一連のスメラ事件が解決をみてから一年が経った。 今日は新しい神社の落成式がある。 新たなカミを祀るための社が造られたのだ。 正殿の完成を祝うだけでなく、祀るべき魂をカミとして迎える勧請の儀式も執り行われる予定であった。 「今日はいろいろ儀式の手順がややこしいんでしょう? 大丈夫?」 圧倒的に人手の足りないから、風神の神殿からも応援が来ていた。 この社では、主祭神として一柱の神格を祀るのではなく、不特定多数の魂をカミとして祀ろうとしている。 いずれはひとつの神格として確立するかもしれないけれど、今はバラバラの魂だから、どうしても儀式が煩雑になってしまうのだ。 「私は大丈夫ですよ、ユイナ。どちらかというと、審神者(さにわ)と祀られるべき魂の中心となる方が、心配ですね」 無二の親友に笑いかけ、神事に必要な呪具を確認する手を止めたのは、この神社の初代神主であるミオだ。 「あの方が大人しく祀られてくださるでしょうか」 ついたため息の軽さが、冗談交じりの発言であることを示している。 一年と少し前、出逢った頃に比べるとずいぶんミオは丸くなったと、ユイナは思う。 それに比べて自分はどこか成長したろうかと思うけれど、自分ではよく判らない。 「あの方……あの方ね」 ユイナも苦笑する。 捕らえられたスメラの査問では、宿主の身体を乗っ取って本人がしゃしゃり出たという噂もある、イズタカが新たな祭神の要となる予定なのだ。 根の国に無数に存在する、恨霊(うらみたま)をカミとして祀る。穢れをカミとして祀ることは、初めての試みである。 カズトの中から出たイズタカは、ミオの手で根の国へと帰っていった。皇籍への復帰が認められ、改ざんされた史書の復元を約束されたことで、ある程度は満足していったのだろう。 もちろん、このクニを包む結界を緩めるか否かの議論がなされ始めたことが一番の収穫だったろうけれど。 「……なんて、私もけっこう緊張しているんですけど。手順はちゃんと頭に入ってるはずですのにね」 「そんなの、緊張してない方がおかしいって。だいたい、他の神主と違って場数が圧倒的に少ないんだし。でも大丈夫。イズタカ様だって、ちょっと儀式が間違ったくらいでごねたりしないって。それに、アタシもタスクも応援してるしさ」 ユイナはミオの肩を軽く叩いた。カミとして祀られようとしている人物を評しているとは思えぬほど軽い口調だ。 「はい、心強いです」 ミオは心底ユイナを信頼している顔で頷いた。 急に実力を伸ばし、カミの声を背景に地位を上げた元〈偽巫〉に対する風当たりは強い。表だっての嫌がらせはさすがにないが、影ではかなりの激流となっている。 心身共に自分を支えてくれたタスクとユイナを、ミオは自分自身よりも信頼していた。 この二人は、この一年で地位や信仰では量れない強さを身につけたと、ミオは思う。 「それより、あっちの準備はできたのかな? ずいぶん、遅いけど」 「あっち? 審神者のことですか? 準備はもうできていると思いますよ。ただ、何度も巫女をしている私と違って、審神者をなさるのは初めてですから、手順の確認に忙しいんでしょう。 ……あら、タスク?」 柱の向こうに見慣れた人影を見つけ、声をかける。 タスクはゆっくりと近づいてきた。本当は小走りにしたいのだけれど、祷場(いのりば)だから我慢して歩いている、そんな感じだ。 「なぁミオ、あいつを連れてきて大丈夫か? 最後にもう一度打ち合わせしたいって言ってるんだけど」 「ええ、大丈夫ですよ。落成式まではまだ少し時間があります。式が始まってしまうと私もお相手できませんが、それまでなら」 「そっか。じゃあ呼んでくるよ。ちょっと待っててくれ」 タスクは来た道を引き返す。若干、来たときより歩調が早めだ。 「……タスクが付き人してるのが、一番不安だってのにねえ」 完全に姿が見えなくなってからとはいえ、幼なじみならではの遠慮なさでユイナはため息をついた。 「側についててあげたいですか?」 「ばっ……! そ、そんなんじゃないってば!」 からかう口調のミオの言葉を、ユイナは真っ赤になって否定する。 