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まほろままぼらふ 作者:黒木美夜

第3回   穢れ
 試合が終わった会場は人が減っていくものだ。今更ながらこの場を訪れた少女に、タスクたちの視線が集中する。
 その少女は、幽霊でも見たかのような表情で彼等を見つめ、立ちつくしていた。
「おぉ、びっじ〜ん……んぎゅっ!」
 鼻の下を伸ばしかけたタスクのつま先に、ユイナの踵がねじり込まれる。
 少し嫉妬を含んだ目で、ユイナもその娘を見た。
 腰まである癖のない長い髪を後頭部で結っている。切れ長の目、通った鼻筋、薄い唇と、少し冷たい印象を与えがちだが、たしかにタスクのいうとおり、美少女である。ただ、元から白いであろう肌の色が、白を通り越して青い。
 少女は、深々と頭を下げ、その姿勢のまま後ずさり、見えなくなった。
「……なんだったんだろうね、彼女?」
「衣装から察するに、ミナギリのようだったけれど」
 頭をひねるユイナと同じようにカズトも首を傾げる。
 貴族がショールとして肩にかける領巾(ひれ)には、波を起こす呪力があると信じられ、水の神、特に海神系の水神を信仰するミナギリに霊具として好まれる。
 その領巾をーーもちろん貴族が使うものとは違い、絹ではなく木綿か麻で作ったものだろうけれどーー先ほどの少女は腰に巻いていた。平民のミナギリの娘がよくやるファッションだ。
「今の、ミオじゃない?」
 会場に残っていたミナギリたちが囁く。
「謹慎を申しつけられてたはずだけど……」
「会場の片づけを命じられたんじゃないか? 雑用はそつなくこなすから」
 ミナギリたちの口調にはわずかな嫌悪がにじんでいる。
「ねえ……さっきの子、知ってるの?」
「ん? ああ、さすがに、他の神団までは届いてないか、〈偽巫(にせかんなぎ)〉ミオの噂。
 子供の頃、カミの……たしか、タマユラヒメノカミ様だったかな。声を聞いたとかで、十五年ぶりの巫(めかんなぎ)だって大騒ぎしたのに……神降ろしどころか、術も使えない出来損ないだったって話さ」
「この間も、六人がかりの術が彼女のせいで失敗して、謹慎中なの」
 巫は神をその身に降ろすことのできる女性神官のことだ。男であれば覡(おかんなぎ)と呼ばれる。神事のおりの巫女とはまた少し異なるものだ。特異な才能が必要で、各神団とも十年から二十年に一人現れる程度の希有な存在だ。
 巫覡(かんなぎ)は一般の術にも優れているのが通例なので、術を使えないミオは、期待されたぶん関係者の落胆は大きかったことだろう。それこそ、疎ましく思われるほどに。
 とはいえ。
「……なんか、やな感じ」
 知らない人間が悪く言われるのを聞いて、ユイナとしてはあまり気分がよくない。もともと、悪口だの愚痴だのといったことは、あまり好きではないし。
 彼女が崇める風は、音を運ぶものだ。
 音は声として、音楽として、人をつなぐもの。悪しき思いを込めた言葉は、風を穢す。
「まあ、いろいろあるんだろ。事情を知らない俺達が口挟む問題じゃねえって」
「……うん」
 そんな幼なじみをよく知るタスクは、軽く彼女の肩を叩いた。
「………………」
 二人をじっと見つめるカズトに、クレハがそっと寄り従う。
「カズタカ様?」
「ああ、頼むよ、クレハ」
 それまで浮かべていた穏和な笑みを消し、無表情にカズトは応える。クレハはそっと主の側を離れた。
 その目の前で、幼なじみを気にかけていたはずのホヅキの少年がぽんと手を叩いた。
「〜と、そうだ、それより」
「なんだい?」
 タスクが振り返ったので、カズトは慌てて笑みを繕う。
 その不自然さに気づかない様子で、火の神に仕える少年はぎこちなく頭を掻いた。
「ええと、本当に……平伏さなくていいのか? いや……い、いいんですかい?」
「……タスク、それ、敬語になってないよ」
 ユイナはとほほと項垂れた。
「ああ、敬語もいいよ。慣れないことをさせるのは忍びないし……対等な存在だと思ってもらった方が、僕も気が楽だからね。
 そうだ、僕は街のこととか全然知らないし……機会があれば案内してくれると嬉しい」
「お? おう! 任せろよ!」
 一瞬戸惑ったものの、タスクは胸をどんと叩いた。
 基本的に、誰かに頼られるのが好きなのである。
「まったく、調子のいい……ん?」
 何やら寒気を感じ、ユイナは周囲を見回した。
「どうした?」
「わかんない……けど。
 っ!」
 何かを察し、ユイナが祭壇を振り返る。
 その影から、大量の鼠が溢れでた。
「きゃあああ!」
 後から後から際限なく出てくる真っ黒な鼠。
 鼠は根棲の意味と言われ、根の国(死者の棲む国)の生き物とされる。
 死者の穢れに触れ、それを地上に媒介し、死と病を広げる元凶とも言われる。
「とにかく、やるぞ!」
 タスクは武器を手に取った。
 先ほどまでの試合用のものとは違う、実戦用の神聖武器だ。
 一見鉄を巻いただけのただの棒だが、念じれば炎の穂先が現れる。
 振るわれた炎に焼かれた鼠はじゅうと音をたて、蒸発していく。
「こいつら……!」
「妖(あやかし)ね?!」
 ユイナは矢も番えない弓を引き絞る。
 放てば、不可視の風の鏃が鼠を穿ち、その肉体を塵へと化していく。
「だが、何故こんな場所に妖が?」
 カズトの握った柄から水が凝った刀身が姿を現す。小さすぎる標的にリーチの短い刀は戦いにくそうだが、それでも背後にクレハを庇い、鼠を撃退していく。
 妖は穢れから生じる。
 神座(かみくら/神の宿る場)として浄化されたこの場所に、妖など踏み込むことすら許されないはずなのだ。
 他の会場に残った人々も、それぞれに武器を持って戦い始めた。
「だけどキリがねえ……あ!」
 討ち漏らした鼠が会場の外へと向かっている。
「ユイナ! 壁を! 奴らを逃がすな!」
「うん!
