たとえば、勉強中。 『なぁなぁ、ちょっと遊ぼうぜ〜』 幽霊と? 何をして? 私は辞書を片手に、明日の英語の予習をしている。初出の単語を調べて、ノートにまとめて、本文に訳をつけて。 『暇なんだよ〜。この部屋、テレビも何もないし〜』 自力じゃ本も読めない、パソコンもトランプもその他諸々にも触れないじゃ、確かにテレビ見るくらいしかないだろうね。 でも、だからって。 『ちょっとは相手してくれてもいいじゃんよ〜』 あんまりうるさいとね。 『なぁって。真智だってちょっとは休憩しないと……げふ』 ……定規でひっぱたきたくなったりも、するんだからねっ。
たとえば、学校の休み時間。 「え〜、うっそ〜」 私だって、休み時間は満喫する。 ちゃんと休憩しないと、疲れて授業中の集中力が落ちるから。 「ほんとだよ〜。それに、全身ピンクのおじさんを見たこともあるよ〜」 今日の話題は街で見かけたヘンな人。 「女装のおじさんなら、何回か見たことあるけど」 「女装してて、なおかつスカートがバスタオル巻いたモノってのは、ないでしょ?」 「うっそ! そんな人、いたの??」 「いたいた〜。カナちゃんと一緒に見たよ〜」 それは……見てみたいけど見たくないかも。 『オレ、全身タイツで……』 ばちっ! 『はぐうっ』 「? どうしたの、真智?」 突然定規を振り回した私を、友人たちは不思議そうに見ている。 「なんでもないよ。気にしないで」 ちょっとは気にしてくれと、苦悶するサトルの横で、私はにっこりと笑った。
たとえば、お風呂。 脱衣所で服を脱ぎかけ……なんらかの気配を感じて止まる。 「………………(怒)」 『どうしたの? お風呂、はいらないの?』 脱ぎかけの私の服を、触れもしないのにつんつんと突いているアホがいる。 「出て行け〜!!!」 『がふっ!』 定規でサトルを叩きだし、ようやく私はお風呂に入れた。 まったく、何が悲しくて、定規持参で入浴しなきゃならないのよ。 見えない幽霊に覗かれるのは、その存在すらこっちは認識できないから気にならないけど、思いっきり見える相手に見られて、平気なわけ、ないじゃないか。 ……ばか。
そんなこんなで、サトルとの生活が始まってから五日が経った。 今日は金曜日。 明日明後日と学校が休みだと思えば、気が楽になる一日だ。 私は体力に自信がないから、休日は必要不可欠なのよね。ずっと学校に来てると、疲れるから。授業は好きなのにな。 家を出て、今日もよく晴れた空の下を歩く。 そこで私はサトルを見上げた。 人がいる場所だと、うっかりサトルと目を合わせることもできないのよね。たとえ中空に向かって話さなくても、変な目で見られるから。 いくら幽霊で、いなくなってほしい相手でも、見えるものを無視し続けるのは難しい。だから、勉強もできない、人も少ない駅までの道は、サトルと話すことが多かった。 「ところで……あんたさ、なんか……薄くなってない?」 そうなのだ。ずっと気づかなかったけど、今朝起きて、何かおかしいと思ったの。 最初出会った頃に比べて、サトルの向こうがよりはっきりと透けて見える気がする。 毎日少しずつ、薄くなっていってるのかもしれないけど。 『…………』 間がある。 ……なんだろう、この間は? 「ねえ。どうしたの?」 『え〜だって、そりゃあさ。 毎日日にち、真智の勉強に対する妄執がつまった定規で叩かれてたら、そりゃあ存在だって薄く……』 べちっ! 「殴るよ!」 『殴ってから言うなよ〜』 だいたい、妄執ってのはどういう意味よ。 「殴られるのは、自業自得でしょ。私の邪魔はするなって言ってあるのに」 毎晩毎晩、性懲りもなく人のお風呂覗こうとして。 ……まぁ、お風呂以外のことでは、私、自分がこんなに手の出やすい質だとは思ってなかったけど。 ま〜、ここんとこ悩んでた肩こりや倦怠感がなくなって、珍しく元気が余ってるせいかもしれないけどね。 『いいじゃん、風呂覗くくらい〜。減るもんじゃなし……。 はっ! いや、嘘です! もうしません!!』 定規を構える私を見て、サトルは慌てて首を振った。 「今度やったら、シャーペンで刺すからね!」 もちろん、一番威力のきつい奴で。 『は〜……』 ため息をつくサトルは、ずいぶんと疲れているように見えた。 だけど私は、彼が撒いた種だと思い、気にも留めなかった。 この夜、私は今までの人生で一番後悔することになる。
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