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まほろままぼらふ 作者:黒木美夜

第25回   世界の理
「……けっこう、効くものだね。奥にいても、痛かったよ、タスク」
「っ! カズト?」
 押さえ込んでいた相手の表情が変わり、聞き慣れた口調になり、タスクの力が少し緩む。
 『奥にいても』というのは、身体の支配権をイズタカに譲った状態でも、ということだろう。
「彼も……もちろん僕も、殴られたのはたぶん初めてだね。身体よりも、心に響くね、これは。
 なんか、変だね。痛いのに、ちょっとだけ嬉しいって思ってる」
 端正な顔を腫らして、それでもカズトは唇の端を軽く持ち上げた。
「喧嘩がしたいなら、いつだってつきあってやる」
「……僕はずっと、喧嘩どころか相手にすらしてもらえなかったから、すごく嬉しいよ、タスク」
 カズトは、もう一度友の名を呼んだ。
 自分に友人と呼べる相手がいることを確認するように。
「タスク。それに、ユイナにミオ。
 君たちになら、判ってもらえると思ったんだ。イズタカは、誰にも理解はされないって言われたけれど。だから、君たちをここに入れてほしいと頼んだ」
 いつか理解されると信じ、黙ってことを進めてきた。
 けれど、理解を得るには黙したままでは駄目なのだとカズトは気づいた。イズタカの失敗は、理解してくれる位置に、解ってくれるヒトがいなかったこと。
 今カズトには、身の危険を冒してこんなところまで来てくれる友が三人もいる。彼等を失うことの意味を、カズトはここに至って知った。
 理解されるはずがないという、イズタカの意志に引きずられるようにして戦いにもちこんだ。こちらから仕掛けた殺しあいだ。命を奪われても仕方ないと思った。
 けれど、タスクは武器を捨て、素手での勝負に持ち込んだ。
 ここまで来ても、タスクはカズトを殺すべき相手とは認識できなかったのだ。
 カズトは、そこに希望を得た。組み伏せられたまま、まっすぐにタスクの目を見上げる。
「負けた身で、どうこう言うのは諦めが悪いと思われるかもしれないけれど……」
 カズトの瞳の中に、タスク自身の姿が見える。
「僕たちの邪魔は、しないでほしい」
「?!」
「どういうことだよ?!」
「そのまま、言葉の通りだよ。
 このまま時が進めば、いずれ世界は穢れに飲まれて滅びる」
 カズトは静かな目で友人達を見た。
 何があっても引かない覚悟の、目。自分の名も命も惜しまぬほどの。
 そこに映る自分の姿に、それほどの覚悟は見られないかもしれないと、タスクは思う。
「……クニの外には穢れが満ちあふれている。
 生き物が死ぬたび、争うたび、人を憎み、恨むたび。穢れが生じるきっかけなんて、数え切れないほどあるんだよ。
 その穢れは火と水が浄化し、根の国へと運ばれていく。そして風と土が、このクニに戻ってくるのを防いでいる。神々の力で、このクニは守られているわけだ」
「そんなことは……」
 判っている、とタスクは言いかけ、口を閉ざした。
 神職相手にそんな話をわざわざするのは、意図があってのことだろう。
「死者は祀られることによっていずれ、魂を浄化され、カミのもとへと還る。けれど、祀られない死者は、いつまでも根の国にいて、穢れを生みつづける。……今、そんな魂がどれだけあると思う?」
「数えることなど、無理でしょうね」
 答えたミオに、カズトは小さく頷いた。
「そう、数え切れないくらいだ。穢れは、祓われない限り、増えることはあっても減ることなんてないんだよ。
 今はそれを、カミの力でこのクニに入らないようにしている。けれど、カミの結界の強度にも限りがある。いずれ、外の穢れの圧力に耐えきれなくなって、守りは崩壊し、世界が始まってよりの穢れがすべて押し寄せて……。?」
 何かに気づいたのか、カズトの目がタスクから離れ、あちこちをさまよう。
「?」
「なんだっ!」
 正殿の周囲を、牛の乳のような濃厚な霧が覆った。
「カズト、何をした?」
「僕は、何も。オニの一族も何もしていないはずだ。ただ、この力の気配は……」
 驚くタスクに再び強く押さえられても、カズトは冷静に霧の元を探った。
「これは……タマユラヒメノカミ様?」
 そのカズトより一瞬早く、ミオがその正体に気づき、愕然となる。
「そう」
 間髪入れず、同じ口が同じ声で肯定する。
「わたくしはタマユラ。
 少年、イズタカにはどうしてもアマツヒルメノカミとの間に新たな約束を結んでもらわないといけないの。そこを退きなさい」
「っ?!」
 見えない力で弾かれ、タスクは床に転がった。
「ちょ、ちょっとミオ?」
 ユイナが慌ててタスクに駆け寄る。
 それを案ずるようにちらりと見て、カズトはゆっくりと立ち上がった。
「タマユラヒメノカミ、あなたが出てくるのは公平なやり方とは……」
「あなたがそれを言う? ああ、あなたはイズタカではなかったか。まぁどっちでもいいけれど、手段を選んでいる場合ではないの。
 そもそもこの子とつながりを持ったのは、イズタカが暴走したとき、それを止めるため。そして、イズタカが失敗したときに支援するため。求められれば力を使うしかないから、ミオがイズタカを追いつめてしまったけれど。
 イズタカは秘密主義が過ぎて困る。やり方が過激なのも問題だが。もっとも、最初にこのクニの崩壊の回避を望んだことは評価に値するか」
 ミオの姿をした女神がわざとらしくため息をつく。
「なにが、どうなってんだよ。ミオはどうしたんだ?」
