それから一月。 カズトは正式に皇族の身分を離れ、ミナギリの総社の一室に住まい始めた。 その新たな住まいに初めて呼んだ客人は、タスクとユイナである。 この二人とはこの一月の間に三度ほど会っている。市井に知人のいないカズトにとって、この二人はかけがえのない友人だった。 ちなみに、その三度のうち、一度だけスメラが関わっていると思しき事件に巻き込まれた。幸い、すぐに事態は収拾できたけれど、ユイナが穢れにあたり、浄化が足りずにニ日ほど寝込んでしまった。 それ以外のスメラの事件は、報告されているだけで五件。うち一件で以前タスクが見た赤い衣の鬼女が目撃されている。 「それにしても、あなたがカズトの側仕えになってるとは思わなかったよ」 今日はクレハがお遣いでいないからと茶を淹れたミオに、ユイナが屈託のない笑みを向ける。 そのミオは、笑顔から逃げるように俯いた。 「………………」 「僕がお願いしたんだよ。 どうせなら、綺麗な人の方がいいしね」 いつもの穏和な笑みを浮かべ、カズトが湯飲みに口を付ける。 ミオの淹れる茶はいつも量ったように正確に、同じ味である。 「……お会いしたのは一月も前なのに、覚えておいでだったのですね」 本当は隣の控えの間に引っ込んでいたかったのだが、カズトに茶話会に加わるように言われているので、ミオは仕方なく口を開いた。 「そりゃあそうだよ。っていうか、ミオだって覚えてるじゃん。 そうだ、会ったら聞こうと思ってたんだけどさ。あのとき、どうして聖水を用意できたわけ? 鼠が出てくる前に取りに行ってたわけでしょ?」 「それは…………。 穢れの気配を感じましたから。私では、祓うことはできませんし」 「てか……気配感じるだけ、すごいと思うんだけど?」 祝(はふり)である以上、祓えはまだ教授されていないという点は同じである。そして普通、穢れなど目に見えるものではない。鼠や水柱のときのように、穢れが具現していればそれと判る。けれど、顕現する以前にその気配を感じ取るなど、よほど鋭敏なシックスセンスの持ち主でなければ無理だ。 「そうだね。ミオはもっと、優れた術士になれるはずだ。 術が使えないのは、気持ちの持ちようの問題だと思う。 ……なんて、僕が人に言えることじゃないか。ごめんね、余計なことを言ってしまった」 「いえ。お気になさらないでください」 「………………」 表情を変えず、淡々と受け答えするミオを、ユイナはじっと見つめた。 ミオは今のままでもクールビューティといった風情で、良くできた人形のように美しい。でも、彼女は笑えば庶民には稀に見る華やかな美貌の持ち主になるのではないか、と思うのだ。 けれど、いつも何かを押し殺すかのように、表情を変えず、目はやや伏せがちにしている。もったいないことだと、思う。 「ところで、外出は自由にできるのか? せっかく堅っ苦しい身分から解放されたんだ。羽根伸ばせないとつまらねえだろ?」 タスクにかかれば、皇族の身分も自由な行動を阻害する重しでしかないらしい。 いかにもタスクらしいと思い、カズトもユイナも内心苦笑を浮かべた。 「うん。完全に好きに歩き回るわけにはいかないけれどね。誰か供を連れて行かなければならないとか、予定の時間までに帰れなければ大騒ぎになるとか」 「門限つきってのは、ちっと邪魔だな」 タスクは仰々しく腕組みをして、天井を睨みつけた。 問題にならない程度にカズトを遊びに連れだす計画でも練っているのだろう。 「門限って……ちょっと違わない? でも、そりゃあそうよね。何かあったら大事だもん。いくら形式上の身分はあたしたちと変わらないっていったって、誘拐すればいくらでも……。特に最近、物騒だしさ」 幼なじみに軽いつっこみをいれておいてから、ユイナは真面目な顔で卓を囲む友人の顔を見回した。 カズトはもちろん、ほとんど初対面のミオも、彼女にとってはもう立派な友達である。 「スメラのことかな? たしかに、彼の存在は厄介だね。せめて僕が、肩書き並の能力があればスメラが広げる穢れも問題ないのにな」 カズトは肩書きでは宮司と同格なのである。禰宜(ねぎ)以上だから、本来ならば祓えのできる位である。だが、元皇族の身分だけでその地位に収まっているカズトには、その力はない。 「ん、ああ、スメラのことももちろん問題だし、ヤツが一番厄介なのも確かなんだけどよ。最近、西土がきな臭いらしくてな」 「西?」 西と言っても真西ではなく、北西あたりの地方ことを西土と呼ぶ。 昔より朝廷とは折り合いが悪く、騒動の絶えない土地でもあった。特に、百年前のある事件をきっかけに、今に至るまで苛政を敷かれているのだ。 