。長い間人に
合わずに過ごしているせいで色々な事で楽し
みたいのかもしれない、とソラは考えた。
 だからそれ以上聞かなかったし気にもなら
なかった。なにより本当に、誰かにつけられ
たりする理由などないはずだった。

(つづく)

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Novel Editor by BS CGI Rental
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