「そ、そういうミオこそどうなのよ?」 「どうって、何がですか?」 「だから、誰か好きな人とかいるわけ? って」 半ば自棄になって聞いてくるユイナに、ミオはにっこりと笑いかけた。 「この会話の流れでそういうことを聞くっていうことは、ユイナはタスクのことが好きってことですね? 私は、タスクを手伝ってあげたいですかって聞いただけなのに」 「んぁ……」 ユイナは呻いた後、苦虫をまとめて十匹口に放り込まれたような顔になる。 完敗である。 そこに、タスクの姿が見えた。 「あ〜! もう、遅いよ、ばか!」 「な、なんだよ?」 いきなり悪態をつかれて、タスクは面食らう。 「何か知らない間に、ユイナを怒らせるようなことをしたんじゃないかい?」 そのタスクの後から、なだめるような優しげな声がする。 「俺って信用ねぇな」 タスクは背後に向かってぼやく。 クスクスと笑う声がそれに応えた。 「それで……準備はよろしいですか?」 タスクに連れられてやってきた審神者に、ミオは問う。 「カズト様?」 「……様づけはもう止めて欲しいんだけれど。 これからは僕は神主である君の部下になるわけだし」 かつて世間を騒がせた少年が、苦笑を浮かべる。 巫女が降ろしたカミを審判する者。それが審神者だ。 スメラとして裁かれることを本人も望んだ。だが、刑罰ではなく、穢れのカミに一生を捧げることをその父である尊皇(たかみ)は命じた。 これからミオが降ろすのは穢れを生み続ける恨霊たち。正確にはその中心としてイズタカを降ろす。 巫女が降ろしたのが本当にイズタカであるか否かを判別するのに、カズト以上の人材はいまい。 「ですが、皇族のご出身であることが、イズタカ様を降ろすときの審神者に選ばれた表向きの理由です。蔑ろにはできません」 「……まぁ、無理にとは言わないけれどね」 この件に関しては、かつての従者クレハ以上にミオは頑固だ。それは今までのつきあいで判っている。 「そうだ、皆が揃ったら伝えないとと思っていたんだ。 今日、恨霊を鎮め祀ることに成功して、本当に穢れが減るなら、結界を緩めることをアマツヒルメノカミに奏上頂けるそうなんだ。様子を見るのに十年くらいは欲しいと言われているから、すぐにというわけじゃないけど」 カズトの報告に、並ぶ三人の顔に喜色が浮かぶ。 「やったじゃん! 望みができたよ」 「ああ、カズトとミオが頑張ったおかげだな!」 それはすなわち、神職は仕事が忙しくなるという意味でもあったが、ユイナとタスクは素直に喜んだ。 「いや、君たちが支えてくれなければ、ここまで来てないよ」 「そうです。感謝しているんですよ。 それに……タマユラヒメノカミ様もお喜びになっています」 ミオはまだカミと繋がっている。 以前のように、カミの力を借りるたびに滅びの幻影を見ることもなくなった。 細波のように穏やかな若き海神の心を感じるだけだ。 「そ、それもこれも、今日が成功してからだろ!」 「だね!」 タスクとユイナがいきなり気合を入れにかかる。が、明らかに面と向かって謝意を示されたことに対する照れ隠しだ。 妙なところで息がぴったりな二人である。 「ふふ。本当、そうですね」 「カミの加護の半ばを捨てて、僕たちは生きていこうとしているんだ。失敗は許されない」 微笑ましいタスクとユイナの姿に目を細めるミオの隣で、カズトは表情を改める。やはり、今日一番余裕がないのはこの審神者のようだ。 「……そうだね、カズトとミオだけじゃなく、あたしたちも頑張らないと」 「ああ。いつまでも、母鳥の翼の下で匿われてる雛じゃいられねえ。 自分の足で大地に降り立ち、自分の翼で大空へと飛びだすんだ。雨の日も風の日も、守ってくれるものがなくても、群れの仲間と助け合っていけば何処までだって渡っていける」 まだカミの宿らぬ祭壇を前にして、誓うようにタスクは言った。 そのための最初の一歩を、このクニは歩み始めたばかりなのだ。
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