「うん。武器を集めているって噂があるみたい。ただの噂かもしれないし、噂を口実にまた西土を攻めて力を削ぐ気かも。 ……イズタカ親王の乱から、もう百年も経つんだし、許してあげればいいのにね。いじめられるから、反抗しようって気にもなるんだろうし」 前述したある事件というのが、このイズタカ親王の乱と呼ばれている事件だ。 当時の尊皇(たかみ)の親王の一人が、帝位を求めて反乱を興した。乱自体はほどなく鎮圧できたのだが、敗走したイズタカは西土へ身を寄せ、再起の時を待ったという。 けれど数年の後、結局は朝廷軍に攻められ、西土は降伏し、イズタカは朝廷が軍を退く交換条件として海に入水し、自ら命を絶った。とはいえ、反逆者を匿った罪で当時の西土の首領は斬首され、現在に至るまで、他地方の倍に近い税を課せられている。 とても軍備を増強できる余裕などないはずだが、今再び、西土が朝廷に剥ける牙を研いでいるというのか。 「まあ、政はそう単純なものではないからね。他の地方に、こんな目に遭いたくなければ余計なことは考えるな、という見せしめの意味もあるし。西土はもともと朝廷に反抗的な土地柄だから、力をつけさせたくないんだろう」 カズトが眉を曇らせる。 この元皇族にとっても、西土の問題は心痛める事柄なのだろう。 「っていっても、尊皇陛下でなければ、アマツヒルメノカミ様はお祀りできないんだし。太陽神のご加護がなければ、このクニは穢れに飲まれて滅びちゃうんだよ?」 ならば朝廷に対して反乱をおこすなど愚の骨頂だと、ユイナは思う。 「古来には、尊皇以外にも太陽神を祀る一族がいたという話もあるんだよ。もっとも、そうと騙っているだけのインチキだという説が主流だけれど。 彼等が祀っていたというカミの名も、アマツヒルメノカミではなく、他の名前であることが多い。名称が違うだけの同じ神格なのか、別の太陽神がいたのか、適当なカミをでっちあげて祀るふりをして人心を集めようとしただけか、今となっては確認のしようがないけれど。 ともかく、今そういう人たちがいないのは、偽のカミを祀る、太陽神の祭司を騙る、そういった理由で討たれていったからなんだ。朝廷を快く思っていない地域があるのは、その経緯で好ましくない事態が生じたから……だね」 カズトは言葉を濁したが、どういうことなのかはタスクたちにも漠然とだが推測できる。 しかし、過去に何があろうと、今現在、この世界を支えているのが尊皇の祀りであることには変わりがない。今の皇族を廃して得られるものは世界の破滅のみだ。 「面倒な話だよな。 ……つか、すげー話がずれてないか? 俺は、どっかに遊びにいけねえかなって思ってたんだよ。供がいるってんなら、俺達がいれば問題ないだろ? ミナギリじゃないとダメってんなら、ミオがいるし。 後は門限までに帰れれば問題ねぇんだな? 一度、都の外に遊びに行くのはどうかって思ってたんだが……」 ピクニックの計画で盛りあがる一同の会話を意識の表層で滑らせつつ、ミオはずっと黙考していた。 何か胸騒ぎがする。 先程までの会話が何か引っかかっているのか? それとも、彼女を何かの目的のために死から救い、生かしている神からの警告か。 いずれにせよ、よからぬことが起ころうとしているのは間違いがない。 それは、一月前から判っていたことだ。 カズトに初めて出逢った、あの日から。
カズトの部屋を辞し、タスクとユイナは夕焼けに赤く染まった街を家路についていた。 「あまり遠出するのは無理だからな」 「まだ、考えてたわけ?」 こういうときしか見せない幼なじみの難しい表情に呆れつつ、ユイナも何かに思いを巡らし、そして何かひらめいたようだ。 「ね、ね! カズトってさ、こっちに知り合いも友達も全然いないわけじゃない? ミナギリの主立った人達はよく顔をあわせるだろうけど、友達になんてなれっこないし。ミオだってミナギリの中じゃ浮いてるから、彼女から同年代のミナギリと知り合うのも難しそうだし」 「お? あぁ、まぁ……そうだな」 いわれてみれば確かにそうだ。 カズトの居室は、一介の祝(はふり)程度には入れない一角にある。タスクたちだって、カズト自身が招いてくれたからこそ入れたのだ。 彼の身の安全が第一とはいえ、あまりにもなVIP待遇は息が詰まるだろう。それとも、カズトのような雲上で生まれた人間には、それが普通のことなのだろうか。 「だからさ、今度ね……」 ユイナの耳打ちを、タスクは何度も頷きながら聞いていた。
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