 また一人、友人が友人でなくなっていく。その苛立ちに、相手をカミだと理解しているのかどうか疑わしいが、タスクは唸る。
「ミオなら心配いらない。少し身体を借りているだけだから。多少身体に負担はかかるけれど、元々巫(めかんなぎ)として高い素質を持った子だし、案ずるほどではない」
「そういうことじゃないでしょう!」
 ユイナもカミを相手に本気で怒っている。
 その煩わしさに、カミは再び嘆息した。
「手段は選べないの。言ったでしょう。これも、イズタカの秘密主義のもたらした弊害といえるか。
 まぁよい、ともかく」
 女神は居並ぶ面々を見回した。
 身体の内部で視線を投げかけている、ミオに対しても同じように。
「おまえたちは、世界の滅びを望むか? 望まないなら、イズタカに協力なさい」
「……え?」
 あまりに意外な言葉に、タスクたちの思考が一瞬停止する。
「どういうこと……ですか?」
 かろうじて敬語でユイナが訊ねる。
「やはり、驚いているか。
 聞こえているのでしょう、イズタカ? あなたのせいで話がややこしくなっている」
「……話したところで理解はされぬ。理解できたところで賛同は得られぬ。
 吾はそれを百年前に経験した。力ずくでしか、解決はせぬ」
 再び、カズトの身体をイズタカが操る。
 先程タスクに負けたのが悔しいのか、タマユラヒメの降臨が不愉快なのか、少々憮然とした様子だ。
「やれやれ。
 こやつは、百年ほど前、東宮立位した。将来尊皇になるための勉強のひとつに、アマツヒルメノカミを祀る神事に関するものも当然ある。その過程で、クニを守るカミの結界が無限の強さを持つものではないと知った……間違いないか?」
 カミに促され、イズタカはようやく頷いた。そして続きを語りだす。
「クニの中を清浄に保てば保つほど、外の穢れは強くなり、結界の崩壊は早まる。
 そう聞いた吾は、父皇にある提案をした。『カミに結界の弱化を望み、より末永くクニが続くよう祈りましょう。多少の穢れなら民も耐えられるはずです』とな。
 途端に東宮位を剥奪された。今が豊かであることの方が大事だ、と父は宣った。歴代の尊皇もそうしてきた、何故自分の代で苦しみを受けねばならない。いずれくるその日、その時生きている者がすべての穢れを負えばいい。そういう定めなのだから、だそうだ」
「…………」
 タスクもユイナも言葉が出ない。
 子供か孫か、それとも数世代先か。
 判らないけれど自分の血を、文化を、技術を、思考を、伝統を。今ヒトが生きている証すべてを受け継ぐものたちに対して、なんという無顧慮か。
 けれどその安楽な道を選んでしまう人の心も理解できる。
 それほど、穢れとは怖ろしいものだ。忌み嫌われるものだ。
 自分たちだって避けて通れるものなら避けて通りたい。
「カミの力でも、穢れを消し去ることはできないのか?」
 できればタマユラヒメもこのような回りくどいことはしまい。
 それでも、一縷の望みを込めてタスクは訊いた。
「……できない。
 厳密にはできないことはないけれど、時間がかかる。完全に穢れの発生を止めて、穢れが溜まるのにかけた時間の、倍は必要。前回、わたくしが生まれた世界が滅びたときも、それだけの時を要した。その長い長い間、このクニには何もない。
 ……そう、ミオ。あなたに見せたのはわたくしの記憶。わたくしはあの世界が好きだった。ヒトと海神(わだつみ)の間に生まれ、ヒトとして、巫として、カミとして、クニを愛していた。けれど、世界なんて、箱庭のように簡単に壊れてしまう」
 タマユラヒメはゆっくりとまぶたを閉ざし、決意を込めて、その双眸を開く。
「二度とあの悲劇は繰り返させぬ」
 だからこそ、手段は選ばないということか。
 多少の犠牲を払っても、それを遙かに上回る人数が生き残れば、それでよい。あの災厄を回避できるなら、それで。
「なら……他の神々は、何をなさっているんですか? 人間が生きるのも滅びるのも気にならないってことですか? それとも、ヒトに選べということですか?」
 ユイナの中で、カミに対する不信が渦巻く。
 カミは人間の絶対的な庇護者だと思っていた。それなのに、目の前の女神の話を聞く限りでは、そうとばかりも言い切れない。
「カミには人間が思っているような自我がないの。神事では、ヒトが望むことをカミはそのまま返すだけ。世界を守る結界も同じ。母鳥が雛をその翼でかばうような、過剰な保護を望むからそうしているに過ぎないの。
 そういう意味では、ヒトに選択を委ねているというのも間違いではない。
 今こうしているわたくしだって、いつまでわたくしでいられるか。
 イズタカが入水したとき、わたくしにとっても最初で最後の機会だと、その魂に手を差し伸べた」
「新たな理を築くために?」
 ユイナの問いに、タマユラヒメは頷いた。
「けど、こんな手段で、一人の独断で、認められることじゃないだろ。納得いかねぇ連中が、同じ手段で覆しにかかる。そうなれば……泥沼だ」
 世界の延命は、タスクとしては前向きに考えたいことだ。自分たちが安穏と暮らすために、未来に大きな負債を残すのは、やはり後味が悪い。
 とはいえ、一般の人間に大きな犠牲を伴うのも受け入れがたかった。
 カズトがその恨みを買うのも、反対勢力に命を脅かされるのも避けたかった。
 八方塞がりだ。タスクはそう思った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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