 風の壁よ!」
 ユイナが扇を一閃させると、激風が鼠たちの進路を塞ぐ。
 が。
「何匹か漏らしたぞ!」
 誰かが叫ぶ。
「わかってる!」
 弓を引きながらユイナが駆ける。
 風の壁は彼女自身は阻まず、ユイナはすぐに鼠を追えた。
「!」
 だが、慌てる必要はなかったようだ。
 先ほどのミナギリの娘・ミオが、カズトと同じ刀を手に、鼠を切り伏せていたのだ。
「それで、全部?」
 ユイナが声をかけると、ミオはびくりと顔を上げた。が、すぐに俯く。
「ええ……」
 ただ、ユイナから目を逸らせたわけではなく、腰に結んでいた竹筒をほどこうとしただけのようだ。
「これを……穢れの源にかけてください」
「え? うん?」
 いや、物を渡すときでも若干ユイナから視線を外しているので、目を合わせたくないのかもしれない。
 ともかく、渡された竹筒は思ったよりも重く、栓がされているので中は見えないが、ちゃぷんと揺れる音がした。
「これ、聖水? これを取りに行ってたの?」
 神に仕える身といっても、とくに浄化に特化したミナギリでも、禰宜(ねぎ)以上でなければ穢れを払う術は教えられない。だから武器でちまちまと倒すしかないのだが、聖水があれば誰にでも穢れを払うことができる。
「ええ。気配を感じましたから。
 ……それより、急いだ方が……」
「あ、そうだね! ありがと!」
 ユイナは軽く手を振って、再び風の壁を越えた。
「げっ!」
 退治が及ばない速度で増え続ける鼠が、床全体を埋め尽くし、壁をも覆おうとしている。
 これではとても、祭壇まで近づけない。
「タスクーっ!」
 幼なじみの名を呼ぶと同時に竹筒を投げつける。
「ん? ……のわっ」
 鼠の群れを燃える穂先でなぎ払っていたタスクが、驚きながらも見事にキャッチしてみせる。
 これはなんだと問うどころか、疑問に思う暇すらなく、ユイナの声が響いた。
「それ! 鼠の発生源に撒いて! 早く!」
「お、おう!」
 何がなんだか判らないまま、タスクは言われたとおり、竹筒の栓を抜き、中身を祭壇の裏にぶちまけた。
 パリーン……
 何かが砕ける音がして、同時に周囲の鼠たちも消えていく。
「終わったのか?」
「みたいだね。大きな怪我とかした人がいなければいいけれど……」
 タスクとカズトは周囲を見回した。小さな噛み傷を無数に負っている人はいるけれど、致命傷となるような怪我はなさそうだ。
 ただ、穢れは気枯れともいい、気枯れるとは気、すなわち人の生きる活力を失うことだ。だから、穢れに触れた傷は、あとできちんと清めなければ病を招く。
 もっとも、その基本を知らぬ人間は、この場にはいないはずだけれど。
「問題ないようだね。よかった」
「お? ああ、そうだな」
 よかった、と呟くカズトの声がどこか不自然に感じて、若宮を振り返ったタスクだったが、その顔には柔和な笑みが張り付いていて、心から安堵しているように見えーーそれに応えるようにタスクもにかっと笑みを浮かべた。
「だな! 皆が無事でよかったぜ!
 しっかし、なんだってあんなものが……。っ! これは!」
「どうしたんだい?」
 先ほど聖水をかけたあたりを覗きこみ、絶句したタスクと同じ物を、カズトも見る。
 転がっていたのは、毒虫の死骸である。
 毒虫を互いに殺し合わせ、喰わせあい、そして最後に残った虫に負けたすべての虫の怨念や罪を背負わせ、穢れを溜め、呪詛の核とする。
 本来は、根の国の妖鼠の群れを大量に呼びよせるほどのものではないはずだが。
「これしきの呪詛であんなことをしてのける……スメラの仕業か?」
「スメラ……」
 タスクの言葉に、カズトも穏和さを消して、わずかに顔をしかめる。
 スメラとは、元来このクニの至高たる尊皇を指す古語だ。
 だが、今このクニにはスメラを名乗り、都の各地に呪詛を仕掛け、穢れを振りまくテロリストがいる。その正体は誰も知らず、その目的・主張も公にはされていない。疑いようがないのは、高度な呪詛の知識と技量を持ち合わせていることだけだ。
 そして、人の安寧を軽んじる残忍さと、スメラ(皇)を名乗る不遜さと。
 端くれとはいえ皇族であるカズトにとっては、なおのこと心穏やかならぬ敵であろう。
「そうだ、ユイナ! さっきは助かったぜ!」
「そういえば、どこで聖水なんて手に入れたんだい?」
 二人並んで出口に近づくと、ユイナも無事に終わったことに微笑んだ。
「ああ、さっきの子がね……あれ?」
 外を振り返ったが、そこにミオの姿はなかった。
「いなくなっちゃった」
「……誰か、いたのか?」
 横に並んだタスクを見上げ、再び前方に視線を戻し、ユイナは小さく頷いた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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